Unconscious Bias
〜はじめに〜
人間の目には『盲点』があります。それを確かめる簡単な方法があって、『●』と『➕』の図を使います。
右目をつぶって左目だけで、右側にある『➕』を見てください。そして、画面をゆっくり近づけたり離したりしてみると、どこかの時点で左側の『●』がフッと消えるところがあります。そこが『盲点』です。
このように人間の目には、見えているようで実は見えていない部分があります。普段は両目で見ているので気づかなかったり、脳が自動で”補填”したりしているので、映像の中に欠けたところがないのです。
脳が自動で補填
人間の脳も中々すごい能力を持っているものですね。
そんな優れた能力のある脳なのに、物事の判断では間違ってしまうことが多々あります。
【認知バイアス(Cognitive Bias)】
と呼ばれるものです。これは『物事の判断が、直感やこれまでの経験にもとづく先入観によって非合理的になる心理現象のこと』です。認知バイアスには種類があり、いくつか例を上げると、
・生存者バイアス… 選択過程を通過した人のみを見て、他の人を見落とすこと
・後知恵バイアス… 物事が起こった後に、まるで予測できたように振る舞うこと
・対応バイアス… 環境の影響を過小に、個人の能力を過大に評価すること
・アンカリング… 評価基準が、事前に与えられたヒントに寄ってしまうこと
などです。
他にもたくさんありますが、こういったことを知っておくと物事の判断で誤った見方をすることを減らせると思います。仕事をしていく上では”判断”は大事ですからね。
さて、認知バイアスは認知していることに偏りが出ることでした。認知と言っているくらいですから『意識』されているものです。意識の上にあるものに偏りがあるのです。が、それだったら、
「無意識にはバイアスはかからないのかな?」
と考えました。意識されていることに偏りがあるなら、無意識にも偏りがあっても不思議ではないでしょう。初めて人間の中に無意識を発見したのは心理学者のジークムント・フロイトです。
意識を通り抜けて無意識にアクセスしてみると、おもしろい発見があるかもしれません。
【Silver Bullet】
・解決が困難な諸問題を一撃で解決するような万能な解決策。
・組織を壊滅に追い込める人物のこと。
Earl Klugh - Rainbow Man
Who?
「結論を先に言え」
よく聞く言葉です。仕事では結論から話すことを求められます。でも、
「これってホントに効果があるのかな?」
と思いました。日本語と英語の構造を見比べてみると、
日本語… 起承転結
英語… 結論先行
となっています。
アメリカのビジネスマンは結論から話しますが、それは単に英語という言語の構造がそうなっているからであって、本人は特段結論から話すことを意識してやっているわけではない… 無意識でやっているだけ ってことです。それなのに、それを見た日本人が、
「結論から話した方が良いのか…」
と勝手に解釈して真似しただけなのでは… と。
それより気になるのは、日本語には主語がないことです。日本語では主語がなくても会話が成り立つのです。英語ではこうはいきません、必ず主語を必要とします。日本語は主語がなくても成り立つせいで、
・誰がやったのか?
・誰が言ったのか?
が判らなくなってしまうことが問題なのでは…? と考えました。
あなたは仕事のやり取りや会議、報告・連絡で”主語”を言っていますか?
