母が認知症になりました6
〜 私の気づき 〜
母の認知機能が
急に悪くなってしまったようで
毎日電話して
行けるタイミングで
実家に通っている
私にもこういうことが
やって来るんだなぁ
昔から
一般的思考の枠を超えている母
「母のようにはなりたくない」
20歳の頃から
ずっとそう思っていて
嫌い続けて来た
逢えば必ずケンカになる
「自分らしく生きる」
そこを追求しているうちに
母が私の目指していた
理想の生き方なんだと
気がついた
私はどんどん母に似て来ていた
このままでは、本当に母のようになってしまう!?
私から見た、嫌いな母は
私の中の嫌いな部分と同じ…
全く良いところが見つからない
「全ては例外なく投影なんだよ」
そうなんだとしたら…
私は私の嫌いな部分を見て
それを写した母を見ていただけなのではないだろうか…
「私って、どんな人?」
私はやっと違いを見つけられた
私は、母のようには
絶対にならない
母と私は、違うから
違いが分かったら
やっと母を許容出来た
やっと母に優しくなれた
どこかの誰かの
ものの見方ではなく
私の意思で
母と付き合える
実家へ向かう田舎道
道の真ん中に白鷺がいた
ちょっとどいてくれないかなぁ
そう心の中で呟くと
それが聞こえたかのように
白鷺はトコトコと歩き始めた
最近、白鷺をよく見るなぁ…
鷺は群れを作らない
自立した鳥だ
自立するってどういうことだろう
ここのところ友人とも話題になり
ずっと考えていた課題だった
親だから
子だから
母だから
妻だから
…etc.
そんな肩書き通りに行動するのではなく、私がそうしたいからする
だから、自分の行動に責任が持てる
何かの歯車の一部ではなく
個としての自分
私は、娘だから
長女だから
近くに住んでいるから
そういうものの見方ではなく
自分が後悔しないために
母と向き合いたかった
気づけて良かった
・・・*・・・*・・・*・・・
1ヶ月半ぶりに
母は、ウォーキング教室に行った
風邪を引いてウォーキング教室を休んでいるうちに、夏休みになってしまって、ずっと行けなかったようだ
「どうだった?」と聞くと
「すごく楽しかったよー。久しぶりに友達と会ってたくさんお喋りしちゃったー。私、病気が良くなったんだね。」
人は、1人では生きていけないんだな
淋しくなると病気を作り
その作った病気で、死んでしまうのかもしれない
「良くなって、良かったね」
なんだか母が可愛く思えた