![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/159717113/rectangle_large_type_2_04b70c9feea0eb9555fae132391dbbe2.jpeg?width=1200)
昔語り: 「吊り目」
年寄りの独り言として聞いて欲しい。
約40年前、筆者はロンドンのとあるインターナショナルスクールに通っていた。
当時、学校の同級生で英語が苦手な生徒に良く話しかける人がいた。
英語が苦手なのは全員日本人で、「まあ,良くしてくれる人なんだな」と思っていた。
ある時、筆者の英語力が追いついていなかったせいか、その面倒見が良い同級生が悪口を言っているように聴こえたため、「友達を辞める」と言って突き放したことがあった。
その翌日、筆者が学校の二階から階段を降りて一階に行こうとしていた時、こんな会話が聞こえてきた。
「you should stay us! If you stay with Japanese, your eyes will be slanted! あたしたちイギリス人と一緒に居なさいよ!日本人なんかと一緒に居たら、目が吊り目になるよ!」
このフレーズ、先のイギリス女王の夫君であるエジンバラ公が中国に行った時に似たような言葉を言って有名になったセリフだ。
「吊り目」という言葉は当時日常的に言われる東洋人に対する差別語で、地下鉄で列車を待っていると耳元でささやかれる言葉の一つだった。
ささやくのには理由がある。他の誰にも人種差別的な言葉を言っているのを気が付かれず、言われる側に確実に聞かせるためだ。
こちらば言葉が分からないと踏んでいる人は地下鉄や道端で大っぴらに。
こちらが少しでも言葉がわかるとバレルと耳にささやく形で色々言われた。
比較的吊り目の筆者は、何度もこの言葉を聞いては「英語分かりません」という風に無視するか、聞くのも嫌なので最初からウォークマンで耳栓をしてやリ過ごしていた。
学校の中に一歩入れば、そう言った人種差別的な言葉が聞こえてこず、少なくとも学校内では安全だと思っていた。
その矢先にこの「吊り目」の言葉が目の前で聞こえてきた。
他の同級生が「Don’t say that phrase. People would be listeningそんなこというなよ、聞かれるぞ」と言った。
ちょうど階段を降りている途中の筆者には全部聞こえていたので、「Excuse me(失礼)」と言って階段の下にたまっていたイギリス人の同級生たちをまたいで授業のある部屋に向かった。
正直言って何か言ってやるか、足でも踏んでやろうかという気持ちがよぎったが、こと人種差別には反応していたらきりがない。
当時歴史の授業でインドの独立について勉強していた筆者は、ガンジーが提唱した「非暴力主義」に感銘を受けており、非暴力を貫こうと、手や足を出すのはやめた。
翌日の朝登校した所、筆者の少し前に学校に到着していた日本人学生二人が、そばにいたイギリス人と思われる学生から、小さな声で「 Slanted eyes(吊り目)」と呼ばれているのを耳にした。
彼らは一瞬何を言われているのかが分からなかったようだったが、筆者はその二人をすぐ連れて、「無視しよう」と階段の方へ連れて行った。
二人とも何を言われているのか分からなかったようで、筆者は「吊り目って言ってたよ。こういうやつ」と,目を思いっきり吊り上げて見せた。二人とも信じられないと言う顔で「吊り目」と言ったイギリス人と思しき子の顔を見ていた。
「どの子が言ってた?」と聞くと,「真ん中に立っている子」と言った。
そこには三人の学生が立っており、真ん中のブルゾンを着た学生が言ったのだと分かった。
思わず「この人種差別野郎が」と日本語で言ったのだが、何を言ったか気が付かれると困る。
とにかく素早くその場を立ち去り、授業のある教室に向かった。
一時間目が終わった所、朝会った子の一人が「風紀委員の先生に報告しておいた」と言った。
仕事が早いな、と思っていたが、状況はそれではすまなくなってきた。
廊下を見ると、日本人の子が泣いている。事情を聴くと、「吊り目だって言われた」という。
言ったのはやはりブルゾンを着ている学生だった。
その翌日、中学部に通っている子達のうち、日系アメリカ人の子が具合が悪そうにしてるのを見かけた。
「どうしたの」と聞くと,
「Can I have word with you? ちょっと話していい?」と言う。
その子は身体を半分に折り曲げ、何か強いショックを受けたかのように見えた。
「Ok. Let’s get some fresh air, shall we ? じゃ,外で話そうか」
そう言って外のベンチに行って話を聞いた。その子もやはり「吊り目」と言われたそうだ。
アメリカでもこういう事は言われたことはあるかと聞いたが、一度も無いと言う。
どの子に言われたかと聞くと、やはりブルゾンを着ている生徒だと言う。
アメリカはいい国だ、と思いながら、「風紀委委員の先生の所に行こう」と言って、一緒に先生の部屋まで行こうとした。
すると、ちょうど部屋に入る途中だった先生から筆者だけ呼ばれた。
「日系アメリカ人の子も一緒に行っていいか」と尋ねた所、「あなただけ来なさい」という。
日系アメリカ人の子には、「I’ll get this sorted. Just keep you head up, and smile. OK?」と言って先生に呼ばれた部屋に入った。
そこで筆者は日本人に対して「吊り目」と言っている子は一人の様で、今まで聞いた限りでは全員同じ服装をした生徒の事を先生に報告した。
先生は黙って話を聞いてくれた。
筆者の話が終わると、先生は「昨日のあなたと同級生の喧嘩がもとになっているらしい。何があったのか」と聞いてきた。
「喧嘩をしましたけど、その後喧嘩した相手の国籍のイギリス人達が集まって、日本人と一緒に居すぎると吊り目になるよ、と言っていました」と説明した。
