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(書評) 奥多摩の大自然と人情。異色の警察小説---『駐在刑事』『尾根を渡る風』

主に旧作を中心に、おすすめの本を紹介しています。旧作でもマイナーでも良い本は沢山あるので、そういう本が目に触れるきっかけになればと思っています。



★「駐在刑事」「尾根を渡る風」 笹本稜平 (講談社文庫)


行楽の秋、読書の秋---。どこかに行きたいけれど難しいという方にも、ちょっとした小旅行気分と、しっとりした読後感が味わえる本をご紹介。

何を隠そう(?)私はテレビ東京のドラマシリーズ「駐在刑事」のファンなんです。たまたま旅先で見て気に入り(当地では放送していなかった)、特別編を含めてネットの有料配信も利用して全話見ました。今のところ新シリーズが始まる話を聞かないので、もう終了なのかなあ…残念。

これはドラマの原作で、世界を舞台にした冒険小説や山岳小説を多数発表している笹本稜平氏が、奥多摩を舞台に「駐在さん」の遭遇する殺人事件を描いたシリーズ。

ドラマをご覧になった方は奥多摩の美しい自然が印象的だったと思う。それもそのはず、ドラマ制作陣のコンセプトが「日本で一番美しいドラマを作る」だったとか。原作も細密な自然描写を背景に、主人公の元刑事・江波の心の傷が少しずつ癒やされていく姿が描かれている。大自然+殺人事件+ヒューマニズムという異色の小説だ。

警察小説や山岳小説は、ハマれば面白いのだろうけど、"ザ・男の世界” というか…私を含めて女性はその種の本にはイマイチ手が伸びず、コアなファンは圧倒的に男性じゃないだろうか。でもこのシリーズには女性も多く登場するし、子供や愛犬、近所のお婆ちゃん等も重要なキャラになっていて、警察物や山岳物に縁のない女性でも、たぶん抵抗なく読めると思う。


主人公は、警視庁捜査一課の敏腕刑事だった江波淳史。
殺人事件の容疑者の女性を取り調べ中に、女性は服毒自殺してしまう。江波は内心、女性は無実だと信じて取り調べも気が進まなかったものの、上からの命令で仕方なく取り調べていた時の出来事だった。

調査の結果、江波に過失はないという結論になったが、江波は女性の死にショックと責任を感じて刑事の仕事に嫌気がさす。そして空席だった奥多摩の駐在所に自ら希望して赴任する。
都落ちと陰口を叩かれながら、捜査一課の花形刑事から過疎地の駐在さんに。独身(バツイチ)の江波には妻子もいない。何もかも失った状態で知らない土地にやってくる。

そんな江波を温かく包んでくれたのは、奥多摩の "懐の深い" 大自然と、そこに住む気のいい人達だった。都会では薄れてしまった近所付き合いや義理人情。他人の世話をやく、お節介で親切な人達。奥多摩を愛して地に足のついた暮らしをする人達…本書の縦糸が殺人事件とすれば、横糸は江波と住人達との飾らない交流だろう。

質朴な住民達との交流を通じて、江波は警察官である以前に人間として大切なものや、生きる意欲を取り戻していく。
様々な殺人事件が起きるけれど、ミステリー的な謎解きよりも被害者や犯人を含めた人間模様が読みどころになっている。


笹本氏は南極を始めとして、国際的スケールの冒険小説や山岳小説を多数書いているが、ご本人は身近な自然を舞台に書きたいという思いをずっと抱いていたそうだ。

厳しさよりも優しさ、痛みよりも癒やし----。人と自然が対峙するのではなく共生するような、そんな穏やかで小さな世界での人々の心のふれあいを縦糸に、それでもなお人が絡めとられてしまう犯罪という不条理を横糸に、山里の駐在所に赴任した元刑事の魂の再生を描く---。
(『駐在刑事』あとがきより)

このシリーズの魅力の一つが臨場感たっぷりの自然描写で、冒頭に「小旅行気分になれる」と書いたのは、下に引用したような描写が多数出てくるから。

笹本氏ご自身、奥多摩には足繁く通ったといい、「山は深いのに人の暮らしに近く、人と自然が穏やかなグラデーションで繋がっている」と評している。奥多摩だけでなく北アルプス等の山を舞台にした事件も発生して、アウトドアに縁のなかった江波も本格的な登山を楽しむようになる。

壮麗な山岳のパノラマが、入日に照り映えて灼熱の朱に染まっている。
高瀬川の渓谷を堰き止めるように北に鎮座する針ノ木岳と蓮華岳。燕岳から大天井岳に至る表銀座の稜線が目の前に障壁のようにそそり立つ。そして南には大槍の三角錐を天に突き刺す北アルプスの盟主、槍ヶ岳----。

いまは九月下旬。奥多摩の山々が色づくのはだいぶ先だが、湯俣温泉の裏手の高台から望む峰々の稜線近くはすでにあでやかな紅葉の錦を纏っていた。赤みを増した落日がその彩りの妙をいっそう際立てる。背景には金泥に縁どられた高層雲を浮かべて深紫から真紅へと華麗なグラデーションをみせる黄昏の空。江波はその美しさに息を呑んだ。
(『秋のトリコロール』から)


江波は足場の悪い現場をくまなく歩き、犯人と被害者を結ぶ糸を探っていく。いくらAIが進歩してもリアルな風土や人間性を知らなければ、事件の背景や内情は分からない。
捜査の中で、警察官としての立場と一人の人間としての葛藤に悩む場面も出てくる。

警察官としての立場に拘泥するなら、この三人の行動にブレーキをかけるのが自分の職務だ。思いは彼らに重なるにせよ、江波には組織に属する者としての規律がある。できることといえば、その枠のなかで良心に照らし最善を尽くすことだけだ。しかし一個の人間としての立場から言えば、その矩(のり)を超えてでも行動すべきときがある。

(中略)あのとき職を辞してでも女の無実を主張していれば、一人の人間の命が救えたはずだった----。そんな思いがいまも心の奥で疼き続ける。
体の芯を感情の熱風が吹き抜けた。電気に打たれたように江波は立ち上がった。いま生きなければいつ生きられる。組織の規律に縛られた歯車としての一警察官ではなく、魂の声に忠実な一人の生身の人間として----。
(『春風が去って』から)

惜しいことに笹本氏は2021年に急死された。もうこのシリーズが読めないのが寂しい。テレ東さん、続編お願いします〜 (´ェ`)

ドラマの寺島進さんはイメージにピッタリ

※ドラマの加倉井監理官はスマートでクールなイメージなのに、原作ではかなり違っていて、ちょっと笑いました。

ドラマを未見の方は、こういう動画を見てから読むと実感が湧くかも。


ここまでお読み頂き、ありがとうございました (´ェ`)

映画化された、ヒューマニズムあふれる小説『春を背負って』もおすすめです。



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