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「福島県生まれ」「宮城県出身」でゆれ動く訳者紹介

私は福島県で生まれましたが、訳者紹介文にはたいてい「宮城県出身」と書いてきました。

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なぜこうしてきたかというと、

「福島県生まれ」と書いたら、子ども時代をずっと福島で過ごしたと勘違いされないかな?

福島には小学1年生の夏休みまでしかいなかったし、それ以降、高校を卒業するまでは宮城にいたわけだから、宮城と書いたほうがよくない?

そもそも両親とも宮城の人間で、私の結婚前の本籍も宮城だし……。

でも「宮城県生まれ」と書いたら嘘になるから……「宮城県出身」はどうだろう?

などと、はっきり言ってどーでもいーことをえんえんと考えてしまったからです。

けれど一度だけ、「福島県生まれ」と訳者紹介文に書いたことがあります。アンドルー・ラング世界童話集(東京創元社)を共訳したときです。

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こう書いた理由は、共訳者全員「○○生まれ」で統一することに決まったから、でした。このときは、

「あれ、この訳者、宮城の人じゃなかった? 福島なの?」と思う読者がいるかも? まぎわらしくてごめんなさい!

などと考えていました。はい、これもどーでもいーですね。というか、自意識過剰ですね。

でも、もしかしたら日本に一人くらいは疑問に思っている方がいるかもしれないので、ここで説明しておきます。すっきりしていただけたら幸いです。

ちなみに私は福島も宮城も大好きです。7歳までしかいなかったとはいえ、福島のことはしっかり覚えています。

平屋の家に、父、母、兄、弟、犬の「まり」と住んでいたこと。
右隣のリンゴ畑で、リンゴの花の受粉を手伝わせてもらったこと。
左隣の田んぼで、カエルの卵をよく見かけたこと。
犬があまりにかわいくて、幼稚園まで連れていったこと。
仲良しの女の子が3人いて、よく家に遊びにいったこと……

などなど、楽しかった思い出がたくさんあります。

宮城に引っ越してからは、大河原町というところに住んでいました。こちらの記事に書いたとおり、桜並木がとても美しい町です。

私は毎日、この桜並木の道を歩き、蔵王山を見ながら白石川をわたって学校に通っていました。福島に負けないくらいのんびりした町で、兄弟や新しくできた友だちとよく外で遊んでいました。

実家は2008年に仙台市に引っ越したので、2011年の震災のとき、両親は仙台にいました。そのせいで、ライフラインがとまって食料も買えなくなるという状況に陥りました。

年老いた両親に寒い部屋でひもじい思いをさせておくのは心配だったので、落ち着くまで東京の我が家に避難してもらいました。ライフラインがすべて復旧して仙台に戻れるようになるまで、1か月以上かかりました。

4月に両親を送っていったときは、まだ新幹線が福島止まりだったので、福島で在来線に乗り換えて仙台まで行きました。原発事故のこともあり、悲しさと悔しさが入り混じったような、とても複雑な気持ちで久しぶりに福島におりたったのを覚えています。

仙台に着いてみると、実家の近所や海辺の町はまだこんな状態でした。

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従弟の家や叔父の会社が津波で流されたと聞きましたが、幸い、命までとられた身内はいませんでした。

あれから10年。アスファルトが割れてでこぼこだった通りも、ガラスが飛び散っていたお店も、石灯籠が崩れ落ちていた小さな神社も、今はすっかりきれいになっています。

父が福島に建てた平屋の家も、震災後にとりこわして更地になりました。賃貸の管理などが難しくなっていたので仕方なかったとはいえ、家がなくなって土地も手放したときは、やはりちょっとさみしかったです。

今後、東京も東北もどうなっていくかわかりませんが、今のところ老後は宮城で暮らすことを考えています。なので、最近は訳者紹介に出身地や在住地を書くのをなるべくやめることにしました。でも、

宮城に引っ越したら「福島県生まれ。宮城県在住」と書くのもあり?

少しは福島や宮城の子の励みになったりする?

いや、ちょっと待て。そもそも老後にそんなに仕事があるのか?

などと、またどーでもいーことをつい考えてしまう私でした。