イタリアの旅から(1)
「旅行いうたら、ガイドブックの追認をしに行くみたいなもんやろう。どこそこは絶対見逃したらあかんとか、やっぱり書いてある通りやとか、テレビで見たとおりやとか、あほらして聞いてられへん。」というのは旅行嫌いの夫の弁である。
「旅行者は歴史や風景の中に浸る楽しみを求めるのだ。」
と抗弁すると、それでは何故、バスの中で皆寝てるのだと言う。
トスカーナ地方の美しい風景の中で、そんな夫の言葉を思い出した。
昼下がりのバスの中は、音量を絞ってクラシック音楽が流され、添乗員以下ほぼ全員がすやすやお休み中である。
留守番してくれる夫を残して、ツアーの一人参加でここイタリアにやってきた私は、丘とオリーブと向日葵の風景から片時も目を離すことが出来なかった。おおらかな中にある優美さ繊細さでは、わが北海道・美瑛に一歩譲るものの、広さは富良野の何十倍もあるだろう。何時、何の小説で読んだのか忘れたが、トスカナの姫君(トスカーナではない)というロマンチックな言葉も思い出されて、わくわくしながら窓に顔をくっつけていた。
一人旅はこんな時、人と喜びを分かち合えないのが残念であるが、一言も発さずに風景を網膜に焼き付けるというのは一人旅ならではのものだ。
(添乗員の名誉のために付け加えると、此処は暫しの休み所で、他の時間での彼女の仕事ぶりは素晴らしいものであった。)
フィレンツェ
タイトルの下手な写真以外、フィレンツェの写真が見つからない。
イタリアはまさに,、一人で又来たい国である。数々の遺跡の中で空想の世界に遊び、美術館の中で、好きな絵の前に何時までも佇んでいたくても、集合時間が高々30分後では駆け足で通り過ぎねばならない。
そういえば何処ででも、走っているのは日本人ばかりのようだ。かく言う私も、ミラノで集合場所を間違えて走りまわった上に皆さんに大いに迷惑をかけた。
もっともっと居たかった場所の一つがポンペイである。子供の頃からの憧れの地だっのだ。廃墟を見ながら、人々の行き交う在りし日のこの都を思い浮かべた。活火山と聞くベスビオ火山は煙も見えず、雲が美しく懸かっていた。素晴らしい好天であったから、夫が絵葉書と間違うほどの、我ながら上出来の写真が撮れた。
(コラム)お宮の松とジュリエット
ベローナはロミオとジュリエットの舞台である。
ジュリエットの家と語らいの露台を見た時、一瞬、ああここで彼女はいとしいロミオと言葉を交わしたのだと感激しかけたが、「待てよ、二人はシェークスピアによって命を与えられた架空の人物ではないか」と自分が可笑しかった。
ご丁寧にジュリエットの墓まであるそうだ。
日本におけるお宮の松と同じである。しかしお宮の松よりはイメージを描く助けになるかもしれない。