[エッセイ] 咲かぬなら、気長に待つか千日紅 ──園芸椿事の今夏
戦国武将信長、秀吉、家康の性格を比較した歌に、
「鳴かぬなら、殺してしまえホトトギス」 信長
「鳴かぬなら、鳴かせてみせようホトトギス」 秀吉
「鳴かぬなら、鳴くまで待とうホトトギス」 家康
というのがある。
もちろん当人たちが詠ったわけではなく、後世のだれかが創作したものだと思うが、短い句でみごとに表現している。
園芸の話に、どうしてこんな話題からはじめたのかというと、花が咲かないからである。
この春、千日紅という花の種をまいた。
ふつうだったら初夏から咲き始め、満開の夏を迎え、秋おそくまで咲きつづけるはずだったのである。
千日紅という花は、イチゴの実のように丸くかわいい赤紫の花で、その名のように花期が長く楽しめる花である。
土を選ばず、まいたらほっといても勝手に育つ丈夫な植物で、夏の暑さ乾燥にも強い。
ところがいっこうに花が咲かない。
私は毎春、園芸店で苗を買ってきて、鉢で花を楽しんでいる。
ながく咲いてほしいので、花の種類を選んで購入している。
「インパチェンス」「ペチュニア」「松葉ボタン」「ジニア(百日草)」などで、安くて丈夫で、びっしりと咲き、秋まで咲き続ける。
昨年は千日紅だった。
大きな丸い鉢いっぱいに咲き、たっぷりと広がりみごとだった。
秋遅く、茶色に枯れた花をいくつか採取して保存した。
今春、いつもなら苗を買うのだが、たまたまこの保存していた枯れた花を思いだした。
たくさん花をつけ、ずっと秋遅くまで咲いてくれた。
ことしもこの千日紅でいこう。
インターネットの園芸関係で調べてみると、千日紅の育成は簡単そうだった。
そんなわけで今年はこの花オンリーで、種から咲かせようと思ったのである。
枯れた花をにぎり、ごちょごちよ揉むと、すぐばらばらになった。
丸い花全体が種の集まりなので、ひとつの花からすごくたくさんの種がとれる。
ひとつぶの種は、米粒ょりやや大きめで、細かい白い毛でおおわれている。
ぺったんこで厚みがないので、存在感がなく、たよりない。
園芸ガイドによると、この白い毛があると発芽しにくいので、とりのぞくようにといっている。
爪で引っ張って抜こうとしたが、なかなかとれない。
ガイドでは、種のかたまりに砂を混ぜて揉むとすぐとれると説明していたが、近くに砂はないし、めんどくさいので、毛とりはパスすることにした。
さていよいよ種まきである。
早いとこ蒔いて、なるべく永く花期を楽しみたい。
ところが園芸ガイドによると、一日の最低気温が20度以上になってから蒔けといっている。
でないと発芽しないそうだ。
4月中は夜間20度以下になってしまい、なかなか蒔けない。
じりじりしているうち、5月になってしまった。
やっと最低気温が高くなってきた5月15日、蒔いた。
この日にちを覚えているのは、小さなプラ板に日にちを書いて、鉢の脇に差し込んでいたから、忘れなかったのである。
小さい鉢に種のかたまりをのせ、大まかに広げてその上に軽く土をかぶせた。
スプレーで軽く水やりし家の隅に置く。
このあと発芽まで、土が乾かないよう神経を使った。
毛とりをしてないので、無事発芽するか心配だったが、1週間ほどして、いっせいに発芽した。
ばら蒔きしているので、鉢の表面いっぱい、小さな双葉が顔を出している。
この生命誕生の瞬間というのは、どんな生物でも感動的である。
茶色の土の上に緑のカバーをかけたようで、初々しい。
この大きさから、ある程度のサイズになるまでが、じれったい期間だ。
やっと1~2cmの高さになり、びっしり込み合ってきたところで、大きな鉢に移植した。
さあ、あとはどんどん大きくなれ。
丸い大きな鉢に3本ずつ植え、成長を見守る。
スタートが遅かっただけに、気がせいた。
苗は順調に育ち、茎も太り、大きな葉もたくさんついてきた。
たちまち5月もすぎ、6月、7月になり、背丈も4、50cmほどになってきたが、いっこうに花が咲かない。
今年は早くから気温が高くなったのでもうとっくに夏である。
どうしたんだ?
花を咲かすのを忘れたのか?
毎朝、水やりしながら花芽をチェックする。
いっこうにその気配がない。
もうガタイは立派にできあがっているのに・・・
肥料のやり過ぎは、青々と葉や茎が茂るのみで、花がつかないという知識はあった。
窒素分が多いと花が咲かないのである。
しかし肥料はまったく与えていない。
以前「ぐみの木」を買ったとき、枝を折れんばかりに曲げて、紐でしばっていた。不思議に思ってその園芸店の人にきくと、木をいじめると実をつけるといわれた。
たしかにかわいい透明なオレンジ色の実がびっしりとついていた。
植物は生命の危機を感じると、本能的に花や実をつけるそうだ。
そういえばこの千日紅、朝晩水やりを欠かさない。
目をかけすぎたかな。
過保護に育ててしまい、花の咲くのを忘れてしまったか。
唄を忘れたカナリヤだ。
それとも最近の異常気象の影響か、高温つづきの毎日である。
ここでタイトルと冒頭部分につながる。
立派に育ったこの茎、切ってみよう。
本来は花が咲き、背が高くなり過ぎた茎を途中から切り戻し、枝を増やして、秋にまた咲かせる「二毛作」とするのだが、今回は警告、刺激の意味で半分に切った。
もう勝手にしろという気分になった。
笑うしかない。
その気になったらいつか咲くだろう・・・
もうあきらめかけて9月に入ったある日、
ひょいとのぞくと、ポツンとゴマ粒のような赤い花芽が見えた。
ほかの枝先にもポツンがある。
「花だ、やっと花が出てきた ! 」
若い頃、ふられてしまった恋人に、人生の秋、めぐりあったような、うれしいのか、うらめしいのか、複雑な気分である。
過ぎ去った夏はもう戻ってはこない。
しかしこの花、なかなかすぐには大きくならない。
今やっと直径1cmほどか。
まあ家康さんではないが、気長に待つことにした。
「千日紅」あらため「十日紅」。
今年の私の園芸は、信長、秀吉、家康の歌の一年だった。