夏休みが嫌いだった理由 自由研究
私は小学生のときも中学生の時も、夏休みが嫌いだった。
小学生の時なんて、学校が楽しくなかった(いじめられていた)のに、それでも夏休みが嫌いだった。
自由研究があるから。
小学生の自由研究なんて、何かを作ったとか、どこに行ってきたとか、そういうものでいいはず。
たまにめちゃくちゃ綺麗にリトマス試験紙とか使ってやってる子がいたりいなかったり、くらいのやつ。
私は小学生の時から完全に文系で、特に小学生の自由研究は科目が決まっていなかったから、「社会」分野の自由研究を出そうと思ってた。
夏休み直前に担任の先生に「自由研究のテーマは何?」と聞かれて、「まだ決めてないけど社会分野で何かやろうと思っています」みたいな話をした。
先生は「社会?何言ってんの?自由研究は理科でしょ」みたいな反応を示した。先生の得意な科目が理科だったから。
これによって、私は「理科」分野の自由研究を提出せねばならなくなった。
何年生の時に何をやったかは当然覚えてないし、本当に最低ラインだけやって出した。
毎日新聞の天気予報の欄を切り取ってた気がするし、毎日打ち水をして地面の温度を測ってた気もするし、水草を買ってきて観察していた気もするし、サイコロで6を出す方法についてまとめた気もする。
中学生の時は、「理科」で自由研究が出ていたため、理科にせざるを得なかった。
まあそれは仕方ないとして、この時の問題は形式だった。
制作する時に、形式に沿って書かなければならない。
ならば、普段からその形式に沿って授業を進めるべきなのに、授業内ではそういったものはなし。
基礎がなく、突然自由研究で実践・演習をさせられるスタイル。
しかも、夏休み明けではなくて、夏休み中にわざわざ提出しに行かなければならなかった。
今考えれば意味がわからない。
効率が悪すぎる。
そもそも夏が嫌いなのでは、と言われればそこまでではある。
でも、夏休みはどうしても嫌い。
身勝手な大人に評価されるのを、約40日も待たなければならないから。
この頃には既に「大人」になることを諦めたというか、「大人」になることへの嫌悪感を覚えていた筈。
それは今でも変わらない。
碌な大人がいないし、大人ぶる奴は「つまらない」。
大人になる、というのは「うまく社会化した」ということ。
うまく社会化した人物に、魅力を感じたことは今まで一度もない。
私はつくづく小中学校での先生運がなかったし、友達運もなかったな。
その分高校時代に良い先生に出会ったし、気の合う友達とも会えたからまあ良いけど。