【ぼくとW杯サッカー】98年フランス大会〜イタリア編
1998年と言えば今年2024年から数えて26年前になる。ぼくは25歳だった。
大学卒業がかのバブル崩壊直後という時代感の中で、100社以上に履歴書を送り、書類審査を通過したのがたった1社という惨憺たる有様だったぼくは、お見事なまでに就活に失敗した超ダメ学生だった。失われた30年がほぼ社会人時代という世代になる。
なんとか親を説得して、建築の専門学校に通いながら”建築家”を目指すことにしたぼくは(大学での専攻は法学部)、98年春に卒業し、遅い社会人デビューをする予定だった。が、デビューはおろか、5月末に欧州へと旅立つ。そんなことしている場合か!と散々言われたことをよく覚えている。
名目は建築旅行
25歳のぼくはパスポートを持っていなかった。そう、海外に行ったことがなかったのだ。
正直、焦っていた。就活に失敗し、社会に出るタイミングが人よりも遅れている超ダメ人間であることではなく(笑)、外の世界を知らないでこのまま大人になっていいのか?という、今思えば、理屈の通らない甘っちょろい焦りがあった。
ただ、26年経った今、あの焦りとそれからの行動力は間違いではなかったと言える。その後の人生の幅を広げてくれたと思っているからだ。
「外の世界を見たい」
ローマin ローマoutの3ヶ月オープンの航空券と、10万円を手にしてぼくは人生で初めて海を渡る。ヨーロッパの建築をこの目で見て、肌で感じたい!というのは口実ではなく本心でもあり、ローマだけでも新旧さまざまな建築に触れることができると思ったからだ。
でも、ヨーロッパを選んだのには別の理由もあった。6月から開催される「 FIFAワールドカップフランス大会」を現地で触れるためで、このフランス大会は日本が初めてW杯に出場したエポックメイキングな大会でもあった。
サッカー大国イタリアでの体験
イタリアというサッカー大国にいたこともあり、グループステージ1位で突破したイタリアの歩みとともに、イタリア国内を建築行脚していくことになる。
6月11日、第1戦イタリアvsチリ
開始10分でヴィエリがゴールしてイタリア先制!ヴェネト州西部にあるヴェローナという街にいたぼくは、小さなカフェで大勢のイタリア人と一緒に街頭テレビのように観戦していた(笑)。
実はイタリアに入国したローマは出国もローマからということもあって2日ほど滞在しただけで、古代ローマ時代の円形競技場跡が街の象徴となっているほど中世の町並みがよく残っているヴェローナまで北上していたのだ。
2000年には「ヴェローナ市街」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録され、シェイクスピアの戯曲『ロミオとジュリエット』の舞台としても知られている街。
ヴィエリのゴールで気分上々のイタリア。が、前半ロスタイム(今でいうアディショナルタイム)にチリのサラスに同点ゴールを奪われ、後半開始5分でまたしてもサラスに逆転ゴールを許す(W杯終了後、この時の印象が強かったのか、サラスはイタリアの名門ラツィオに移籍する)。
「ロスタイムには気をつけろとあれほど言っただろ!」
「開始早々に逆転って、ふざけるな!」
ヴィエリのゴールでニコニコだったカフェのイタリア人たちは一気に険悪なムードに(汗)。
1点ビハインドのまま時間が過ぎ、極度のイライラが蔓延するも、試合終了5分ほど前にロベルト・バッジョのPKでからくも同点で終わると、ヴェローナの小さなカフェは消化不良な空気で満たされていた。
まだ中田英寿の存在すら知らないイタリアにあって(ヒデがイタリアに渡ったのはこのフランス大会後)、東洋人のぼくに矛先を向けられては危険だと思い、存在を消すかのようにカフェを抜け出したことを覚えている。
6月17日、イタリアvsカメルーン
第2戦となるこの日、商社マンとして赴任していた義兄を訪ねて、ぼくはミラノにいた。
ディ・ビアジョとヴィエリの2ゴールで3-0としたイタリアは快勝。そのゴールのたびにご近所の歓声が容赦なく聞こえてくる感じが、まさにイタリアだった。
勝利後のミラノ市内の様子でも見ようぜ!と義兄と一緒にマンションのベランダから外を見ると、クラクションを鳴らしながら輩が車から乗り出していたり、緑・白・赤の三色の国旗を振り回していたりで、TVとかでよく見るやつだ!と興奮したものだった。
こうして、カメルーンを破ったイタリアを見届けた翌日、スイスとの国境にほど近い北イタリアのコモ湖へ向かう。イタリア人建築家ジョゼッペ・テラー二が設計した「カサ・デル・ファッショ」を見学するために。
http://www.archi-map.jp/taniyan/foreign/italy/casa_del_fascio.html
「ファシストの家」と称されるカサ・デル・ファッショは、文字通りファシスト党本部として建てられ、訪れた当時は国境警備隊の本部だったのだけど、何も知らないぼくはバックパックを背負ったまま中に入ろうとした。
「お前、何やってる!」
国境警備隊の警備員の鋭い眼光ですごまれたぼくは、「ここはカサ・デル・ファッショだよね?ジョゼッペ・テラー二の建築を見たくて日本から来たんだ。さっきコモ湖に着いたばかりで....」と変な奴じゃないんです感を出してみたけど
「ダメだ。さっさと出ろ!」
と簡単に押し返されてしまう。
縁石で座り込んで途方に暮れている(ふりをしていた)ぼくに、ひとりの警備員が声をかけてくれた。
「どこから来たんだ? 日本か?」
「昨日のカメルーン戦は見たか?」
チリ戦はヒヤヒヤしたけど、カメルーン戦は快勝だったね!ぼくはロベルト・バッジョが好きで、イタリアを応援している。的なことを返した気がする。
「ここに荷物を置いて、パスポートを預けろ」
「30分だけだからな」
「ただし、カメラはNG」
確かに初海外だったけど、サッカーネタがピンチを救ってくれる。そんな場面がいっぱいあった気がする。
静謐な空間に天窓から差す光がサディスティックにさえ感じられ、ファシストが求めた厳格さを表現したかのような空間をぼーっと眺めていると、さっきの警備員がまた話しかけてきた。
「このあとどこに行く予定だ?」
「モダン建築が好きならミラノがいい」
イタリアは次戦のオーストリア戦も問題なく勝つだろう。グループ1位は間違いないだろうから、安心してスイスとドイツに行こうかと思っている。
そんなことを言ってコモ湖を離れた。
次回、ドイツでママチャリを買う
https://note.com/h_yamada/n/nb58ad2de9474