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短編小説 :バブル期日本・留学生からの眼差し

「Hey, let's ditch this stupid tour! Let's get outa here! おい、皆、こんなもんフケようぜ!さっさと行こう!」

またか。

1988年の秋。肌寒くなってきた頃に大勢の留学生を連れてゾフィア大学のキャンパスを歩いていた私は、三々五々に散らばっていく留学生たちを眺めてそう思った。
その年、海外の大学への交換留学が決まった私は、大学から半強制的なボランティアを命じられていた。
曰く、大学に海外から留学してくる学生のオリエンテーションをやれ、というものだった。

そんなことうまくいかないよなあ・・・
やりたくないなあ・・・ 

それが第一印象だった。
私の通う大学には、アメリカからの留学生が圧倒的に多かった。彼らは「ガイド」を必要としない人々だ。というよりも、「ガイドなんか誰が信じるものか。自分で見て聞いて調べたことが一番正しい」と言う人たちだろう。
このボランティアを命じたアメリカ人とイギリス人の教授に、このボランティアは成立しないと訴えた。どのように留学生に受け止められるかははっきり分かるからだ。
留学生はガイドを必要としない。自分で調べたもの以外は信用しないし、留学生の中にはガイドされるのを嫌がるひともいる。留学生の中には団体行動が出来ない人がいる。
またボランティアという事を信じてもらえない。オリエンテーションに参加している留学生達から、「いくらもらっているんだ」とすごまれて終わる。
ここまで話したときに、教授たちがキレた。
「Look here. The Japanese are highly voluntary people. They help people in trouble without asking for a return. You spent too much time in abroad and are not blessed with the virtue. But it is obvious here to help people in need, such as students from abroad. Now, get on with your work and guide the next group, and no more argument!
あのな、日本人というのはボランティア精神に長けているんだ。困っている人には見返りを求めず助けの手を差し伸べる。お前は海外生活が長すぎるからそのような美点を持っていないが、留学生の様に困っている人達を助けるのはここでは当然のことだ。つべこべ言わずに、さっさと次のグループを案内してやれ!」
この言葉を聞いて、目の前に座っている在日40年のアメリカ人とイギリス人の老教授たちがいかに日本人化してしまったか、私は愕然となった。

