小説|メルクリウスのデジタル庁の年末 第20話 年越しの宴(完)
サラさんのデスクの上のビッグ・ベンが午後6時の鐘を鳴らした。
テラ・チームのアカエアやムンド・コンティネントゥム、アメリカ担当のシフトのチームが登庁してきている。今日の納会のために朝ご飯を少なめにしてきている人もいるくらいだ。私の後ろの席ではスザンヌが、斜め前ではテリーがおしゃべりをしながらタブレットの準備を始めている。私たちの8時間のシフトもそろそろ終わりだ。
「おはよう!昨日はどうだった?忙しかった?」隣の席のユウコが話しかけてきた。
「うん、さすがに満月だったし、すごかったよ。情報館からも沢山連絡があった。あの人達も大変だっただろうな。」
「やっぱりね~。満月と年末が重なるなんて珍しいもんね。あ、そうだ、今日の納会、サラさんに何頼んだ?私はブルーベリーのパイをお願いしたんだよ。スイーツはあった方が良いよね。」
「ケーキね!嬉しい。私は栗きんとんをお願いした。せっかく納会をやってくれるから、ラポニアのメニューが一つくらいあっても、と思って。」
「千佳らしいね。まあ、いつものケータリングの人達だったら安心して任せられるよね!」
テラの島のミーティングスペースのテーブルの上が片付けられ、白いテーブルクロスがかけられた。サラさんを筆頭に、マーティン、トゥッティ、モハメッドなど、他のチームからの助っ人たちが着々と食卓の準備を進めている。
私は最後の申請済みの魂のフォルダーの処理を終え、いつも通りに祈りで締めくくった。今年はフォルダーの不具合や、ラーさんへエスカレーションをする事態が多かったものの、故意に情報を流出させる事態は起きなかった。
それにしても今日はいつもなら考えられないような経験を沢山積めた。COICAのサブリーダーの魂のフォルダー処理とギャラクシーの転生の魂、ウラノス・チームの8次元の鍵。思い出しても、今日は様々なケースに出会うことができた。
忙しい日は、今までの自分のポテンシャルでは考えられないような壁を乗り越えるような経験をすることがある。今日のCOICAのサブリーダーの魂のフォルダー処理がそれだ。私は、忘れないようにと心に決めた。
外からの3Dチャットに気を配りながら、ケビンさんやジョイさん、タツヤやマーリーさん達がケータリングが持ってきてくれた食べ物と飲み物をテーブルに並べていく。
他のチームも、今か今かとこちらの様子をうかがっているようだ。
今年のケータリング会社は、テラの複数の地域の料理を出すことが売り物で、どんな無理難題にも快く答えてくれる。私たちのシフトが長引いたときによく利用するのだが、毎回水素自動車で予約した時刻に熱々の料理を持ってきてくれるサービス満点のケータリング会社だ。
今年は、メンバーが一人ひとり好きなものを注文したため、メニューの数はかなりなものになった。他の惑星の人達は、まったく固形物や流動物を食べる、という習慣がない、またはヴィーガンの人がほとんどなので、メニュー選びには気を配った。
ケータリングで出てきたのは、銀のお盆に乗せられた一口サイズのオードブルの数々。軽いパンや小さなおにぎり。卵を使っていないパイやジェラート、チョコレートなどのデザートもある。
今年のお品書きはこうだった
例年のように、サラさんが他のチームにも声をかけた。
「さあ、そろそろテラ・チームで食事が出ますので、皆さんも切の良い所でご参加ください」
各チームで仕事の切りが良い人や、シフトが終わってもこのイベントを待っていた人達などが続々とテラ・チームに集まってくる。ラーさんやトートさんの姿も見える。
ケビンさんが炭酸水の大型ボトルを持ち、コルクを窮屈そうに開け始めた。
集まってきた人たちに、サラさんがこう続けた
「今日はテラの一年の終わりの三分の一まで来ました。あと数時間残っておりますが、チームの大半がそろうシフトの境をつかって、今日は納会という食べ物や飲み物をふるまう行事をやろうと思います。テラ時代の記憶がある方は、口と舌と歯、味蕾、鼻と鼻腔、それに喉と胃を思い出して再生してみてください。あ、あと食道も忘れないでくださいね。
それでは、一年間という長い間、テラ・チームの皆さん、お疲れ様でした。よくやりきりましたね。そして他の惑星チームの皆様にも、日ごろのご協力の感謝をここでお伝えさせていただきたく存じます。一年間、ありがとうございました!」
ケビンさんが開けていた炭酸水のコルクがポンっとはずれたのを皮切りに、私たちは目の前にならぶ食事に手を付け始めた。テラに転生をしていたころの姿に戻っている人もいれば、今の姿から何とか口や鼻を作ろうと必死になっている人達もいる。
身長5cmのヨーストは、早速白マスカットにとりかかった。「こんなに大きければ、食べても食べてもなくならないよ」ネプトゥーヌス・チームが笑っている。