1つの会社の中でも、成果はAさん・A部署が評価されたけど、責任はBさん・B部署が取らされたとか、会議の内容がずっと”宙に浮いて”しまって何を話しているのか判らないなんてことがあります。その原因は主語を言っていないからでしょう。
実際、昔、その命令は誰が言ったのかを上司に聞いたことがあるのですが、返ってきた答えは「判らない」でした。誰が言ったか判らない命令を聞かなくてはならないなんてことが起こるのですよ。まぁ、命令を言った人は、自分が言ったことになると問題が起こった時に責任を取ることになるので、ボカしておきたいんでしょうけどね。
主語で気をつけなきゃいけないのは『みんな』ですね。みんなという主語は便利で、自分だけの意見をみんなの意見と装うことができます。少数の意見をまるで大多数の意見かのように言えるのです。みんなを使うなら、
成果は『みんな』
責任は『自分』
と、すると良いかもしれません。もしこれを”逆”にして、
成果は『自分』
責任は『みんな』
と、すると、最悪の場合”組織が崩壊する”なんてことにもなるでしょうね。
日本語に足りないのは、英語のように結論から話すことではなく、主語を明確にすることだと考えます。
会話の中で、誰が を意識してみてください。
社会 ≠ 社内
社内は、社会ではない。
会社に入ることを「社会に出る」と言ったりします。
会社 = 社会
と無意識に思い込んでいるのです。しかし、現実には会社の中にあるのは、社内であって社会ではありません。社内は社内です。それ以上でもそれ以下でもありません。
ということは、「社会に出る」とは会社の外に出ることです。会社は社会の入り口なのですよ。だから、社会そのものではないのです。まぁ考えてみりゃ当たり前のことで、日本の場合は社会を構成する人の数は1億2000万人ほどです。会社には何人の人がいますか? 数十人? 数百人? 多くても数千人ほどですね。仮に1000人としてみると、
1000 / 120,000,000 = 0.00000833…
です。約0.0008%くらいの人しかいないのです。そんな場所が社会なわけがないでしょう。それは社会ではなく、ただの社内です。たった0.0008%の場所を社会だと思い込んでしまうから、独裁国家ならぬ独裁会社、ブラック企業などが生まれるのではないか… と考えました。
会社は、クラウド上の社会にアクセスするためのアカウントの1つ
と捉えれば、判りやすいかもしれませんね。だからアカウントが自分に合わないのであればどんどん変えていいのですよ。
基礎は60点で良い
学問や実践には基礎がありますね。基礎と言われるとついつい、
「簡単なことだ」
と考えてしまいます。だから、基礎に関しては100点が取れて当然だと思うこともあるでしょう。しかし、実は基礎で100点を取ることはほぼ”不可能”と言っても過言ではありません。
それを示す話をご紹介しましょう。
ミュージシャンのパット・メセニーは若い頃からギターを弾いていて、プロとして数々のアルバム制作やコンサートをやってきました。そんな彼がとある雑誌のインタビューでこんなことを言っています。
「最近やっと、16分音符がちゃんと弾けるようになったんだ」
音楽をやっている人であれば、16分音符は基礎中の基礎であることはすぐに判りますね。小学校の音楽の教科書にも載っているくらい基礎中の基礎です。ところがメセニーは、そんな基礎が数々の経験をした末に「やっとできるようになった」と言っているのです。
メセニーを知らない人のために説明しておくと、画家で喩えるなら”ピカソ”ですかね。いわゆる『超大御所』というやつです。つまり基礎とは、メセニーでさえ、できるようになるまでにとてつもない経験と時間を要するものだ… ということです。
だから基礎は60点で良いのですよ。60点できたらさっさと次の作業を練習するのです。実践をやっている人はよく知っていますが、基礎の次の作業をやらせて、その後、基礎に戻ってみると前よりも上手くなっていることがあります。基礎が60点だったものが、次の作業を経験した後は80点に上がっているのです。
巷では某ビッグモーターのように、ゴミが1つ落ちていたくらいで0点をつけるような会社もありますが、そんなところはそもそも人を育てる気がないと感じますね。掃除は確かに基礎ですが、だからこそ100点は取れません。むしろ、1つできていないだけで0点 = 不合格 とすることで”都合の良い召使い”を保持したいと考えているとしか思えませんね。なぜなら不合格なのでずっと上には上がれない = 召使いのまま ってことですから。いわゆる”小学生の発想”ってやつです。
