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クリスマスイブ【エッセイ】

クリスマスイブ〈Christmas Eve〉
 クリスマスの前夜。十二月二十四日の晩。また、その時に行われる降誕前夜祭。聖夜。

(『旺文社国語辞典[第十二版]』より)


1

 今年のクリスマスイブは平日だったので、いつも通り仕事だった。この時期はいつも忙しく、疲れも溜まっていたので、もうこのまま帰ってしまおうか…とも思ったが、いや、ここで行動しないでどうする、と自分を奮い立たせ、帰りの電車を乗り継ぎ移動した。向かう先はデパートに入っている鰻屋。というのもここ数年、クリスマスイブは鰻を食べることにしているのである。これまではデパ地下で鰻を買って家で食べていたが、やはり、あの漆塗りの重箱に敷き詰められた鰻を食べたいと思い、今年は店で食すことに決めていた。

 ショッピングセンターは閉店時間の20時を過ぎていたので、エントランスではスタッフが帰路につくお客に丁寧に頭を下げ、見送りをしていた。エントランス前の案内板で、目当ての店がある階数を確認してから、エレベーターでレストランフロアのある8階へと上がっていく。

 人が何人もいるのに、静かなエレベーターの箱の中。日頃の仕事や実家のモヤモヤから、僅かではあるが、少しずつ思考が離れていく。

 今日は、祖母の命日だ。


2

 23年前の今日、私は実家にいた。固定電話が鳴ったので出てみると、相手は父親だった。

「おばあちゃんが息をしてないらしい」

 どのようにして集結したかは記憶にないが、その後しばらくして、私は家族と叔父の6人で病院へ行き、病室へと案内された。サッとカーテンが開けられると、祖母が、静かに横になっていた。あまりにも眠っているようだったので、祖母がもう息絶えていることを、すぐには信じられなかった。

 死亡時刻は、2001年12月24日16時だった。

 その後、霊安室のある地下へ移動するため、祖母のベッドとともに、廊下に出た。廊下を移動するとき、各病室のドアの前にはパーティションが立てられ、移動の様子が入院患者の目に触れないよう配慮されていた。1人の女性がちょうど廊下に出ており、タイミングの悪いところに居合わせてしまったと思ったのか、肩をすくめながら軽く会釈し、私たちの歩みを遮らないよう、素早くパーティションの隅に避けていた。

 霊安室のある地下へ行くのは、初めてだったこともあり、怖かった。エレベーターが降りていく中、“家族がいるから大丈夫”と、自分に言い聞かせながらも、きっと肌寒くて、薄暗くて、如何にも幽霊が出そうなところなのだろう、と思っていた。いざ地下に着くと、そこは他の階と同じくらいの明るさで、肌寒さも感じられなかった。なんだ、意外と大丈夫かな、と思ったが、“ここには窓が無い”ということに気が付くと、やはり閉鎖的で異質な感じがして、緊張した。

 霊安室の準備作業のため、私たちは控え室に案内され、しばらく待機となった。その部屋で、母の目は赤かったが、それでも涙は流さず、

「やることはやったから、後悔していない」

と言っていたことを、今でもはっきりと覚えている。同時に、いずれ私にもこういうときが来るんだ、と、今まで感じてこなかった現実が垣間見え、なんだか寂しい気持ちがしたことも、忘れずにはいられない。

 その後、準備の整った霊安室では電気式のロウソクが灯され、各々祖母の前で、少し長目に手を合わせた。


3

 一通りのことが終わった後、母親が「お腹が空いたね」と言い、母と叔父、私の3人で、病院の道路向かいにある洋食屋に入った。そこは警察署横の古びたビルの2階にあり、長年夫婦で営んでいる、美味しいハンバーグで有名な店だった。店の道路に面した部分はガラス張りで、私たちはそのガラス横の席に座った。母と叔父は私が見る限りしんみりしている様子はなく、いつもの声のトーンで、兄妹仲睦まじく話をしていた。ガラス越しに、先ほどまでいた病院と、ガラスの結露でぼんやりした街路灯の灯りが見えた。

