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コロナ禍における中小企業診断士の役割~国家資格者はなにをしますか?~

約1年前、東京都中小企業診断士協会城北支部の企画で、下記のような鼎談に参加していました。

当時は、「1年経っても、完全終息はしないだろう。でも、収束の方向には動いているだろう」と思っていました。オリンピックをやりたいのだったら、なんらか収束に向けた強い動きが起きると思ったからです。まさか、無為無策の果てに状況が悪化しているとまでは思わなかったです。

SNSを見ていると、もやっとしたりイラッとしたりすることが多々あります。国家資格者としてなにができるのか、考えざるを得ない状況になっています。

僕の中で結論が出ているわけではないですが、一緒に考えてくれる人がいればいいな、と思いながら徒然に書いてみます。

■目の前の業者の方を

モヤモヤすることは溜ってきますが、それでもまずは目の前の課題に力を注がなくてはいけない、とは考えています。中小企業診断士としてはなによりも、中小企業事業者の支援をすることです。

「目の前の事と闘えない奴が1年後、2年後のことを口にするのはおこがましい」

心の師匠から教わったモットーでもあるので、自分が勤務する会社、関係先、頼ってきてくれる会社、顧客として愛用している事業者の方など、とにかくできることをやっていこうと思います。

飲食店が非常に厳しい状況にあるのはニュースなどで周知のことと思いますが、飲食店が苦しいのですからそうしたお店に納品をしている事業の方も当然、苦しい状況に追い込まれています。製造業も目立ちはしませんが、影響を受けているところは多々あります。いまや売上前年比10%減だと健闘している扱いになるので苦しさが伝わりませんが、営業利益率3%ぐらいで頑張ってきた会社からすれば、売上が1割減れば軽く大赤字になります。

とにかく自分が直接関われる範囲にはできる限りの支援をしたいと思います。

■渋沢栄一からなにを学びますか?

大河ドラマの影響と1万円札の肖像の件で渋沢栄一がブームのようになりつつあります。さらに最近は、SDGsと絡めて言及される場面も増えたように思います。

これ自体は良いと思うのですが、同時にモヤモヤする原因にもなっています。つまり、渋沢の功績に言及する人が一方で、現在のコロナ禍で苦しい生活に追い込まれている人たちに対して「自業自得」「自己責任」などと言うのを見聞きすると、コイツは頭がおかしいのではないかと思うわけです。

「資本主義は必然的に格差を生む。格差が広がりすぎて、格差の底辺にいる人の生活が成り立たなくなるまでいくと、社会全体の活力が失われ、国益が損なわれ、いま裕福な生活をしている人たちにも悪影響が及ぶ。だから貧民救済はやらなくてはならない。」
こういう理屈で、若い頃から東京養老院に関わり続けたはずですが、「自業自得」とか言っている人は、渋沢からなにを学んでいるのか、不思議で仕方がないのです。SDGsに引きつけて言えば、SDGsのモットーは「誰も取り残さない」です。自己責任を言い募って取り残す人を生み出して、なにがSDGsだ、と思うのです。

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飲食店が苦しいのは無論ですが、非常に厳しい状況にありながらあまり知られていない事業者もありますし、そこで働いていた人は本当に厳しい状況に追い込まれていると聞こえてきています。そうした部分を置き去りにして、一部の経済だけを回して、株価があがった、よかったね、で話で終わりにするわけにはかないと思います。僕が直接、どれだけの手助けができるかどうかは疑問ですが、少なくとも可視化して、状況の厳しさが明るみに出るようなお手伝いはしたいと思います。

■声を上げながら提言を

批判は攻撃的な振る舞いではありません。この国では、批判と罵詈雑言の区別がつかない人がいて、「批判は止めろ」と言うのですが、同じ人が「クリティカルシンキングは大事だ」と言っていたりして、椅子からずり落ちそうになることが多々あります(笑)

診断士だからこそ、街の事業者の方と直接ふれあうからこそ、気づくことがあります。その気づきを自分の中で完結させず、発信していく必要があると思います。というか、国家資格者として、国益に資するためのやらなくてはいけないでしょうと思います。

政治家-というか官邸や一部の首長-の罵詈雑言ならいくらでも言えるのですが、一つ彼らを擁護するならば、彼らのところには街場の空気感は伝わっていないので判断が狂うことはあると思っています。

「官邸にいると街場の空気感がまったくわからなくなる」

現総理が「政治の師」と公言している方から、そう聞いたことがあります、1997年頃。その頃よりひどくなっている確信がありますから、確実に全く街場の空気感は届いていないでしょう。

少しでもそれが届く方法を考えたいと思います。診断士として動いたからこその気づきを伝わるようにしたいわけです。ネットで拡散する方法もあれば、メディアで文章として発表も考えられます。細いルートを通じて、官邸の近くまでは届ける方法を見つけられるかもしれません。

そして伝えたい内容は、時には政治や行政に対する批判的な文脈でしか表現できないこともあるでしょう。その場合、損得勘定からすれば言わない方が得だ、と思うことは多いと思います。しかし、ノイズやトラブルを恐れて「言いたいこと、言うべきこと、を言わない」のでは、国家資格を取った意味はない、と僕は思っているのです。

NOがあるからNEXTがある、と僕は思っています。より建設的な施策のために、言うべき時はNOといいたい。それこそがこのコロナ禍で国家資格者に課せられた責務だと僕は思っています。

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