話を戻しますが、メセニーでさえそれだけの時間がかかる基礎が、そんなにすぐにできるようになるわけがないのですから、基礎は大雑把に、だいたい、おおよそ、できていれば良いのですよ。
ちなみにメセニーは、音楽学校に入学したあと、3ヶ月で教授になったという人です。というのも、学校で習うことは全て、メセニーがそれまでにすでにやっていたからです。独学でギターを弾いていたのですが、学校で習う内容はとっくの昔にメセニー自身がやっていたので、今更習うことなどなかったのです。ただ、やっていたことはその通りなのですが、メセニーは『名称』は知りませんでした。音楽のアレンジには、モーダル・インターチェンジやアッパー・ストラクチャー、ドミナント・ケイデンスなどの名前が付いているのですが、それらの名前は知らなかったのです。名前は知らなかったけど、やってはいたのです。
だから、名前を習う必要があり、それを習いました。そして、それだけで終わりました。だから3ヶ月なのです。
画家では”ピカソ”に喩えられるくらいの超天才と言っても決して大袈裟ではないメセニーでさえ、基礎ができるまでには時間がかかるのです。
では、
「なぜ、基礎は見下されるのか?」
それを考えてみましょう。
静回路 ∞ 動回路
学問… 静回路の基礎 算数 四則演算
実践… 動回路の基礎 音楽 16分音符
人間の脳の神経回路を、学問をやっている時は”静回路”、実践をやっている時は”動回路”とします。頭だけを動かすのか、身体も同時に動かすのかの違いです。
学問で数学の基礎といえば算数です。だから、数学が得意な人は算数の問題は簡単に解けるでしょう。それこそ100点を取ることなど容易いと思います。が、それが動回路での基礎を軽んじてしまう原因でもあるのです。
静回路でも動回路でも『基礎』と言われているのですから、同じように扱ってしまうのですよ。ここに大きな”誤算”があります。
静回路での基礎(算数)が簡単にできるからといって、動回路の基礎まで見下し、ほとんどやらない、もしくは完全に気が抜けた状態でやってしまう。これにより、動回路の神経回路はほとんどつながらないことになってしまうのです。つながらないのですから当然、できるようにはならないのです。
静回路の基礎と動回路の基礎は、呼び方は同じ基礎ですが、脳の使い方はまったく違う回路なのです。
⭕️同じ基礎(という呼び方)だけど、違う回路
❌同じ基礎(という呼び方)だから、同じ回路
これを混同して考えてしまうことが、基礎を見下してしまう原因なのです。結果、動回路はまったく育たないことになります。基礎だからとついつい「100点を取らなきゃ」などと無意識に考えていませんか?
だいたい、国家資格の試験でも60〜70点で合格なのですよ。
今もあると思いますが『エリートコース』と言われる出世コースがありますよね。現場の仕事は2年くらいやって、あとは本社で寝てるだ… じゃなくて、本社の業務 = 紙の上 ばかりを見るコースです。その場合、静回路は育ちますが動回路はほとんど育たないことになります。現場は2年と決まっているのでまったくやる気なくやってしまう人もいるでしょう。
人間の脳は30歳で成人になると言われていますので、脳の育ち盛りの20代を、すぐに静回路だけを育てることに費やしてしまう… これは結構”危険”だと思いますけどね。せっかくの成長期を無駄に過ごすことになりかねません。
『エリートコース』というものは無くならないと思いますが、動回路を育てないのであれば、いろんなことを”覚悟”しておいた方がいいでしょう。
某ビッグモーターについて
めんどい。
母音 = 音色
英語と日本語では主語を使う/使わないで違いがありました。他にも英語は表音文字(アルファベット)、日本語は表音文字(ひらがなカタカナ)と表意文字(漢字)の違いがあります。さらに『母音の数』もだいぶ違います。英語の母音は数え方にもよりますが、だいたい、
英語… 20音
日本語… 5音
です。かなり違いますね。ここでふと、
「何か音楽と関係はないのかな?」
と考えました。
日本は雅楽です。オーケストラの発祥はヨーロッパですが、細かいことは抜きにして比べてみると、
【オーケストラの楽器】
音階楽器 - 17種類
弦楽器…ヴァイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバス
木管楽器…フルート、ピッコロ、クラリネット、バスクラリネット、オーボエ
コールアングレ(イングリッシュ・ホルン)、ファゴット、
コントラファゴット
金管楽器… ホルン、トランペット、トロンボーン、バストロンボーン、チューバ
打楽器 - 8種類〜
ティンパニ、大太鼓、シンバル、スネアドラム、トライアングル、
グロッケン、ゴング(銅鑼)、ウィンド・チャイム…etc.
