怖い話③ 祖母の『グレートリセット』
前回、祖母が対峙した「昭和の地面師たち」をご紹介しました。
改めて、祖母の人生を振り返ってみると、波乱万丈の連続でした。
戦前
祖母は大正3年(1914年)大阪の郊外、八尾市に生まれました。
曾祖父は、園芸会社を経営。
女学校を卒業した頃に、見合いをして、商家の祖父に嫁ぎました。
お手伝いさんもいて、しばらくは優雅に暮らしていたそうです。
戦中
第二次世界大戦が起こると、状況は一変します。
昭和17年 祖父が招集。
昭和20年 空襲が激しくなり、実家へ娘3人を連れて疎開。
3月の大阪大空襲で、自宅と商店が焼失。
日中 神社にお参りしている時に、米軍爆撃機B29から機銃掃射を受けたが、九死に一生を得る。
昭和20年8月10日 祖父戦死。
戦後
.昭和20年8月15日 終戦。
昭和20年8月25日 祖父の戦死広報届く。
資産喪失
商店: 不法占拠される。
商品: 焼失。
自宅の土地: 区画整理 + 地面師で半分程度の面積に。
自宅の建物・家具: 空襲で焼失。
鴻池新田の農地: 農地改革で失う。
預金: 預金封鎖で、引き出せず。
ダイヤモンド: 戦時中 軍に接収される。戦後になっても、返還されず。
生活再建
娘3人(10歳、7歳、3歳)を抱えて、大阪に戻り、貸家で暮らす。3軒の別々の家族が、一つ屋根の下で暮らす状態。
得意の和裁で、着物を作って生計を立て始める。(毎日ほぼ徹夜)
配給のサツマイモで飢えをしのぐ。
不法占拠の不動産屋と交渉するも難航。
生野区の借屋に移る。
お金を貸す
近所の人に頼み込まれ、お金を貸す。
催促するも、結局、金は返金されず。
3名に貸したらしい。
ストレス
毎日厳しい生活とストレスで、40歳を過ぎるころには、歯を失い総入れ歯に。
賃貸物件
昭和38年(1968年) 銀行に借入をして、自宅を壊し、賃貸物件を建てる。
手抜き工事と恐い店子
階段の段差が段によって違う。
雨漏りする。
修理を繰り返す。
借金が減らない。
包丁を持った反社系の店子に、追いかけられる。
厳しい日々は続く。
転機
昭和44年(1969年)不法占拠されていた建物が、大阪市に買い上げられることに。
保証金は、全額の30%程度しか貰えなかったものの、このお金を元に商売を拡大、ようやく生活に一息つくことができました。
祖母の教え
手に職をつける
祖父は、専門的な知識・技能を身につけていなかったため、戦争に招集されてからは、苦労の連続。ついには、戦死に至りました。
常々、勉強してエンジニアになるように言われていたので、自身は機械工学科に入学し、メーカーに入社。
生活費を抑える
いつ何時、収入が激減することがあるかもしれないので、生活の質を上げない。常に、質素な生活を心がけなければ駄目。
うまい話に騙されない
「世の中に、うまい話はない」。「儲かる話を聞いても、乗らない」。
お金を貸して、トラブルだけでなく、何度か詐欺まがいの話があったようです。
確かに、儲かる手法があれば、わざわざ人に教える人はいないはずです。
エピローグ
1980年頃から、祖母は隠居生活に入りました。
観劇、旅行、習い事を楽しみました。
生活の程度を上げてはいけないはずでしたが、ショッピングも好きでした。元々は浪費家だったようです。
しかし、徐々に病気がちになり、元気がなくなりました。
親族に囲まれて生活していたのにも関わらず、なぜか寂しそうでした。
安楽な生活よりも、苦労している生活の方が溌剌としている。
人の心は、不思議なものです。
参考
デジタルな振る舞い株式会社
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