私と短歌②『世界中が夕焼け』から考えたこと
高校一年生のときに穂村さんの短歌が好きになった私は、『世界中が夕焼け 穂村弘の短歌の秘密』という本を図書館で借りた。
歌人・山田航さんが穂村さんの短歌を読み解き、それに対して穂村さんがコメントをするという形式の本だった。
短歌を読み始めた(詠み始めた)ばかりの私にとって、穂村さんの短歌は意味がわかるものもあればよくわからないものもあって、どう楽しめばいいのかちょっと掴めないでいた。(わからない歌がある、ということが不安だった。間違った読みをするのが怖かったのだ。)
だから山田さんが解説して穂村さんがコメントをする、その内容をちょっと見てみたいなあと思ったのだ。
結論。とてもためになる本だった。
穂村さんがコメントしたらネタバレになっちゃうじゃないかと懸念する人もいるかもしれないが、そこは絶妙なバランスで書かれていたと思う。
そして何より私が勇気づけられたのは、山田さんの読みと穂村さんの意図が一致しないことがまあまああった、ということだ。変な言い方だが「一流歌人の山田さんですら完璧に意図を読み解けないんだから、私がきちんと読み解けなくてもおかしなことじゃないんだ。むしろ短歌の解釈なんて読み手の数だけあるんだ。」と思えたのだ。別に作者の意図と読み手の解釈なんてぴったり合わないのが普通では?という気持ちになれた。(まあ、合わなすぎても少し困るかもしれないけど。)
そう、だから「解釈を間違えちゃうかも……」なんて余計な恐れは抱かずに、ちょっと難しい歌も自分なりに読みといて楽しめばよい。そして、読み手が新しい解釈をしてくれるかもしれないから、自分も怖がらずに詠んでみればよい。
そういう気持ちになれた、あのときに読んでよかった本だったと思う。
大学生になり「歌会」というものに参加するようになって、あらためて「歌の解釈は色々ありうるし、自分の歌が色々な解釈をされて面白い」ということを実感している。
そして、今の私は(たぶん)少し成長した。「歌の解釈なんて読む人の数だけあって正解なんてない。しかし、解釈の説得力の差は確実に存在する。」と思うようになった。
これは何度も歌会に参加したからでもあるし、文学作品についてテーマを持ち寄って話し合う授業のおかげでもある。
その授業で、教授がこんなことをおっしゃっていたのだ。「言葉に意味がひとつしかないなんてことはあり得ない。言葉には常に複数の意味があるから、文学作品の解釈も複数ある。どれが正解ということはない。しかし、説得力に違いはある」。
というわけで、今の私の目標の一つは「他の人の短歌について説得力ある評をできるようにする」ことだ。なかなか難しいが、少しずつ出来るようになっていきたい。
私の短歌の道はまだ、始まったばかりだと思うから。