【雅楽の楽器】
音階楽器 - 6(8)種類
笙(しょう)
篳篥(ひちりき)
笛… 龍笛(りゅうてき)・高麗笛(こまぶえ)・神楽笛(かぐらぶえ)
琵琶(びわ)
筝(そう)
和琴(わごん)
打楽器 - 4種類
鞨鼓(かっこ)・三の鼓(さんのつづみ・さんのこ)
太鼓(たいこ)
鉦鼓(しょうこ)
というふうに、音階楽器の数は母音の数にそこそこ近い数になるのです。
英語… 母音 - 20音、音階楽器 - 17種類
日本語… 母音 - 5音、音階楽器 - 6(8)種類
日本語の母音は昔はもっと多かったという話も聞いたことがあるので、昔はほぼ一致していたかもしれませんね。
日常で使っている言葉の母音の数と、音楽で使う楽器の数が近いことは無意識でそうなっていったと考えることもできます。
〜間奏〜
(おい、ビッグモーター、端折りすぎやろ)
だってやってること全部解るんですもん。
厨二病を拗らせたおっさんに興味はないので。
(2000件のラインとかただのストーカーやしな〜)
会社員で犯罪者が生まれる原因ですね。
(仕事の行動が犯罪の行動と
完全に一致するとそうなるのや)
仕事の行動 = 犯罪の行動 ってことです。
イコールになるとアウトですね。
(人間の脳はその違いを区別できなくなって
いくんよな。仕事でしとるから日常でも
していいもんやと錯覚してしまう)
某電通の事件も同じような感じだったんでしょうね。
ちなみにストーカーの行動はお母さんにつきまとう3歳児と同じです。
(子どもはとにかく「お母さんを支配したい」って
思うからな。ホンマの3歳児ならええけど、おっさんが
やったらあかんわな)
実はオラオラ系の人はみんなただの”マザコン”ですからね。
だから相手に”お母さん役”を強要しているだけなのです。
さっさと精神科に行くべきですね。
(「俺の言うこと聞け!コラー!!(バブー)」ってね
だから必要以上に”男らしさ”にこだわるんや
いやいや、ただの赤ちゃんやろ。きしょい)
相手(お母さん)のことを常に把握していないと
不安で仕方ないんですよ。赤ちゃんがまさにそうでしょう。
日本で言われている”男らしさ”を実際に
国家をあげてやっているのが北の将軍様です。
あれを男らしいとは全然思いませんよね。
(支配欲… 依存症… か。お母さんに)
『愛着障害』を疑いますね〜。
ところで、後半は何を話すんですか?
