始めの一歩
ある日、久しぶりにあった友人と立ち話をしていた時、その友達の肩と頭のあたりから湯気のようなものが上がっているのに気が付きました。
始めは目の錯覚だと思っていたのですが、どう見ても白い湯気のようなものが体から上がっている。屋内で話していたため、気温のせいで体から出る水蒸気が見えるということはないはず。
おかしいなと思い、思い切ってその友人に「さっきまでタバコを吸っていたか」と尋ねてみました。ヘビースモーカーだった友人の事、きっとさっきまで吸っていたタバコの煙が残っていたのだと思ったからです。返事はNoでした。自分が見えているものを説明したとき、部屋の奥にいた人が目に留まりました。
その部屋はかなり天井が高く、天井まではおそらく3メートルほどあったと思います。
その人は天井に届きそうなくらいの、真っ白な湯気のようなものを頭から出していました。湯気というより、空の雲のようなはっきりとした白い柔らかそうな何かが頭から出ている。
そして、その周りにいる人たちは驚くこともなく、その人の周りで普通に読書をしたり勉強をしたりしていました。念のため友人にも見えるか聞いてみた所、そんなものは見えないとの返事。
自分の頭がおかしくなったと思った矢先に、別の友人たちがやってきました。
話しかけてきた友人たちも、やはり白い水蒸気のようなものに包まれていました。
一人は顔がほとんど見えないくらいの濃い、真っ白な何かを上半身から出しており、もう一人の友人はうっすらと灰色がかかった水蒸気のようなものを上半身から出し、腰のあたりには濁った緑色の光のような何かをつけていました。
あまりに奇妙な光景に恐ろしくなった私は、友人に見えている物をすべて説明しました。「多分疲れているんだよ」と友人は言って終わりにしてくれましたが、その後も周囲の人達の上半身から湯気のようなものが出ているのが見え続けました。
元気な人からは白い湯気か雲のようなものが出ており、疲れていたり、空腹な人からは濃い灰色や黒い煤のようなものが噴き出ていました。友人からあまりに黒い煤のようなものが出ていた時には、思わずお菓子を差し出して食べてもらったくらいです。
この状態がしばらく続いたので、本当に頭がおかしくなったのかと心配になったため、学校の保健室でカウンセラーに相談をしてみました。
ここでは疲れからくるストレスではないかとの指摘を受け、できるだけゆっくり休むように言われました。
それでも状況は改善しませんでした。電車に乗れば真っ黒な煤で顔も見えなくなっている人達が大勢おり、朝の授業では真っ白な雲のようなものを頭から噴出させているような同級生が何人もいて、授業に集中することが難しくなってきました。
数日後、また別の友人達と学校の廊下で立ち話をしていた時です。この友人達は二人とも上背があり、話すときはかなり見上げなければ話せないほど背が高いのですが、話をしていると、だんだん目線が同じ高さになってきました。
こちらの目線に合わせて、体をかがめてくれているんだな、と思っていましたが、二人の姿勢を見る限りでは猫背にもなっておらず、かがんでいるようにも見えない。それどころか、「何をやっているんだ」とこちらに聞いてきます。
その一言でおかしいのは相手ではなくて自分のほうなのだと察しました。
何かが起きてはいるが、自分の足はちゃんと地面についている感覚がある。おかしいと思い続けているうちに、友人たちの顔がどんどん自分の目線の下になっていき、気が付けば目の前には廊下の天井にあった蛍光灯がぶら下がっていました。
重力は感じているし、自分の足の裏も地面についている感覚がはっきりある。ただし、周りから見ると、どうやら自分は空中に浮いているように見えたようです。
ちょうどその時、部活の顧問だったある先生が通りかかりました。こちらを見上げてものすごく驚いた顔をしていました。化学の先生が来たのでもう大丈夫だと思い、助けを求めた所、「自分が重い、と思いなさい」とおっしゃってくれました。
訳が分からなくなっていましたが、とにかく自分が重たいものだと自分に言い聞かせ続けた所、先ほどの背の高い友人達の顔と自分の顔が同じ高さになってきました。足を動かしてみると、床があるはずのところに床がなく、自分の足首から先が自由に動かせる状態でした。
そこからもうしばらく「自分は重い」と言い聞かせ続け、足を動かしたところ、自分の足で床を打つ音が聞こえ、やっと廊下の床にたどり着いたという実感を得ました。
後年、様々な書籍を読んで、おそらくこれではないかと思われる現象にたどり着きました。本の著者は、アラン・カルデックという19世紀のフランスの思想家が残した「霊媒の書」というスピリチュアリズムの本です。そこから、スピリチュアリズム関連の古い本を何冊か読んでみました。
確信は未だにないのですが、人の体の周りに見えていたものは恐らくエネルギー体の一種であるエクトプラズムと呼ばれるもののようです。白、灰色、黒と色がついていましたが、どうやら人の体調によって色が変わるようです。緑色に光っていたものは未だに何だったのか分かっていません。
体が空中に持ち上がったのは、おそらくですが、レビテーションと呼ばれる、翻訳では空中浮遊と呼ばれる現象に似ています。
書籍では第三者から見たレビテーションの事しか見つけられなかったため、結果として「浮遊している」という言葉で表現されていましたが、浮いている感覚はなく、重力はしっかりと感じていました。また、エレベーターに乗っているときのような上昇する圧力も感じなかったです。
インターネットもまだ整備されておらず、近隣の図書館や書店で得られる本からの情報しかなかった時代の話で恐縮ですが、スピリチュアリズムの本に書かれていることを信じてみようという気持ちになったのは、書籍が書かれた当時の科学者たちの実験結果が記載されていたからです。
2世紀も前の科学なので、現在の科学と比較してしまうと再度検証の余地があるかもしれません。しかしながら、自分が体験した現象はどちらも自分の意志とは関係なく起きた現象であり、またこの後に起きた別の現象を通じて、スピリチュアリズムの書籍で言及される「あの世との交流」を信じざるを得なくなりました。
その「交流」が決して恐ろしいものではなかった。また周囲にいた人たちが冷静に対処してくれたのが幸運だったかもしれません。
目に見えないものと遭遇するなどめったにない事なので、受け入れて良いものなの、避けるべき悪いものなのか始めのうちは判断が付きにくいからです。何か思いつきもしないような奇妙な状況に置かれたとき、パニックに陥りかねないのは仕方がない事ですが、周囲が冷静に構えてくれていたのが本当に助けになりました。
自分が初めて体験した「あの世との交流」は、今思い出してもなぜ交流が起きたのかはっきりとした理由が思いつきません。ただ、ある亡くなった人が一生懸命になってこちらに働きかけてくれていた、という説を読んであの世の存在、つまり霊魂というものはあるのではないか、ということが少しずつですが信じられるようになっていきました。
エクトプラズムもレビテーションも「物質現象」と呼ばれる現象の一部で、ミディアムという霊との交流を仲介する人がお役目を授かる初めの頃に体験する現象のようです。
これらは、どうやら古い時代の現象で、個人的な意見ですが恐らく現代ではあまり頻発しない現象なのではないかと思います。人の霊性が上がるとこうした現象は見られなくなるようです。
ここからは完全に持論になってしまいますが、20世紀後半の日本の少し殺伐として今よりも粗暴だった時代に生きる人達と、21世紀の日本のもう少し穏やかな生活を営む人たちでは、恐らく霊性は異なるのではないか。そうなると、物質現象はこれからどんどん少なくなっていくのではないかと思います。
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