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脱構築者としてのシン・ウルトラマン ーシン・ウルトラマン覚書ー

今年のエンタメ系最大の楽しみはなんと言ってもシン・ウルトラマンです。封切り初日も含め,すでに2回見ました。各種グッズやガリガリ君シン・ウルトラマンバージョンまで買う始末です笑。

その感想文ですが、盛大にネタバレしておりますので、ご注意くださいますようお願いいたします。

初代ウルトラマンのコンセプト

初代ウルトラマンの放送開始となった1966年当時,私は幼稚園生でしたが,リアルでしっかり見ていた記憶があります。それ以後夏休み等にある再放送も欠かさず見ており。これまで数限りなく本編を視聴しています。

当時から,私はウルトラマンよりも怪獣が好きでした。怪獣図鑑を何冊も買い,親にせがんで贔屓の怪獣のソフビを入手し,怪獣の身長体重や足跡まで,しっかり覚えていました。ウルトラシリーズにて出てくる怪獣は,デザイナーの成田亨さんのコンセプトのとおり,妖怪のような奇異性や恐怖感は追求されず,基本的に昆虫か脊椎動物に原型を置くもので,どことなく愛嬌があって憎めない存在として現れます。登場の仕方も,人間を最初から襲撃する目的ではなく,工事をしていたら偶然発見されたとか,環境破壊により長い眠りから目を覚まされたといった,怪獣の意図とは別に「心ならずも」「仕方なく」人間界に姿を表したパターンが多いのです。

初代マンでは、怪獣は「排除されるもの」としてのみ扱われるのではなく,女の子の死んだ母親が怪獣「ウー」となって蘇ったり,土管の落書きから生まれた「ガヴァドン」が夜空の星になったり,「シーボーズ」が怪獣墓場にロケットで贈り返してあげたり,火星から戻ってきたジャミラは国際会議場で手厚く葬られました。あのバルタン星人も,当初地球への移住計画の交渉をしたとき,ハヤタ隊員は移住に合意したりしているのです(その後交渉は決裂しますが)。

これらの回では,ウルトラマンは怪獣と人間の双方の立場を理解し,その間に入って,調停や仲裁,関係性の構築といった役割を担っているわけです。初代ウルトラマンでは,「排除するもの=人間」vs.「排除されるもの=怪獣」の二項対立の構図を,ウルトラマンが「脱構築」する,「脱構築者」としてのウルトラマンの姿が垣間見られるのです。

シン・ウルトラマンのコンセプト

そうした視点で,シン・ウルトラマン(シン・マン)を見てみましょう。
冒頭1分半でウルトラQの怪獣群が矢継ぎ早に惜しげもなく,湧き出るように登場します。ファンとしてはもはやここで涙なわけですが(心拍数今年最大値に達しました笑),ラルゲユウスを除きすべて人間により排除されています。ちなみに本編ウルトラQの「鳥の見た」はウルトラQの中で出色の名作です。鳥が去りゆく映像は本編とほぼ重なります。これ見た瞬間,庵野さん,樋口さん,どんだけウルトラ愛深いんか,と笑わざるを得ませんでした。

それは置いておいて,このシーンも,その後のネロンガ,ガボラの場面も禍威獣はいずれも単なる「排除されるもの」として描かれています。

シン・マンの基本的コンセプトは怪獣ではなく,その後のザラブ星人,メフィラス星人のような「外星人 vs.人間」に現れています。外星人は人類とは比較にならない強大な科学技術に加え,異次元空間を移動できるような超能力的スキルを持ちます。のみならず,星間協定の遵守や星の掟に忠実であるといった高い倫理観を持つため、他者とつながることなく個体として完結しています。

これに対し,人間は外星人から見ると,「群れ」をなし,国単位で動き,「未成熟で無闇に増殖する秩序の無い危険な群体(ザラブ星人)」に映るのです。初代マンでは「怪獣 vs. 人間」の二項対立であったのが,シン・マンでは「外星人vs. 人間」の二項対立にシフトしています。

野生の思考

そしてここにウルトラマンが登場します。ウルトラマンは光の国にいて人類の監視者の役目を負っているとされています。当初は禍威獣駆除が地球来訪の目的だったと思われますが,逃げ遅れた子供を守ろうとした神永が地球到着時の爆風のために死んでしまう場面に遭遇します。このシーンはほんの数秒ですが決定的に重要です。

ウルトラマンは,神永の,自分の命を顧みずに子供を救う,すなわち自己犠牲の精神を目の辺りにして,おそらく非常な衝撃を受けたものと思われます。この精神はメフィラス,ザラブなどの外星人はおろか,光の国にさえないものです。

その後ウルトラマンは神永と融合して神永を生かします。あきらかに「監視者」という光の国での役目から逸脱した,掟に反する行為です。そこまでして神永を生かすほど,この行為はウルトラマンに衝撃を与えたものと思われます。