(ん〜… 数学の歴史とか組織図とかやね)
お、いいですね〜。
それらは無意識に思い込んでいることがありますから。
(時代を進めるには過去を知るのが早いからな)
温故知新と言いますしね。
それではどうぞ〜。
(ほ〜い)
【公理系】
一つの理論体系の出発点となっている公理の集まり。それぞれの公理は互いに独立し、かつ矛盾のないことが必要。
Ed Sheeran - Perfect
やるべきは『現代数学』
2019年に経産省と文科省が数学を推しはじめたけど、どれくらい進んでるんやろね。いろんな本が出てて数学の面白さを伝えとるし、専門家が書いてるから計算の説明とかはそっちに譲るとして、ここでは数学の歴史について話しとこうかなとね。
ユークリッドの『原論』とかニュートンの微積分の話は知っとるやろうけど、数学って学問がどう進化してきたのかはあんまり知られてないやろ。
んで、政府が推してる数学は多分、『現代数学』のことなんよな。ここでわざわざ”現代”ってつけたのは、数学は時代によって変わってきたからや。そこで、時代を4つに分ける。古代・中世・近代・現代の4つね。んで、それぞれの時代の根幹となった人と書物を並べると、
古代… タレス - 三角形合同の定理
中世… ユークリッド -『原論』
近代… デカルト -『幾何学』
現代… ヒルベルト -『幾何学の基礎』
こうなる。ユークリッドの原論が公理系ってのを定義したんや。これは要は”ルール”ってことよ。デカルトの幾何学まではそのルールでやっとるけど、ヒルベルトから変わる。順番に説明すると、
【古代】〜紀元前
タレスは古代ギリシャの哲学者で本は残してないけど、三角形合同の定理ってのを初めて考えた人や。三角形と言われるとピタゴラスが思い浮かぶ人も多いやろね。タレスはピタゴラスより前の人やで。
【中世】紀元前〜16世紀頃まで
ユークリッドが古代ギリシャ時代の数学の知識をまとめて書いたのが有名な『原論』や。ギリシャ語では『ストイケイヤ』って言う。意味は”アルファベット = ABC”って意味やき、日本語で言うなら”いろは”やな。
【近代】17世紀〜19世紀
デカルトは初めて”座標”ってものを作ったことは有名やな。横軸が x で縦軸が y のやつや。この『幾何学』って本は方法序説の”付録”として書かれたものなんや。それまでは”静的”な図を扱ってたんやけど、座標のおかげで”動的”な図を扱えるようになって、『関数』ができた。その後、ニュートン/ライプニッツの微積分が生まれたのや。
【現代】20世紀〜
ヒルベルトって人がユークリッドの原論を根本から変えたのや。古代から近代は原論に基づいて数学が発展していってたのを見直したのや。んで、現代からほとんど”別の学問”みたいな感じで進化したのは、ヒルベルトが1899年に出した『幾何学の基礎』からなんやで。”集合”が良い例ですな。
こんな感じ。さらに言えば、古代から近代までは”自然”を対象にしてたのに対し、ヒルベルトからは”人工的”なものまで数学の範疇に入れることにしたのや。人工的なものってのは、目に見える自然だけやなくて、人間の頭の中で考えたものってことやで。たとえば『論理』ってのは人間の頭の中で考えたものや。
まとめると、
古代… タレス - 三角形合同の定理 静的 自然 ←『原論』の種
中世… ユークリッド -『原論』 静的 自然 ←『原論』完成
近代… デカルト -『幾何学』 動的 自然 ←『原論』に基づく
現代… ヒルベルト -『幾何学の基礎』 動的 人工 ←『原論』を改変
数学は下から順番に難しくなっていくイメージがあるき、現代になれば一番難しいと考えてしまうやろうけど、そうは言い切れんところがある。集合での”記号”を見ると複雑な印象を受けるやん。でも、だったら記号を使わなきゃええだけやで。例を上げると、
《記号》 ⇄ 《文章》
A⊂B(部分集合) ⇄ AがBに含まれている
A∩C(共通部分) ⇄ AとBの両方に属する
A∪C (和集合) ⇄ AかBのどちらかに属する
とかね。文章で判るならそれでええのや。