教授たちは留学生と接する機会が無いのだろうか。それとも、アメリカやイギリスの人々の習慣を忘れてしまったのだろうか。

ふと、自分がなぜこの大学に来ることになったのか、そのときの事が走馬灯のように思い出された。

90年代の始め、世の中は景気が良いと言われていた。バブル期と呼ばれたこの時代、私は大学受験のために日本に1人でやって来た。
親の転勤のため、私たち家族はスコットランドのグラスゴーで生活をしていた。記憶には無いが、姉が3歳、私が1歳の頃の事らしい。その後、1度数年間を日本で過ごした後、父と母はスコットランドを永住の地に選び、私と姉を連れて再度かの地に渡った。
姉は日本で小学校に通った時にいじめを受けていたと聞く。スコットランドから来たなんて生意気、英語が喋れるから自慢している、と周囲の中に入れてもらえなかったようだ。
ほとんどの教育をスコットランドで受けた姉は途中で日本語を維持することを止めてしまったため、進学はエジンバラ大学を選んだ。
それとは反対に、私はなぜか日本に興味があった。
私が日本で小学校に通ったのは8歳の時。
たった2年間ではあったものの、公立の小学校にはなぜか海外で過ごした同級生が多くいて、親が外国籍の同級生も数人いた。のけ者にされる空気も無かった。
私は家でしか使った事のない日本語で、がむしゃらに授業に食らいついていった。
田舎の学校で日本語の洗礼を受けた私は、家では姉と英語を使って話してはいたものの、友達が増えるにつれて日本語や漢字の奥深さに魅了された。
親がスコットランドへの永住を決めた時、私たち姉妹は12歳と10歳になっていた。スコットランドでの中学卒業資格をとる学年に間に合う様、父が早めに日本での生活を切り上げたからだ。
スコットランドの高校卒業資格をパスした後、私は日本の大学に進学することを選んだ。かつて自分が食らいついていった日本での生活に、もう一度チャレンジしてみたい気持ちがあったからだ。
日本語での授業ならスコットランドやイングランドの大学でも受けられると両親からは説得されたが、私は外国人として学ぶ日本語には興味が無かったそれよりも、日本で英語圏の世界がどのように受け止められているのか興味があった。
スコットランドを離れ、日本から客観的な目で英語圏を見て、日本との関係を研究する。
その先はまだ考えていなかったが、いずれは何らかの形でスコットランドや英語圏と日本を繋ぐ職業についてみたいとの考えもあった。
1990年の夏.私は大学受験のために日本に行った。
最初は埼玉にある祖父母の家で受験勉強をし、受験の日だけ上京することを繰り返した。
祖父母からは、さび付いた日本語を直すべく、徹底的に言葉を叩き込まれた。日本で大学生になりたかったら、それ相応の恥ずかしくない日本語を使えるようになること。
祖父母が買ってくる山のような参考書と、祖母が買ってくれたラジオを使って、私は日本語の猛勉強をした。
希望する学校には落ちた。試験にでたエッセイを書けるだけの実力がついていなかったからだ。
しかしながら、滑り止めで受けたある大学から何とか入学許可をもらったのは、その年の末だった。
大学の面接では、私は自分が大学で英語圏と日本の関係について学びたいと告げており、それに興味を持ってくれた面接官がいたのがこの大学だった。
私はこの英語圏の政治学や経済学、社会学など幅広く勉強できる大学に進学することを決めた。日本と海外の幅広い国々との比較で、今の日本とその国々との関係を研究できるかもしれない。
祖父母の家を出て、私は東京にあるその大学から少し離れた駅の近くにアパートを借りた。
父からは下宿代と食費、それに学費は出すが、あとのお金は自分で工面しなさいというのが進学の条件だった。
ミッション系の大学で、いわゆる「良いお家」の子弟が通うとされているこの大学で、自分がどこまで馴染めるのか不安があった。
実家は決して裕福ではなく、日本での進学も高い授業料のため、父からは渋い顔をされていた。だから絶対に卒業してやるという意気込みは高かった。
しかし、周囲に慣れるのには相当な苦労が伴った。
まずは、同級生が使っている言葉がすらすらと分からないのだ。
「なんで学校にスーツを着てくるの?」
「女子大生は今紺色のスーツを羽織るのが流行ってるのよ」
「え?でもうち、共学だよ?女子大生だったら女子大の人が着るんじゃないの?」

