「むすぶ(掬ぶ)」を始めてみて
私は、4月23日に、個人でLINE@「むすぶ(掬ぶ)」を立ち上げた。
そして、およそ1ヶ月が経過した。
立ち上げた理由は、以前のnoteに記したが、この「むすぶ(掬ぶ)」についても、
ケアが「閉じる」時代の精神医療ーー心と身体の「あいだ」を考える
を聴講して、気づかせてもらったことと深く関係していた。
私が「むすぶ(掬ぶ)」を始めようと思ったスタートラインは、
「今まで、何かしら私とご縁があったヒト達との関係を繋げる手段」であったこと。それは、afterコロナといった「未来」に向けた想いではなく、「過去」に相談で対応したまんまになっている親御さん達、お子さん達に対する責任、弔われていないことに対しての想いにあった。
関わった回数、時間、内容は、それぞれ異なっているものの既に存在していた関係性の範囲内での「むすぶ(掬ぶ)」であること。
立ち上げた当時、いろいろ頭の中で考えすぎて「むすぶ(掬ぶ)」という屋号に決めた時、意識的か無意識かは、今となっては定かではないが、
「むすぶ」は「結ぶ」ではなく「掬ぶ」
「手を結んで、どんどん繋がっていこう!」という想いではなく、
「既に手の中にあるものを取りこぼさない、掬う(すくう)」という想いが強かったんだと、今になって「掬ぶ」としたことに納得している。
また、繋がったヒト達とどうやって繋がっていくかも、未知のままスタートした。
徐々に、登録して下さる方達が、できて。
とりあえず、近況報告をし合ったヒトもいれば、早速、相談を受けたヒトもいた。
相談内容によっての対応も、まさに「case-by-case」で行なった。
LINEで文章で返答したものもあれば、
お互いの近所のまだ開放されていたスーパーのフードコートで、マスクと席は対角線上に座ることを徹底して、親御さんに直接会って話す機会を設けた。
Zoomなどのオンラインも考えてはみたが、物理的な「環境設定」は可能だったが、私自身の「心情設定」??が、可能ではなかった。
その点の理由は、
ケアが「閉じる」時代の精神医療ーー心と身体の「あいだ」を考える
の対談で東畑氏が「オンラインカウンセリング」について話されていたことと繋がっているように思う。
「むすぶ(掬ぶ)」をスタートしてから、時折、私からのあえてたわいもないメッセージを登録して下さっている方々に、一斉送信している。
GWに突入したり終わったり、休校が解除されることが決まったりといった、社会情勢の内容から書き出して、その後に、私の好きなアーティストの曲だとか、朝の散歩の話とか、あえて、kamedaaaという私個人のことを付け加えている。
こんな一斉送信のメッセージを送る理由は、
いつも、私の存在を感じてもらっていなくてよくて
ふと息詰まった時に「そう言えば、、、kamedaaaさん、、、」と思い出してもらえて、その時に私の「ひととなり」を頭に思い浮かべてもらえるような存在でいられたら、、、そのくらいの「薄さ?濃さ?」で繋がっていられたら、と思っている。
迷って、悩んで、決断してスタートした「むすぶ(掬ぶ)」だけれど、
ケアが「閉じる」時代の精神医療ーー心と身体の「あいだ」を考える
の対談を聴講したことを通して、今の「むすぶ(掬ぶ)」の存在を「これでいいんだ」と確認できて、ゆっくり、そっとだけど、前進できる気持ちをもらえた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?