数学の集合でやっとることは『論理』なんよな。だから、元々は 言葉 = 文章なんや。文章でやっとることを”わざわざ”記号を使って表すようにしたものなんや。余計なことすんなよと思うけど、たとえば、
p. 雨が降ってきたから、傘をさした。(命題 - 真)
q. 傘をさしたから、雨が降ってきた。(逆 - 偽)
この2つを見たら、どっちが間違った文章かはすぐ判るやろ。記号を使ったら判らんなるんやったら、文章で考えたらええだけやで。だって元々が文章なんやから。
古代から近代までの数学が苦手やったとしても、現代数学では判ることがあるってことよ。だってユークリッドの原論やなくて、ヒルベルトの幾何学の基礎ってのが元になっとるんやから。
言うまでもなく微積分や三角比は原論が元になっとるから、それが判らんでもできるのが現代数学やで。
政府も数学を推すのは正しいんやけど、絶妙に外してくるんよな。なんか天才的な外し方よね。まぁ日本の政府といえば世界から見ても天才集団として有名やからな。あらゆることが”逆”なんよな。さすが天才たちと言うべきか… まるで、音楽の『オルタードスケール』を弾いているかのようやな。オルタードスケールを簡単に説明すると主音(と3rd・7th)以外はすべて外すってやつや。
数学を推すのは正しいけど、そこじゃない! おしい!! みたいなね。
❌微分 → 積分、 ⭕️積分 → 微分
微分と積分はニュートンとライプニッツが作ったことになっとるけど、実は歴史を振り返るともっと前にできとるんよな。ニュートンとライプニッツは微積分として”まとめた”のや。それが17世紀なんやけど、12世紀のインドでバースカラ2世って人が微分をやっとる。積分にいたっては紀元前1800年くらいまで遡れるのや。アルキメデスの『取り付くし法』が紀元前200年くらいやき、積分の方が先に発展してて、微分が出てくるまで少なく見積もっても1300年の差がある。ここで大事なことは、
1. 微分より積分の方が先に発展している
2. 微分ができるまで1300年かかっている
ってことや。歴史を見れば積分の方が先やのに、学校では微分から始めとるやろ。教える順番が”逆”なんよな。
他にも、物理学の重力加速度を習うときに微分を使ってはいけないなんて、謎の教え方をしとるところもあるみたいやし、やっぱ天才なんやろな。
積分の方が先に発展したのは、実用的やったからやで。当時は農業が盛んやったから、農地の面積を求めるために積分が発展したのや。だから、学生に積分を教えるときには実際に農地の測量をやらせればええと思うけどね。人間の脳は視覚だけより、五感すべてを使った方が成長するやろ。んで、測量ついでに農作業をやってみるとかもすれば、学生は学問を全身で受け取ることになるし、農業おこしみたいになるかもしれんしね。
積分は”たし算”で、微分は”わり算”。
小学校では、たし算から教えて最後にわり算やのに、微積分になるといきなり”逆”に教えられることが、学生を混乱させとる原因やないのかね。
会社は濾過装置
会社では昇進があるやん。それは見方を変えれば”社員を濾過している”とも言えるのや。ただ、この濾過装置はちょっとめんどいことがあって、普通に考えると優秀な人を残してそうじゃない人を濾過するはずやのに、なにかの原因で”逆”に作用することがある。
逆に作用してもうたらもう最悪よね。どんどん業績は落ちていくし、最悪の場合には”倒産”なんてことにもなる。
離職者が多い場合なんかは「どっちが辞めているのか?」ってことを考えんと、あっという間に手遅れになるで。
人を昇格させるときには能力だけやなくて、人間性も含めて考えんと、結局会社に跳ね返ってくるからな。数字だけしか見ないなら、数字だけ上げればええから、身内に買わせてもええことになるし。もしかしたら身内を使うのには『周期』があるかもね。そういうことを知ってる人がいなくなるか、少なくなった頃を見計らってやっとる…とかね。まぁ売上を上げたデータは残っとるから、それはつまり証拠が残ってるということ。それなら、周期があるかないかを調べることは容易ですな。
んで、そのとき集めたデータを他人に対して使うから、まったく通用しない。だから、あらゆることを”従業員のせい”にして、チンピラのイチャモンみたいな指導ばかりすることになると、どんどん辞めていくわな。