先生は黙って頷いてくれ、筆者は部屋を出た。
校内の全生徒から言われているわけではなく、ある特定の人物がやっていると分かっただけでも安心が出来た。これが誰がやっているのかも分からないぐらいあちこちから言われている状況だったら、本当に気味が悪い状況だっただろう。
その翌日も、日本人の生徒がパニックを起こしていた。やはり「吊り目」と言われたという。その子は日本でも吊り目と言われていじめられた経験があるようで,号泣して止まらなかった。落ち着かせて誰に言われたか聞いてみると、やはりブルゾンの男子生徒だと言う。
ブルゾンを着ている男子生徒と直接話そうと思ったが、すでに風紀係の先生に話をしたばかりなので、後は先生を信じた。
数日後、自宅に学校から郵便が届いた。一部の生徒が日本人に対して人種差別的な発言をしているが、学校としては対処して二度と起こらないようにする、といった趣旨の言葉が書かれていた。
差別語を発していた張本人の学生はその後学校から呼び出しを食らってこっぴどく叱られていた。
数週間後、件のブルゾンを着ている生徒は、「吊り目」と自分が言った日本人生徒に謝ったらしく、号泣していた日本人生徒と逆に仲良くなったようで、二人で話している所をよく見かけるようになった。
しかし、この一件は日系アメリカ人の子に傷を残してしまったようで、その後も「イギリスの人種差別は酷い」と言ってくるようになった。
筆者は「どこの国にも差別はある。日本にだって外国人差別はあるし、もしかしたらアメリカにもあるかもしれない。もし人種差別に遭っても、俯かないで毅然としていよう」と言った。
しかし、学校からの紙切れ一枚では収まらなかったようで、筆者にわざわざ「それでも東洋人は醜い」と言ってくるアホもいた。今度はフランス人だった。
もうこれ以上エネルギーを使いたくなかった筆者は「外見が白豚の様に美しくとも内面が醜い人はあっちに行ってください」と追い払った。
三人の、恐らくこれまで人種差別に会ったことの無かった人を精神的に支えるのは骨の折れる仕事だった。
学校での差別語は、今にして思えば、半分は日本人の英語力を試していたのではないか(吊り目という英語が分かるか),もう半分は幼い差別感情から来ていたと思いう。(日本人としては比較的切れ長の目の子がターゲットになっていたので)
しかし、40年前、ちょうどバブルで景気が良かった日本人は何かにつけ的になりやすかったが、この学校での一件を通じて、「東洋人は醜い」という素直な意見を聞けたのは、ある意味収穫だった。
バブル期の日本人へのロンドン市民からの視線は冷たかった。これは恐らくだが、当時はまだ日本がまだイギリスの敵国とみなされていたこと(第二次世界大戦のベテラン(退役軍人)がまだ大きな発言権を持っていた頃,なおかつ昭和天皇が亡くなった頃)、そして日本企業がどんどんヨーロッパに進出し、各主要都市で老いも若きも国の重要な不動産や高級品の爆買いをしていたので、反感を買いやすい時期だったのかもしれない。
七つの海を制したイギリスの土地やイギリスの誇る伝統的な高級品を、今まであまり見ることの無かった敵国の日本人が買い占めていく。
当時のイギリスは不景気で失業率も高かったのと、東洋人がいきなり街を闊歩して超高級品を爆買いしていく様は、まるで札びらで頬を叩かれているような気分になった人も大勢いた事だろう。
今もそうだと思うが、ロンドンには多種多様な移民や何世代も住んでいる多国籍の人種がいる。そんな中で黒人や白人から「Chink」「Jap」「Slanted Eyes」「Go home, you bitch」と言われるのが日常だった筆者は、学校の中だけでも安全だと思っていた。
今思い返すだけでもナイーブだったなと思う。いじめやからかいなどはどの国のどんな学校でもあるし、学校の外で人種差別があるなら学校の中でもあるものだと思っておけば良かったのだが、学校にはいろいろな人がいる。当然東洋人が嫌いな人もいておかしくないだろう。正直に「東洋人は醜い」という正直な意見を聞けただけでも収穫だった。
この一件の他にもいろいろあって、もうこの学校になぞ二度と戻るか、と決心してイギリスを離れた。
そのはずだったのが、皮肉にも日本で入った大学で専門科目のクラスが閉鎖になったため数年後再度イギリスに行って社会人類学で「オリエンタリズム」について学ぶことになった。
その時筆者が出した結論は、「イギリスでマイノリティになりたくない」という結論だった。
人種差別語は、分からないうちが花で、何を言われても分からなければスルー出来るものだ。Slanted Eyesも分からなければまったく気にしないで堂々としていられるはずだ。
言葉の意味が分かる様になったばかりだと,無駄に反応して下手すれば言い返さなければならなくなる時もある。
言い返すのがいいのか、それとも無視するのがいいのか、筆者の中ではまだ結論が出てはいないが、恐らく無視するか、言ってきたものを笑いものに出来るぐらいの言葉を覚えるか、そのどちらかだろう。
最近、アメリカでは「東洋人(Oriental)」という言葉は差別語で、「東アジア人 East Asian」と呼ぶと言われている。
この東アジア人という言葉は何ともこそばゆいものだ。
地理的には南アジアであるマレーシアやシンガポールなどにも中華系の人達がいるが、彼らは厳密には中国系の子孫であり、中国文化は持たず、英語が母国語の人が多いと聞く。
東洋人(Oriental)という言葉は、こうした国によらず日本人や中国人と似たような外見の人を包括的に指す言葉なのではないか。
マレーシアやシンガポールの人達が現在のロンドンを歩いていて、耳元でこっそりと「Slanted Eyes」と呼ばれているのか。少しだけ気になることだ。反撃するか、それともやり過ごすか。穏便に済ませるか、それとも不快感を示すか。個々の判断が問われることになるだろう。