 “今日はクリスマスイブで、これからは、おばあちゃんの命日なんだ”。

 そう思うと、焼きたてのハンバーグが、身に染みた。


4

 2024年12月24日。イブに鰻屋に入る人なんて他にいるのだろうか、と思いつつ、少し緊張してお店に入ると、アルバイトらしいスラッとしたお兄さんに、「何名様ですか?」と声をかけられた。人差し指を立てて、1名で、と伝えると、一番奥の4人掛け席に案内された。席に着くまでの間に、2組の男女の客が既に食事をしている姿が視界に入り、“イブに鰻を食べるのもアリなんだ”と、ひとり勝手に安堵した。

 店の一番角にあたる席に腰を掛け、右隣の席に荷物を置く。出された緑茶を口にすると、自然と短いため息が出た。メニュー表に目をやる。もう注文する品は決まっていたが、一緒に、滅多に頼まないビールの中グラスも頼むことにした。少しはイブのお祝いムードにも触れたい、という本音があった。注文後、最初にビールが運ばれると、“お疲れ様”と自分に声をかけた。それを二口ほど勢いよく飲み、また、ため息をついた。ちょうど喉も乾いていたので、余計に美味しく感じた。

 しばらくして、漬物が盛られた小皿、肝吸い、そして朱色の蓋付きのお重が、お盆に並べられて目の前に置かれた。ゆっくりとお重の蓋を開けると、懐かしい甘い香りがしたので、少し深く吸い込んだ。まずは肝吸いを少し啜り、舌を馴染ませる。次に、重箱の鰻と下のご飯とを割り箸で一口サイズに区切り、口へと運んだ。鰻は焼きたてで、熱々だった。冬の寒さのせいか、はたまた先ほどのビールのせいか。内蔵が冷えていたため、ゴクンと飲み込むと食道、続けて胃が温かくなるのを感じた。

 美味しい。けれども、あの時食べたものとは、やはり違う。あの頃、あの夏の暑い日に食べた鰻とは、全く違うのである。

 鰻重を半分ほど食べ進めたところで、先ほどの店員がラストオーダーを知らせてきたので、「大丈夫です」と伝えた。さっきまでいた他のお客は、会計を済ませてもういない。店の奥からは、洗い物をしている音がする。ゆっくり物思いに耽りながら鰻を食べ続けるのは何だか気が引けたので、パクパクと鰻、漬物、肝吸い、ビールと、相次いで口にし、食事に集中することにした。

 先にお盆の上の食事を済ませたので、店員が先にお盆を下膳した。お腹いっぱいの中、残ったビールを消費するその間に、少し、昔の事を思い返した。


5

 幼い頃は毎年夏に、両親と2人の姉、私の5人で、東京都荒川区にある祖父母の家によく行っていた。お盆の帰省というよりは、掃除が苦手な祖母に代わって、家族総出で夏の大掃除をするためだった。各々に掃除する場所を割り振られ、私も子どもながらに、精一杯のお手伝いをしていた。それは頑張った後に、“ご褒美”があったからかもしれない。

 昼近くになると、祖母がいつもの店に電話をする。何となくそわそわしていると、しばらくしてインターホンが鳴り、祖母が玄関へ向かう。居間から「お昼ですよ」と声が聞こえると、みな動かしていた手を止めて居間に集まり、いわゆる昔ながらの、ずっしりと厚みのある座卓を囲んだ。目の前には人数分のお重と、割り箸。蓋を開けると、端から端までしっかりとタレをまとった鰻が、2枚並んでいた。私と家族と祖父母と。みな、同じ鰻を食べていた。


6

 会計を済ませ、店を出て、エレベーターで階を降りていく。布で目隠しされ、静かになったショッピングモールの間を通り抜けて外に出ると、食後で体が温まっているせいか、寒さを感じなかった。

 今頃、巷の子どもたちは家族とクリスマスケーキでも食べながら、サンタさんからの贈り物を楽しみにしているのかな。カップルはイルミネーションでも観ながら、幸せなひとときを過ごしているのかな。聖なる夜、教会に足を運んで、祈りを捧げている人たちもいるだろうな。普通に仕事をしている人も、たくさんいるだろうな。

 ひとり、駅に向かう歩道橋の上。空は濃紺色。星がチカチカ。

 祖母は今の私を見て、どう思うだろうか。“お仕事頑張ってるわね”と、言ってくれるだろうか。“あたしと似て、掃除が苦手ね”と、笑うだろうか。

 ひとまず、これだけは祖母に伝えることができる。
 “私、鰻をビールで流し込む、大人の女になったよ”と。


(終)



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