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渋沢栄一翁とSDGsと日本型経営と

昨年末、当マガジンで武井さんが渋沢栄一の件を取り上げていました。

昨年の大河ドラマ、2024年から新1万円札の肖像になることなどから、渋沢栄一への関心が高まっています。日本経営史を学ぼうとすると、渋沢栄一は欠かせない人物になっています。僕も大学院で、この本-『はじめての渋沢栄一:探究の道しるべ』-を中心学ぶことになりました。

また、『論語と算盤』の言葉からSDGsとの関連で語られる場面も増えたように思います。
もともと僕は、渋沢栄一の玄孫であるコモンズ投信(僕は受益者です)会長の渋澤健さんを通じて渋沢栄一に興味を持ち、関連する書籍を数冊読んだり、渋澤健さんの栄一に関するお話を聴いたりしてきました。それだけに、と言ってもいいと思うのですが、最近の風潮に違和感を覚えることが多々あります。

■「論語と算盤」は日本の伝統的商人道なのか

「商売には論語と算盤が必要だ。つまり、道徳と経済は一体である」と日本ではずっと考えられてきた、と主張される方がいます。二宮尊徳や石田梅岩、近江商人の「三方良し」を持ち出して、昔から日本人は道徳経済合一と考えてきたのだ、と言われます。だから「『論語と算盤』はSDGsの先駆けであり、SDGsは日本の伝統的経営精神そのものである」となります。正直、目眩がします。

渋沢栄一が「論語と算盤」の話を強調し始めたのはいつでしょか。渋沢が幼少の頃から論語を学び、それを経営に活かしていたのは間違いないでしょう。しかし、この言葉を明確にし、世に発信し始めたのは実業界の第一線を退いてからのことです。

直接的な理由は、62歳で欧米を巡る旅をした時、イギリスの商業会議所の会員に、次のような苦情を言われたことだと考えられています。その苦情とは

「日本の商売人は約束を守らない。あなたの力で改善してもらえないか」

渋沢に関する書籍を執筆し、NHKの「100分 de 名著 渋沢栄一『論語と算盤』」の指南役を務めた守屋淳さんが番組の中で指摘しています。もともとは渋沢の著書『論語講義』に書かれている内容です。


・品物を自分に都合がよいと引き取るが、都合の悪いときはぐずぐずいって引き取らない。
・インボイス(請求書)を二重に書けといわれる。事実のインボイスと、それよりもっと安価のインボイスとを書かせる。その原因は税金を免れようというのである。

詳細はこちらから⇒「国レベルで問題視されていた日本の商業モラル

つまり、日本人が昔から道徳的な商人倫理を持っていたからではなく、道徳的に遅れていたから渋沢栄一は『論語と算盤』を説かなくてはいけなかったのです。そのことを忘れてはいけないと思っています。

■アメリカは日本的経営に目覚めたのか

上記に関連した話になります。アメリカのビジネス界は2019年のビジネスラウンドテーブルで株主至上主義と決別し、オールステークホルダー資本主義を宣言しました。これを受けて、「アメリカが日本的経営に目覚めた!」と言った人が、識者と言われる人の中にも多数いました。正直、椅子から転げ落ちそうになったのですが……

アメリカで株主至上主義が台頭したのは1970年代です。70 年以前、 GE や J&J など当時のトップ企業は明確に、「従業員、社会、株主のために会社はある」と明言していました。

その後、ベトナム戦争の泥沼化などからアメリカ経済の停滞が起こり、フリードマン等のいわゆる「新自由主義」が台頭してきます。最終的には、1997年のビジネスラウンドテーブルで明確化しました。

しかし早くも2005年には、ネスレの CEO が株主至上主義に疑問を呈します。企業の社会的な責任は株主に利益還元をすることが最優先なのか、ということです。

その後、リーマンショックによる企業目的の見直しなどもあり、さらに、ネスレに促されたマイケル・E・ポーター教授が「共通価値の創造(CSV)」を論文として発表します。

そうした流れの延長上に、2019年のビジネスラウンドテーブルにおける株主至上主義への決別宣言があります。


さて、1980年以降の日本はずっと、オールステークホルダー資本主義だったでしょうか。近江商人が言う「三方良し」の精神に基づく経営を行なう企業が大勢としめていたのでしょうか?

僕にはそう思えません。アメリカに追従し、アメリカ以上の、しかも歪な形の株主至上主義になっていたのではありませんか? と問い返したと思うのです。

「日本すごい論者」の過激派は、日本は昔も今も道徳に基づくビジネスをしていて、日本人本来の振る舞いをしていれば、外国が押しつけてきたようなSDGsなど不要である、と言い出します(まあ、かなり極端な人たちですが)。少なくとも日本人本来の振る舞いをすればSDGsは達成できると主張する人は結構な数、いらっしゃいます。

しかし、上記のような経緯を見れば、そんなことはあり得ないとわかるはずです。


結局僕が何を言いたいかというと、私たちは渋沢栄一ではない、ということです。自然に振る舞って渋沢のように行動できるわけではないのです。普通にしていてSDGsが達成できるはずはありません。

日本には渋沢栄一という偉人がいた、と言うのはいいでしょう。しかし、だから日本人はすごいという話にはなりません。我々は渋沢から学ばなくてはいけないことがまだまだたくさんあるはずです。

「渋沢はすごい」ではなく「渋沢が言っていることなんて当たり前のことじゃん」と思われる社会を作れるように、そんな社会をミレニアム世代やZ世代に引き渡していけるように、微力ながら奮闘したい。渋沢ブームを見ながら、そんなことを考えているのでした。

(追記)
『論語と算盤』の現代語訳は各種出ていますが、僕はこれがお薦めです。抄訳でなく「完訳・ノーカット版」だからです。


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