ちなみに,初代マンでは,ウルトラマンが怪獣ベムラーを追って地球にやってきた際にハヤタ隊員と衝突してしまうわけですが,このときなぜ初代マンがハヤタと融合したかは謎のままでした。初代マンのメインライター,金城哲夫さんはこの点に苦心されたといわれていますが,そこがしっかりクリアされていると思われます。

このあと神永が図書館にこもり人間について勉強しますが,神永が高速黙読してた書物が,本編の最重要コンセプトに関連するレヴィ=ストロースの「野生の思考」です。

レヴィ=ストロースは20世紀のフランスの文化人類学者ですが,構造主義という方法論により,それまでの西洋中心主義を批判し,未開社会と言われるところにも文明社会に匹敵するような精緻で合理的な思考が存在することを明らかにしました。その代表作が「野生の思考」です。

レヴィ=ストロースはブラジルでのフィールドワークで,アマゾン川流域の先住民族たちの世界が決して野蛮で未熟なものではなく、合理的で豊かなものであることを発見します。彼はそれを「野生の思考」と呼びました。

ウルトラマン=神永は「野生の思考」を読むことで,あるいはここに「野生の思考」を登場させることで,ウルトラマンが人類=未開社会という図式を捉え直し,浅見弘子をバティー=相棒とみなし,禍特隊の仲間を信頼し,「群れ」を肯定的に捉えるのでした。

外星人から見れば,「外星人=利己的,自己完結的,合理的」vs 「人間=未開,非合理」という二項対立として映りますが,ウルトラマンから見れば,人間は自己犠牲の精神に溢れ,仲間を信頼し,外星人にも劣らない合理的な思考を持っていると捉えられたのです。

ここまでの段階では,2匹の怪獣を退治しているとはいえ,ウルトラマンはレヴィ=ストロース同様観察者としての立ち位置をキープしていました。
そこへゾーフィの登場,そしてゼットンです。

利他的レヴィ=ストロースあるいは脱構築者としてのシン・マン

予告編ではメフィラスまでしか知らさせていませんでしたが,ウルトラ怪獣中最も私の好きなゼットンも絶対出てくると信じていました。ですので「ゼットンなのか。」神永のこのセリフでまたまた鳥肌100%となりました。

それはさておき,ウルトラマンはゾーフィによる人類殲滅の尖兵として送られたゼットンに対し,人間を生かすために自己を犠牲にして立ち向かいます。この場面は前半の神永の自己犠牲をそのまま継承したものと思われます。ここで単なる監視者にとどまらない,いわば「利他的レヴィ=ストロース」としてのウルトラマンが描かれることになります。

さらにウルトラマンはベータカプセルのメカニズムに関するヒントを人類に授けた上で,「群れ」を信条とする人類がウルトラマンからの情報と,各国の科学者たちの知恵知識を,まさにありあわせの材料として日曜大工のように組み立てることで,ゼットンへの対抗策を編みだすわけです。ここでやはり「野生の思考」に出てくる「ブリコラージュ=日曜大工あるいは器用仕事」が発揮されていると考えられます。

こうして,人類はウルトラマンの力は借りたものの,自らの手でゼットンを倒したわけです。ここに来て,人類は外星人に屈服しない「未開」のものから脱したのです。「外星人=上位概念 vs. 人類=未開」「外星人=プラス vs. 人類=マイナス」という二項対立が,ウルトラマンの自己犠牲と人類のブリコラージュによって,両者を対等で両立するものへとシフトしたのです。その意味でウルトラマンこそ,この二項対立の脱構築者ということができます。

ラストシーンで,ウルトラマンはからだをプランクブレーンに残し,命は神永に譲ったことになっていますが,今後ウルトラマンが何からの形で地球に残るわけで,その意味でも外星人vs.人類という二項対立の脱構築者として存在していくものと思われます。
ウルトラマンは、最後まで、そしてこれからも「野生の思考」を体現して行くのです。

最後に,疑問点。

まず,最後に目が冷めた神永の人格はウルトラマンだったのか,神永だったのか。初代ウルトラマンでは最終回で,それまで全部の回におけるハヤタはウルトラマン人格であり,最後にハヤタの記憶が戻ったことになっていますが,シン・マンでは目が冷めた神永ははたしてどちらの人格なのか。明らかになっていません。

もう一つ唯一の不満。
初代マンで提示されていた,「単なる排除されるもの」ではない愛すべき怪獣の姿が今回は見られなかったですね。初代マンの最大の魅力は毎回繰り出される怪獣のバリエーションです。そしてある意味悲しみを帯びたその出自や死に際,立ち去り方です。シン・マンではあくまで怪獣が「排除されるもの」として描かれていてそこの二項対立はそのまま残りました。次回に期待したいです。

シン・ゴジラの持つ多様性,複雑性にくらべると,シン・マンは「二項対立の脱構築者」という観点から見れば,シンプルなものと言えるかもしれません。しかしその構造はやはり私たちウルトラ世代を存分に楽しませ,今まで生きていてよかったと思わせるほどのモニュメント的作品だと言いたいのです。

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