「高いクオリティ」という正体不明の恐怖
NPOのろしのメンバーに向けて呟いたことを、自分で振り返る本連載。
第一弾は、約半年前に呟いたこんな言葉。
*峯川の言葉
地域の活動は、何かしらやれば、みんな口を揃えて「いいねー!すごいねー!」の大合唱。その怖さ。
確かにその地域では凄いことなのかもしれないけど、全国、世界的に見たら、どう評価されるか?その視点も必要。
それが、素人集団であるNPOのろしの、永遠の課題なんです。
本業でもプロでもないので。クオリティの担保がない。測定も自分たちで出来ないから、尚更。
だから、常に他の地域の事例をどんどん吸収しまくって、より良いものを目指さなければいけないと思うんです。
(今はまだスタート期なのでクオリティはそこまで問わないけど、来年度(2019年度)からは、クオリティもちゃんと考えて活動していきたい。自信を持って外に、他の地域に出せる。そんな活動をやりたい)
こう考えるに至った、きっかけの記事はこちら。
*当時読んだ記事
都会に比べて、高いクオリティを知ってる人がどうしても少なくなるので、内容に関してなかなか指摘できないんですよね。だから仕事をする上の指標が自分の絶対的な評価しかないので、すごく悶々とすることが多くて。
ゲストとして第一線のプレイヤーたちを呼ぶということは、単に彼らに地元のことを知ってもらうだけではなく、プロのフィードバックを得られる成果もあったと。
*いまの峯川が感じること
1)「高いクオリティ」の基準がまだない。
「高いクオリティ」を目指したいことは、今でも変わっていません。まだ未達だと思ってます。しかし、冷静に考えると、そもそも自分たちが目指すべき「高いクオリティ」とはどんなものか。その定義が不明確だなと。
2)正体不明なものに恐れるほど、ヒマなのか?
不明確なくせに、「まだこんなもんじゃない…もっと上を目指すべきだ」という焦りと不安は募るばかり。しかも、あまり周りには共感されないもんだから、余計に悩む。そんな今日この頃。
・・・いや、ちょっと待て。言語化も出来ていないし、ゆえに人にも伝わらない。それで悩むって・・・俺ヒマなのか?笑
悪いが、そんなヒマじゃない。
(以前お付き合いしていた人に注意された、「やめた方がいい言葉遣い」第一位)
そう考えると、もう気にならないし、気にしてる場合ではないですね。
のろしの考える「高いクオリティ」とは何か。それを明文化するのが、私が直近でやるべきこと。
また少し、頭の整理がつきました。
お付き合いいただきありがとうございました。