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(書評) 人間を信じたくなる、痛快で爽やかなリベンジ長編---『誇りと復讐』

主に旧作を中心に、おすすめの本を紹介しています。旧作でもマイナーでも良い本は沢山あるので、そういう本が目に触れるきっかけになればと思っています。


★「誇りと復讐(上・下)」 ジェフリー・アーチャー (新潮文庫)


前に「現代の欧米のエンタメ系小説家で最も資質に恵まれているのはジェフリー・アーチャーとスティーヴン・キングではないかと思う」と書いたことがある。ジャンルは違えど、どちらも稀代のストーリー・テラーだから。


キングはホラーの帝王だが、『スタンド・バイ・ミー』のような青春小説の傑作も書いている。アーチャーも『百万ドルをとり返せ!』『ケインとアベル』といった傑作長編からバラエティ豊かな短編集まで守備範囲が広い。
両者とも長編も短編も巧みで、前回のデュ・モーリア同様、天性の物語作家なのだと思う。


アーチャーという作家は波瀾万丈の人。英国議会史上最年少で当選した下院議員だったのに、詐欺の被害に遭って破産し辞職。その後政界復帰してサッチャー政権の要職も務めるが、スキャンダル(真相は不明)で政界を去る。
その後ロンドン市長選の候補に決まるが、偽証罪等の容疑で告訴され(真相は不明)、有罪となり2年間の刑務所暮らし。
これで終わりかと思われたが、獄中記を出版し、また作家業で順調。

ーーこう書くとトラブルメーカーの胡散臭い人物のように思われるかもしれないが、私生活はともかく小説家としての才能は第一級だし、度重なる裁判の経験や刑務所での体験も結果的に小説の "肥やし” になっていて、「転んでもただでは起きない」作家魂を感じる。


この作品は、現代版の『モンテ・クリスト伯(岩窟王)』と男性版の『マイ・フェア・レディ』の要素に裁判物の臨場感を加えて、更に軽快に洗練させたような作品---とでも言えばいいのだろうか (ナンノコッチャ)。上・下2巻の長編だが、読書好きの人なら一気に読める面白さ。



主人公のダニーは、ロンドンの下町の自動車修理工場の若い修理工。人柄は良いが教養はなく、読み書きもままならない。ベスという美しい婚約者(ダニーの子を妊娠中)との結婚を控え、ささやかでも幸せな毎日を送っていた。

ある晩、ダニーとベス、ベスの兄でダニーの親友・バーニーはパブに出かける。そこに悪質な4人組がいて、バーニーは4人組の一人に殺される。ダニーは無実なのに、4人組の中には有力な若手弁護士や人気俳優もいて裁判では圧倒的に不利だ。殺人の冤罪で22年の刑を宣告され、重罪犯の刑務所に収監されてしまう。


ダニーを愛するベスの気持ちは変わらないが、結婚は絶望的。周囲からは殺人犯と誤解され、失意のまま長い年月を牢獄に閉じ込められる…。

海外の刑務所


しかし、ダニーの運命は同房者よって大きく変わる。その一人、ニック・モンクリーフは貴族で元将校のセレブ。教養豊かで信頼できる人物として看守や他の囚人達から一目置かれている模範囚だ。
本来なら刑務所に入るような人物ではないが、戦場での正当防衛が認められず有罪になった。もう一人は巨漢で口は悪いが人の好いビッグ・アル。


ニックはダニーが無実で頭も良く「磨けば光る」逸材であることを見抜き、ダニーを励ましながら、読み書き、数学、食事のマナー等の一般教養を教える。ダニーもニックに憧れて彼と同じヘアスタイルにしたり、教養を身につけようと懸命に本を読み勉強に励む。背格好もほぼ同じの二人は次第に外見も話し方も似てきて、周囲から間違われるようになる。


そんなある日、ニックは凶悪犯の囚人に殺されてしまう。生前ニックがダニーの境遇に深く同情して「代われるものなら代わってやりたい」と言っていたのを知っていたビッグ・アルは、どさくさに紛れて入れ替え工作を…


ダニーは模範囚のニックに成り代わって刑務所を出る。貴族のニックの財産や大邸宅、ステータスを受け継いで、誰もが認めるセレブとして生まれ変わり、自分を虫けらのように扱った憎き4人組への念入りな復讐(非暴力)を始める…