「ゴミが落ちてる、はい0点〜」
とかね。ホンマに悪いのは身内で売上上げて数字を誤魔化したそいつ自身やのに、他人のせいにするのや。赤ちゃんやろ。
赤ちゃんはいつも、お母さんのせいにする。
ってね。
Org Chart
双扇型
会社の組織図はほとんどがピラミッド型かマトリックス型になっとるやん。その反面、ティール組織みたいな「フラットな形にしたい」って意見も多いやろ。でもイメージが掴みにくいから、ちょっと考えて作ってみたんや。経営層とか取締役会とか現場とかの”括り”は一旦横に置いておいて、
こんな感じ。”括り”に関しては自分で考えてもらうとして話を進めるで。
社長を真ん中にして左右に『扇』の形をイメージして、知と行に分ける。知はナレッジワーカー、行はエッセンシャルワーカーみたいな感じや。個人的な経験から、
「現場の声が社長に届いてないな…」
と感じることもあったから、双扇型なら社長につながっとるき、届きやすいやろ。少なくともピラミッド型みたいに途中が多いせいで、”途中で止められる”ことも少なくなるしな。
社長はどの会社でも諸悪の根げ… もとい、悪の枢じ… じゃなくて『要』となる人やき、2つの扇の要となるってことや。
知と行が交わる場所が社長になっとることが大事なんやないかね。
Annulus - mode (環型)
さらに、左の課長と右の店長をつなげて、中心を店長にしてクルッと回すと、
こうなる。さっきとは反対の視点を得ることになる。組織にとって一番必要なのは、いろんな視点の意見があることやろ。このモードのときは中心は課長でもマネジャーでもええで。今ならCGとかでこういう形は作れるはずや。んで、スワイプしてくるくる回していくと、別の視点からはこう見えるってのがはっきりイメージできるのや。図を簡単にしてさっきと比べると、
p. >⚪︎<
q. <⚪︎>
となる。『⚪︎』が社長や店長やで。p と q は”逆”の形になっとるやろ。
両方からつながるってことは命令の矛盾とかがあるかも知れんけど、そんなときは社長にどんどん回していけばええのや。だって、どっちの命令も元を辿れば社長が出してるに決まっとるんやから。
基本は双扇型で、それからAnnulus - mode(アニュラスモード)に切り替えるといろんな視点を見つけることになる。
Torus - mode (トーラス型)
さらに社長の上下にも何かつけるなら、
って感じや。
これで上下左右がすべてつながる。トーラスモードの完成や。監査のところは『社長直属の部下』とかにしてもええし。実際、前に働いてたとこで社長というか会長の直属のチーフ(料理長)がおったしな。
上下も左右もくるくる回せば、立場に上下っていう概念がなくなる、もしくは弱くなる。命令も上から下やなくて、常に『横』をイメージすることになる。スポーツでいえばバスケットボールやラグビーみたいな感じや。パスを横に横に回していくのや。
フラットなティール組織もイメージしやすいやろ。
将棋にすると
社長を王将にして将棋の駒で考えると、
となる。
金と銀は日本では”同位/同格”として考えるし、飛車と角行も同じよね。
『ともだ知 ''n'' 行』ってね。Rock ''n'' Roll みたいな感じや。
知は理論で、行は実践やき、どうしてもぶつかることがあるけど、ぶつかる = 交わる 場所が社長(王将)なんやから、ともだ知 ''n'' 行するしかないわな。社長が。
巷では”尖ったヤツ”を求めとることがある。でも、そのわりには組織は旧来のピラミッド型やったりして、「置きにいっとる」んよな。全然尖ってないわ。ビビってんのか? と思うけどね。
回る寿司なんかは今まで散々寿司に回ってもろてたんやし、これからは人間の方が回りますってことでええんやないかね。とにかく視点が狭すぎるからな、あいつら。皿どころか”おちょこ”くらいの範囲しか見えてないやろ、絶対。
新しい組織図ってのもやってみたら日本人には上手くハマることがあるかもしらんやん。ピラミッド型ってどっちかっつーと欧米なんよな。日本ではない。日本といえば『扇』やからな。