私と同級生の会話は噛み合わなかった。

世の中で「女子大生」という言葉が使われているのに気が付いたのは、入学して1年以上たってからの事だった。曰く、女子大生とは大学生の女子生徒のことで、女子大に通っていても共学に通っていても皆一様に「女子大生」と呼ばれていた。そして皆一様にお金があり、派手な生活をしているとマスコミで定義をされていた。
大学に入り、少し年上のサラリーマンと付き合えば、学生でありながらも裕福な生活が送れる。そんなことがテレビなどから漏れ聞こえてくるのを理解できるようになったのは何時の事だっただろうか。
実際、私の入った大学には派手な人が多かった。高級ブランドに身を包んだ人は数知れず。大学で勉強するのにかちっとしたスーツにミニスカートを着こみ、LやVのアルファベットを一面に散らした高級鞄を持ち歩く人。財布や鞄は高級ブランドが当たり前。服も靴も高級ブランドが当たり前。
高級ブランドを見たことがあっても、学生が身に着けているのを生まれて初めて見た私は、自分は巻き込まれないようにしようと注意した。ジーンズやTシャツの方が、山の様にある課題図書を運ぶリュックサックとの相性があっていると思ったからだ。
大学の1年目の普通科の授業が終わり、2年生の授業が始まった。ついに専門コースの授業に出られる。
しかし、現実は甘くなかった。
その年、英語圏研究コースを専門に選んだのは私1人だった。
あれだけ楽しみにしていた勉強も、2年目には定員割れで全ての専門科目の授業がキャンセルとなり、3年生になっても開講される授業はほんの少しだった。このままでは単位不足で卒業できないのは明白だった。
思い悩んだ私は母に連絡し、現状を説明した。
出来ればイギリスかオーストラリアの大学に交換留学に行きたいと。
社会学と経済学は自力で勉強していたので、それなら何とかついていける。その為には、1年長く大学に通い、5年生で卒業することになると。
父と母が話し合い、親の了承を貰った私は交換留学試験に臨んだ。
2度の面接を経て、奇跡的にイギリスの大学との交換留学に受かった時は本当に安堵したものだった。これで少なくとも勉強が出来て、この大学を卒業することが出来るかもしれない。
姉からは「日本で大学に言った意味がないじゃない」とも言われたが、私はとにかく目の前の「勉強して、卒業する」という事しか考えが及んでいなかった。
留学試験に合格すると、今度は日本に留学している学生の面倒をみるボランティアという活動が待っていた。
日本に来たばかりで、まだ右も左も分からない生徒に大学の中を案内したり、困りごとの相談に乗ったり、生活面でのアドバイスをすると言うものだった。
海外からの留学生は別のキャンパスで英語の授業を受けている。日本語も学んでいると言うが、どうしても自分の言葉が通じる人たちとつるんでしまう。留学生のキャンパスが別の場所に分かれているのは、大学紛争が華やかなりし頃、右翼の学生が留学生に危害を加えた所から来ていると説明を受けていた。
しかし、これも曲者だった。
海外からの留学生は、「日本人は全員が金持ち」という考えで日本に来ていた。
つまり、「すべておごってよ」というのが彼らの口癖だった。
「Hey, we wanna try Katsu-don. Can you take us somewhere to eat?
ねえ、かつ丼って食べてみたいな。どこか連れて行ってくれる?」
「All right. The budget is 1,500 yen each. There's a good restaurant at the corner of that junction
良いよ。予算は1人1500円。そこの交差点の角に美味しいお店があるよ」
アルバイト代が入ったばかりの日なら、このような高い夕食も気おくれなく参加する余裕があった。しかし、留学生達からは決まってこう言われた。
「What, aren't you gonna pay for us all?
え、あなたが全部払ってくれるんじゃないの?」
「No, I’m not paying. Or rather, I don’t see why I should be paying for all of yo.
いや、払わないよ。というか、何で私があなた達の分まで払わなきゃいけないのか理由が分からない」
「Oh no... Japanese do settai, right? You pay for our meals, don’t you? Aren’t you gonna let us eat for free?
えー、日本人ってセッタイをするんでしょ。おごってくれるんでしょ。ただで外食を食べさせてくれるんじゃないの」
「Settai, I see. What do I get in return
セッタイね。見返りは?」
「Return? 見返り?」
「That’s right, return. Those who receive settai usually offer something in return. What do I get for it?" そう。見返り。セッタイは、された側は見返りに何か有益なものを相手に渡すんだよ。私への見返りは?」
「Oh, shxt. I thought that the Japanese have money…. Let's go. Can't believe there is a Japanese without money! なあんだ。日本人はお金を持ってるって聞いたのに・・・行こう行こう、こんなお金を持っていない日本人がいるなんて」

こんな留学生は決して珍しくはなかった。

日本人の学生と留学生が同等な立場で何かを行うのではなく、あくまでも日本人は「大きなお財布」という立場に据え付けられていた。
同じ様な感覚で、芸者のお座敷に上がりたいと言う学生もいた。
「The Japanese do settai with Geisha, right? Why don’t you take us now?
日本人は、ガイジンを芸者でセッタイするんでしょ。早く連れてってよ」
「Can you pay 100,000 yen, then? We’ll hire professional dancers and musicians, with an eight-course exquisite dinner. Is this what you want
それじゃ10万円用意できる?プロのダンサーとミュージシャンを雇って、8コース位ある高級ディナーになるんだけどそれでもいいの?