この作品は単なるリベンジ劇ではなく、周囲の人達と関わることでダニーが人間的に成長していく姿が大きな柱になっている。

「わたしたちは一か月に一日しか一緒に過ごせなくても、ともに生きてゆくつもりだったのです。わたしは自分が愛したたった一人の男と余生をともに送ることさえできれば、二十年間待たされても幸せでした。

ダニーと初めて会ったその日から彼が好きになり、ほかの男には目もくれませんでした。わたしは彼を生き返らせることはできないけれど、彼の無実を証明できればそれで充分だということを知っています」
(本書より)

…という一途な愛を貫くベスを始め、本来ならセレブの自分とは接点のない、"何も持っていない" ダニーを無私の心で支えるニック。ニックの遺志を継いでダニーを助けるビッグ・アル。ダニーの素性を知った後も無償でサポートする老弁護士。ダニーの冤罪を晴らすために強敵との裁判に挑む弁護士親子……他にも多種多様な登場人物が、期せずしてダニーのためにひと肌脱ぐことになる。

彼らと接するうちに、狭かったダニーの見聞や世界も広がっていく。
最初はニックのマネだったのが、次第に大人の社会人としての自信や矜持を身につけて堂々と変わっていく。

手強い敵も出てくるけれど、ダニーを信じて支える人達を見ていると、世の中色々あるけど捨てたもんじゃないな…という温かな気持ちになれる。
リベンジというとドロドロした内容を連想しがちだが、爽やかな感動をもらえる作品だ。

復讐という行為は本来あってはならないことだろうが、一方で人間を突き動かす原動力となるのも確かで、(中略)また誇りとは人間の尊厳ともいうべきもので、これを傷つけられることで復讐の念を抱く場合もありうる。言ってみればこの両者は表裏一体の関係にあるわけだ。どんな人間にも誇りはある。

(中略) 本書のダニーにしても、当初は誇りとは全く無縁な人物のごとく描かれていたのが、次第に人間としての意識に目覚め始めて成長していくさまは感動的でさえある。そんなダニーをサポートする善意の人々の存在も見逃せない。
そういう意味では、本書は人間を信じたくなるような小説と言っていいかもしれない。物語作家アーチャーの良心がそこには感じられる。
(関口苑生氏の解説より)


この作品はネット社会になってからのもので(2008年)、ダニーはPCを使い、メールも小道具に使われている。そういう現代の話だが、イギリスの階級社会や階層意識も重要な要素になっている…というより、その背景を抜きにしては成立しないストーリーでもある。

現在のイギリスは不法移民が増えてロンドンの雰囲気も変わったとか、貴族が城を維持するのが経済的に大変だとかいう話も聞く。
2023年の今も本書のような階層意識が生きているのか、私には分からないけれど、日本の庶民から見ると何だかカースト制の名残り的な違和感を感じてしまうのも事実。

またイギリスの裁判は日本とは随分感じが違うのも印象的で、ディケンズの『荒涼館』を読んだ方なら、あれを思い出すかも。


そして個人的に感心して楽しんだのが、翻訳者の永井淳氏(東北出身)によるビッグ・アルの東北弁だ。彼は酷いグラスゴー訛りの英語を話すとされていて、永井氏はそれを完璧な東北弁に置き換えている。東北人なら思わずニンマリの "ネイティヴの東北弁” が炸裂して、それが巨漢ビッグ・アルの粗野キャラ(本当は無言実行型で誠実な人柄)にマッチして、ユーモラスな味と存在感を出している。
----たとえばこんな感じ。(訳は東北人の私)

「なしてここさぶぢこまれた?」 (なぜここに収監された?)
「なして話さながったんだ?」 (なぜ話さなかったんだ?)
「おめえがきのう話したでねえが」 (お前が昨日話したじゃないか)
「今言っただべ」(今言っただろう)
「おれがこごさ坐ってるど外がらは見えねえがら、勉強するふりしてうしろさ向ぐな」 (俺がここに坐っていると外からは見えないから、勉強するふりをして後ろを向くな) 等々。


アーチャー作品の数々をテンポの良い翻訳で紹介して下さった永井氏は、この後亡くなられた。長年にわたり名訳をありがとうございました(-人-)

秋の夜長にどうぞ。一番新しい短編集『嘘ばっかり』もかなり面白いです。

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子供向けに書いたものではないですよ。ご一読を。


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