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(書評) 好きな短編から①---「つゆのひぬま」山本周五郎

1冊の本の紹介ではなく、好きな短編を独立して紹介する新シリーズです。

(固定テンプレ)
洋の東西を問わず、長編小説より短編小説のほうが好きだ。
短いとか読みやすいとかではなく、作家の真髄が最も発揮されるのが短編だから。人生の一瞬を切り取り、光と翳を描く技が最も活かされるから。

「短編小説は、ただ短いことによって成立しているのではない。長くはないことが必要条件であるとしても、ただそれだけでは生れない。短さが鑿(のみ)となって刻み上げ彫り上げた世界が、短編小説を生み出す」
「短編小説とは小説形式の芯にあるものであり、何よりも小説の芸術性・文学性(社会性・娯楽性などではなく)と作品深部で強く繋がっているもの」
(黒井千次 エッセイ「書くことと生きること」より)

「物語のなかには短いほうがいいものもあります。私は実のところ、十五ページしか必要としない物語をよく思いつくんです。十五ページにしてもなお、魔法のようで、この上なく素敵な伏線も含まれるストーリーを。…私は短編小説を愛しています」(ジェフリー・アーチャー)


たとえば、好きな作家(私の場合は故人が大半だけど)の未読の短編集を読んでいて、胸に響く珠玉の作品に出逢った時の喜びは、私には「至福」としか言えない。読者にそう思われたなら、作家には本望じゃないかとも思う。

時代小説に限ると、私はマニアックな読者ではないけれど、数はそれなりに読んでいる。ただ、どの作家も長編より短編のほうを多く読んでいる。

時代物の名短編は多い。誰のどの作品が好きかは人それぞれ、とお断りした上で、私が読んだ時代物の短編で一番好きな作品が、この「つゆのひぬま」。
山本周五郎は好きな作家の一人で、私には珍しく長編も読んでいるが、胸に残る作品はやはり短編のほうが多い。
この作品は山本文学特有の叙情、ヒューマニズム、清冽な哀感、余韻…の典型的な作品で、読んだ後に綺麗な水がひたひたと胸に沁みわたる思いがする。

(ネタバレを含みます。知りたくない方はスルーを)


物語の舞台は場末の遊女屋。遊女にランクがあるとすれば、ここの遊女たちはおそらく最底ランクに近い。吉原のように一見華やかな世界ではなく、客筋も彼女たち自身も地味で、町外れでひっそり営業している。女将と4人の遊女の小世帯だ。

姉御格のおひろは武家出身。零落し、稼ぎを貯めて病身の夫に仕送りしている。控えめな性格のおぶんは、父と兄を悲惨な事件で亡くして天涯孤独の身。事件のショックで体調を崩し、しばらく仕事を休んで寝込んでいた。


ある晩、病み上がりのおぶんに新規の青年客・良介が訪れる。しかし彼はおぶんに何もせず、異様な様子でいかにも怪しげだ。良介はその後も度々訪れる。おぶんは彼の身の上話を聞いて、自分と重なる不幸な境遇に同情するようになる。
海千山千のおひろは、おぶんが良介に惹かれているのを見抜いて忠告する。遊女に本気の恋愛は禁物だと。


…おひろは続けた。「みんながみんなとはいわないけれど、たいていの人が、軀(からだ)か心かどっちか、傷つくか病むかしていて、ほかでは気もまぎれず慰められもしないのね。こういうところのあたしたちみたいな女、いってみればどんづまりのせかいへ来て、はじめて息がつけるらしい、ちょうど、暴風雨(あらし)に遭って毀(こわ)れかかった船が、風よけの港へよろけこんで来るようなものよ、そう、ちょうどそんなふうなんだと思うわ」

おぶんはゆっくり頷いた。
---あの人も毀(こわ)れかかった船のようだ。
良介というあの男も、やっぱり暴風雨(あらし)に遭って毀(こわ)れかかっている船に似ている、とおぶんは心の中で思った。

「港にいるうちは、船は港を頼りにするわ」とおひろはまた続けた、「けれども、暴風雨(あらし)がしずまり、毀(こわ)れたところが直れば出ていってしまう。そうして、港のことなんかすぐに忘れてしまうものよ、ほんと、あたしよく知っているわ、しんじつだと思うのも、ほんのいっときのことよ、露のあるうちの朝顔で、露が乾くと花はしぼんでしまう… 」

「おぶんちゃん、どんなにしんじつ想いあう仲でも、きれいで楽しいのはほんの僅かなあいだよ、露の干ぬまの朝顔、ほんのいっときのことなのよ」(本書より)
 


良介は自暴自棄になっており、自分をここまで苦しめた相手に復讐しようとする。おぶんは彼を立ち直らせようと懸命に説得するが…


女将が旅に出ているある日、遊女屋の一帯を大雨が襲う。遊女の一人は女将に金を届けに遠出し、もう一人は大雨を恐れて逃げ出し、おひろとおぶんだけが残される。雨は激しさを増して床上浸水が酷く、二人は屋根の上に登る。助けが来る気配はない。死を覚悟したおひろは、今まで隠していた自分の秘密を打ち明ける。ある嘘が自分の生きる支えになっていたのだと。


その時、小舟を不器用に漕いで良介がやってくる。「あの人、来てくれたわ、やっぱり来てくれたわ」と震えるおぶん。おひろは自分が「露の干ぬま」と言ったことを詫びる。「この水の中を来てくれたこと、忘れちゃあだめよ、これがしんじつっていうものよ」。

小舟には二人しか乗れない。とりあえず良介はおぶんを乗せて遠去かっていく。どん底の中で出会い、微かな希望を胸に再出発する二人。
そんな二人に、今まで必死に貯めた稼ぎを全て渡して見送るおひろ。
私は最後の部分も、とても好きだ。


「一人ぼっちね」とおひろはゆっくりあたりを眺めまわし、それから空を見上げて呟いた、「ーーお星さまがきれいだこと」(本書より)
 


洋楽やワインを愛し、実はモダンな感覚の人だった山周は、現代物も書いています。とっつきやすい、ヒューマン&ライトミステリー的な短編集。

NHKラジオの山本周五郎の随筆の朗読。PC、スマホで聴けます(無料)

「「小説・日本婦道記」など「武家もの」で知られる小説家・山本周五郎の、歳末の情景を描いた随筆をお届けします。
常に弱く貧しい者の側に立ち、独自の文学を展開してきた山本周五郎。
歳末の情景を記した随筆には、庶民の生活によりそった、あたたかい心情があふれています。昭和30~33年に書かれた随筆「年の施の音」「酒屋の夜逃げ」「六月おおみそか節」「暗がりの弁当」をお聴きください。」


★おまけ
私が推す岡本綺堂。代表作『半七捕物帖』は海外ミステリー短編が好きな人にもおすすめ。
彼の短編は、こわ面白くて中毒性が高く、ハマる。中公文庫からシリーズで出ています。


閲覧ありがとうございました。皆様、台風にご注意を!





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樹山 瞳
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