カーチアさんは地上時代の身体になって、マルゲリータのピザにかぶりついていた。
「おいしいわ。こういう味のもの、体に入れるのは久しぶり」
サイードさんやアリさん、ベラコンテさんやカリドさんもテラ時代の身体になって、ブルーベリーのパイや野菜スティックに手を出している。
「美味しいね。そうそう、固形物って硬いんだよね。物を噛んだりするのも、飲み込む感覚も久しぶり。」
向こうではチャンさんとジョイさんが騒いでいる。
「そうそう、チャンさん、そこでまず口をつくるだろ?その中に歯を上下に作るんだ。その真ん中には舌。そこには味蕾も忘れないで。口ができたら鼻だよ。ちゃんと穴をあけて、鼻から口まで空洞を通すんだ。そうそう。鼻にはにおいをキャッチできる神経を作っておいてね。食道と胃ができてしまえば、もう大丈夫だろう・・・って、あんた、毎日曼荼羅を書いているんじゃないの?テラの人の顔の作りならわかるでしょうに。」
「そんなこと言っても、みんな横向きだったり斜め前向きだったりで、鼻と口があるくらいしかわからないよ!中に歯とか舌とか味蕾とか・・・テラの人達は複雑な構造をしているんだねえ。」
チャンさんは必死になって自分の七色の光の身体に最低限必要な口と鼻と食道を作った。
「まず飲み物から行ってみようかな。前回は呑み込めなかったので、今回は・・・」
「チャンさん、咽頭と喉頭蓋も作らなきゃ!ごっくんと飲み込めないよ!」ジョイさんが畳みかける。かくして準備の整ったチャンさんは、グレープジュースに恐る恐る手を出した。
「チャンさん、ゆっくり!」キアも声をかける。
コップを手にしたチャンさんは、グレープジュースをゆっくり口に含んだ。
「・・・おいしいねえ。甘さと酸味があって、香りも鼻に抜けてくる。アメジストの気を身体に入れているのと似た感覚があるよ。そうか、テラだとこんな風に流動体を体に入れるんだっけ・・・」
そう言いながら、チャンさんはゆっくりとジュースを飲みこんだ。
プリズムの様な七色の光の身体に、赤いジュースがゆっくりと降りていくのが見え取れた。
「あ、しまった。この液体、体に吸収させなきゃいけないんだよね。このままだと俺、ずっとこの液体を身体の中に入れっぱなしになる」
それを聞いたジョイさんがしまった、という顔をする。
「そうか、あんたたちは液体を吸収できないんだっけ・・・時間はあるかい?急いで他の身体のパーツも作ろう。吸収して少しは栄養つけなよ。」
2人のやり取りに、キアは笑いをこらえきれずに吹き出した。
サラさんが全員にテレパシーを送った。
「宴もたけなわですが、ここで年末の歌を一曲披露させてください。どの曲にするかチームで話し合ったのですが、ここは他のギャラクシーでも通じるいつもの歌を、と思いまして」
テラ・チームが寄り集まり、サラさんのハーモニカを合図に小さな声で歌い始めた。
「テラらしい歌ね。」歌を聞き終わったモーリーンさんが拍手をしながら言う。
「この曲は、銀河サミットの終盤でよく歌われるんですよ。友情の証としてね。コスモには他の曲もあるけれど、なぜかこの曲だと他の銀河から来た人たちも歌いやすいようで」
途中から参加したオシリスさんが言った。トートさんが横でうなずいている。
こうして、年末の長い8時間は終わった。
チームのメンバーに年越しの挨拶をして回った後、私たちは帰宅の途に就いた。
ふと携帯を見ると、妹のハルナからメッセージが入っていた。
「千佳ちゃん!早いけれど明けましておめでとう!お仕事お疲れ様です。こちらは元日もセールで大忙し!お母さんたちによろしくね~」
ハルナは学校を卒業してから、ウラノスのデパートに就職した。商業の惑星と呼ばれるウラノスのデパートはコスモの中でも特に人気で、仕事はとにかく忙しいらしい。遠くで頑張っている妹が誇らしくも思えた。
私はハルナに年末の挨拶の返信をした後、バイクのエンジンを入れた。ちょうど向こうからやってきたケビンさんに「よいお年を!」と挨拶し、税関へとバイクを走らせた。
税関でペリスピリットをはずし、テラの居住区までの道を、風を切ってバイクを走らせる。今日は早く帰らなきゃ、と思っていても、様々なことが起きた一日の後では、なぜか心がざわついていた。
ふと見ると、道路わきに毎晩寄り道するカフェが見える。まだ閉店時間前の様だ。少し迷ったが、私はバイクを方向転換させ、カフェに向かった。
「15分だけ」自分にそう言い聞かせながらバイクを駐車場に止める。
お腹はいっぱいだったが、コーヒー一杯なら入りそうだ。
15分だけ。
コーヒーと共に、読んでいる小説の続きを開いて、心を落ち着けよう。
15分だけ。
そう言いながら、私はカフェのソファに座り、コーヒーを注文すると、読書用のタブレットを取り出してスイッチを入れた。
(完)
(このお話はフィクションです。出てくる人物は実際の人物とは一切関係がありません)