I might look for Geisha if you can pay 100,000 yen. Oh, but even 100,000 yen might not be enough. Also, they only accept regular patrons. It might be a waste of time, though..
あなたが10万円出せるなら探してもいいよ。あ、でも10万円じゃ足りないかも。それに一見さんはお断りだから、行っても無駄かもしれないね」
「Why on earth should we pay 100,000 yen ! The Japanese do Settai to give free dinner and entertainment to Gaijins, don't you? Are you sure you're a Japanese!?
なんで俺たちが10万も払わなきゃいけないんだよ!日本人はセッタイしてガイジンに無料の食事とエンターテインメントを振舞うんだろう?お前それでも日本人なのかよ!」
「Unfortunately, there is a poor Japanese, too. Oh, I have to go to work now.
残念ながら貧乏な日本人もいます。あ、私これからバイトだから帰らなきゃ」
「You work? You are a university student!
大学生なのにバイトをしてるの !?」
「It's normal. Why are you surprised?
普通のことだよ。何驚いてんの?」
「Uh... We get student grants from the government. We’re given money, so we don’t have to work..
いや、うちの国は学生補助で国からお金が支給されるから、働かなくても良くて・・・」
「That’s how things work in your country, isn’t it? It’s different here. Now, cheerio!"
それはあなたの国でのことでしょ。ここでは違うの。じゃーね」
バブルが弾け、景気が次第に悪化していた当時、バイト代も下がり始めた。
私は教科書代や、留学に行く際の飛行機代や寮費を貯めるためにバイトを増やしている所だった。
バイトの合間を縫っては図書館にこもり、必死で勉強をした。読む本、聞くラジオ。時間がいくらあっても足りず、日に2時間ぐらいしか寝ない事もざらだった。
そして、留学試験をパスした学生がやらなければならないボランティアも避けられなかった。
しかし、このボランティアは留学生達から大変に嫌われていた。
曰く、留学生の事に日本人が口を出すのは許せない。人のためになることをして、ありがとうを言われるのはあくまでも留学生であり、生意気な日本人が出しゃばる事は耐え難いことだそうだ。ボランティアの最中に、日本人生徒が留学生から殴られそうになるなど、暴走する留学生も出始めていた。
10月のある日、私は何時ものようにお仕着せの、大学のシンボルである鷲のマークが目立つ金色と赤のジャケットを羽織り、校門の前で「オリエンテーション」の字を書いたボードを持ち、この秋に日本に来たばかりの留学生達が来るのを待った。
少し離れた所には、キリスト教の神父の格好に身を包んだ教授が立っていた。この教授は私がオリエンテーションのガイドはうまく行かないと申し出た教授で、実際にどのような事が起きているか見たいと仰ってくれた人だ。
次第に海外から来たと思われる学生たちが集まってくる。集合時間が過ぎたので、私は集まってきた学生たちに参加してくれた謝辞を述べ、念には念を入れて「やはり気が変わって、オリエンテーションには参加したくない」と思った人がいるなら申し出て欲しいと言った。すべては強制ではなく、自分が参加したいと思った人だけに参加してもらいたいとも。
全員その場を離れなかったので、私は彼らを連れながら、これから見学に行くところをざっと説明し、留学生たちを最初に連れていく、学生生協と学食を案内した。
学生食堂を出て、外の広場に来た時に、いつものように騒ぎ始める学生が出た。
「Hey! It's fXXking waste of time! Let's go, just leave this shxxty group!
おい、こんなことやってられねーぜ!皆行こう、こんなグループやってられっかよ!」
私はその学生の腕をつかみ、こう言った。
「Were you not listening to me? I told you at the gate, didn’t I? If you didn’t feel like joining, you didn’t have to. So why are you shouting now? Are you just trying to draw attention to yourself?
あんた、私の話聞いてなかったの?門で言ったよね、気が変わって参加したくなければ参加しなくていいって。何叫んじゃってるわけ?目立ちたいの?」
学生は無言だった。
「Whatever that is, I'm doing this as a volunteer during my break between my classes! We'll carry on as we are running late! Come along!
どうでもいいけど、こっちも授業の間のボランティアでやってるんだよ。時間が無いからさっさと進めるよ!おいで!」
その後私は留学生を地下にあるカフェテリアと図書館に案内し、図書館の検索用のPCの使い方と、映像資料館の利用の仕方を説明した。その時、くだんの学生がまた騒ぎ始めた。
私はその学生を部屋の端に連れて行き、こう言った。
「It seems you’re absolutely determined to make a fuss, aren’t you? Fine, I’ll give you the right to speak. We’re heading to another cafeteria for a break, and when we get there, I want you to talk about your experiences in Japan.
どうしても騒ぎたいみたいだね。それならあんたに発言権をあげる。これからもう1つあるカフェテリアに行って休憩をするけど、その時あなたの日本での経験を話して欲しい。

