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努力論05/冷静に考えると「努力」っていろいろな種類があるよね

【前書き】
この「努力論」という論考では、書籍化を前提に、「努力は報われるのか?」という問いの正体を掴むために、「努力」という概念を構造化していく。
(編集者様がこの連載をウォッチしているので、ちゃんと書き続けなくてはならない。)
もし興味があれば01番から読んでいただけると、努力について深く理解できるはずだ。

努力を語る上で、「目標」は欠かせない

努力は報われるのか?

このシンプルな問いには、いろいろな持論がある。
「努力は必ず報われる」と力強く言い切る人もいれば、「努力なんて報われない」という人も珍しくない。

そのように意見が分かれるのは、「報い」という言葉の定義がぶれているからだ。
ここまで4回の論考では、そこに論点を絞ってお伝えしてきた。

しかし、お気づきの通り、もう一つ怪しい言葉が含まれていることに気づくだろう。
そう、「努力」という言葉だ。

わかっているようでわかっていない言葉。
その典型例こそが、この「努力」という言葉だろう。

「努力とは何ですか?」と聞かれて、あなたは何と答えるだろう?

その答えは、広辞苑に書かれている努力の定義とそれほど違いはないだろう。

努力:目標実現のため、心身を労してつとめること。ほねをおること。

広辞苑(第6版)

ここで、努力を構成する単語として、注目すべき言葉がある。
それは「目標」という言葉だ。
努力を語る上で、目標は欠かすことのできないピースである。
目標なくして、努力はないのだ。

もしそうだとするならば、すぐに気づくことがある。
それは、目標が高ければ高いほど努力の変数は増え、目標が低いほど努力の変数は限定的になる、ということだ。

もう少し具体的に言おう。

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