要がなければ、扇は開かない。
DXの主語
海外でも上手くいってるDXが、日本ではいまいち上手くいかないのは、
「主語はどっち?」
ってのが判ってないからや。DXは”業務が楽”になることが目的やけど、楽になるのは2つある。
p. 管理が楽… 主に本社
q. 実践が楽… 主に現場
この2つのどっち? ってことよ。
日本は p ばかり考えてるんよな。管理を楽にするためには現場の業務が増えることがあるやん。それは管理にはええけど、実践をしてる人からすれば邪魔なだけなんや。だって仕事が増えるんやから。
結果、効率を上げようとしたDXで、効率が下がるなんてことが起こるのや。
日本人の悪いところよね。
『自分のことしか考えられない』
ってのがあかんわな。まるで赤ちゃんですな。
上層が楽になることばかり考えて、現場のことを全然考えてないのがあかんな。発展にはボトムアップが必須やのに、それはほったらかして自分だけが上がることしか考えてないのや。下が上がるから、それに押し上げられる形で上も上がれるのに、下だけはそのままの位置で上だけ上がろうとしとる。ラピュタにでもいくつもりなのか? って話よ。滅んでるのにね。
DXの主語はどっちか ってのを考えてみたらええんやないかね。
リモートは四季で分ける
コロナ以降、リモートでも仕事ができることが判ったやん。けど、コロナが落ち着いてから出社に切り替えとるところも多いやろ。ホンマに日本人は0か100かでしか考えられんのよね。完全リモートか完全出社かのどっちかでしか考えられんのがダメなとこなんや。
そこで「四季で分けたらどうやろ」と思った。
出社… 春、秋
リモート… 梅雨、夏、冬
こう分けてみたらどうやろね。リモートだけやと身体を使わんなるき、脳の成長にも良くない。身体を使わないことで時間感覚が刺激されんから、どんどん衰えていく。けど、四季で分けると身体を使う時期はあるし、何より出社からリモート、リモートから出社に”切り替わる”ことで、四季を感じることになる = 時間経過を感じることになる やろ。
近年は猛暑で熱中症もあるし、それを防ぐことにもなるやん。外に出やすい季節は出社して、それ以外はリモートにすればええのや。
脳を成長させつつ、現代の利器も使う。
仕事においても生活においても『時間感覚』は大事やしね。
〜おわりに〜
『ともだ知 ''n'' 行』は今は
コンプライアンス的にNGでしょうね〜。
(出た。こんぷらいあんす というやつか。
めんどいやつや)
縛りがキツくなったのは
程度を知らないからでしょうね。
おおよそとかざっくりとかの感覚がなくなって
0か100かでしか捉えないからですよ。
(中途半端が嫌いなんやろ。そのせいで
苦しむのは自分なんやけどな。量子コンピューターが
出てきたらどうするんやろね)
量子コンピューターは0でも1でもないものを
使って計算するので、出てくる答えは
中途半端なんですけどね〜。
(まさか中途半端な答えを出すものを使うなんて
中途半端なことはせんやろな?)
使うでしょう。
あの人たちはいつも”口だけ”なので。
一貫性や信念などはないのですよ。
(そのくせ”武士気取り”なとこあるしな。
サッぶ〜)
赤ちゃんプレイが大好きですからね。
オムツを使うみたいですけどね。
(おっさんの変態プレイはキツい。
しかも会社でやるなよな〜)
プライベートでやるなら構わないんですよ。
そんなことまでいちいち感知しないので。
ただ、会社でやるのはダメですね。
(知性というより痴性になっとる)
お、うまいですね〜。
まぁメタ認知が起きないことには
改善は難しいでしょうけど。
(まったく… 世話の焼けるガキどもや…)
それではこのへんで。
(ほなまたね〜)
*参考書籍*
・物理学とは何だろうか(下) 朝永振一郎 岩波新書
・目に見えないもの 湯川秀樹 講談社学術文庫
・数学と人間 遠山啓 中公文庫
・脳の中の過程 養老孟司 講談社学術文庫
・「超」入門 微分積分 神永正博 講談社ブルーバックス
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