The day when you landed in Japan
The first day of your class
The things you liked in your life in Japan
The things you find it hard in Japan
日本に降り立った日の事。
初めて大学の授業を受けた日のこと。
日本での生活で楽しかったこと。
大変だったこと。

Anything. I want you to talk about your experience in Japan to those people who just got here.
何でもいい、今日本に来たばかりの人達に、あなたが日本で経験できたことを話してあげて欲しい

I can share my experience with them.
The first time I came to Tokyo, I was utterly overwhelmed by the sheer scale of this megalopolis. It felt as though I was adrift in space. It took me some time to get to grips with what my friends were saying in Japanese.
But what truly matters is the perspective and experiences of an exchange student like yourself. You’re in the same position as they are, so they’re bound to value your insights.
私も自分の経験なら話せる。
初めて東京に来た時、この大都会に呑み込まれそうになった。まるで迷子になったような気がした。友達が日本語で何を言ってるのかに慣れるのもしばらくかかった。
でも、大事なのはあなたの様な交換留学生の経験と意見。あなたはあの子たちと同じポジションにいるわけでしょ?あなたの意見を重要だと思ってくれるに違いないよ」

学生は驚いたような顔をして、黙って私の話を聞いていた。

「Not interested? I'll buy you a cup of cappuccino. Will that do?
気が向かないのかな?それなら、カプチーノをおごるけれど、それでも駄目?」
学生はわずかに頷いた。

「All right, you're on! What's your name? よし!それじゃ頼んだよ!あんた名前は?」

「Kalebケイレブ」

「Brilliant, Kaleb. I'm counting on ya!
おっしゃ、ケイレブ、頼りにしてるからね!」

図書館を出ると、私は飲み物と軽食を出している第二学食まで留学生の一団を連れて行った。机と席を確保し、留学生には好きな飲み物でも買ってきてというと、自分は大きな薬缶に入った冷たい水を2杯ほど飲んで喉の渇きをいやした。
学生たちが戻ると、私は用意されている資料から、学生証の作り方や講義への登録方法、そして万が一の盗難や事件に巻き込まれるなど、自分で解決しきれない問題が発生した場合に連絡する大学の窓口の連絡先を伝え、そしてケイレブに向き直って言った。
「Lastly, Kaleb here will talk about his experience at this University in Japan.
Are you ready, Kaleb? Now give it up for Kaleb!
最後にこのケイレブから、日本の大学で学んだ経験を話してもらうことになりました。ケイレブ、準備は良い?それじゃケイレブに拍手を!」
留学生達から拍手が上がった。

「Eh….
あー・・・・」
ケイレブは緊張している様だった。
「I came here last year…. I arrived here…. Overwhelmed by it… and I'm still here!
俺が日本に来たのは去年でえ・・・日本について、日本に圧倒されそうになって・・・そんで、今もここにいる!」
短かったけれど、何とかケイレブは自分の言葉で留学生たちに話をしてくれた。
ここでオリエンテーションはおしまい。私は帰り道を全員に説明すると、あと2分後に迫っていた授業の行われる部屋に猛ダッシュして行った。神父姿の教授が後を追ってきたが、私は振り返って「後で説明します!」と叫んで教室に入った。
後日、この様子を見ていた教授のおかげで、このオリエンテーションは見直されることになった。
まずは、日本人学生が大学からお金を得ていない事をはっきりさせた。
そしてボランティアで良ければ留学生用キャンパスからのボランティアを募ること。
そして、かならず日本人と外国人のペアでガイドツアーを行うこと。
この条件が提示された。
それ以降、大学のボランティアは日本人のみならず外国人の生徒にも門戸が開かれることになった。
彼らが、芸者ディナーをおごれとすごまれたかどうかは分からない。

しかし、バブルもとうに破裂し、日本がどんどん貧しくなっていく間に学生時代を過ごした私にとって、このボランティアは、留学生がどのように日本を見ているかを実体験できる機会だった。

ある程度は想定内ではあったものの、「金持ち日本人」と思われて、たかられるのはこりごりだ。これが日本人と海外からの留学生のコンビだったら、たかられるような事にはならないだろうな。そんな思いで、私はい家路へと着いた。


(完)

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