ニュージーランド・初めての海外旅行
1994/3/23~4/5
3月24日 不意に明かりがつけられてスチュァデスが忙しく働き出した。
まだ日本時間で午前4時だ。フィジーのナンディー到着前に、現地時間7時ごろ朝の機内食が出た。甘いパン2個、オレンジジュース、マーマレード、バター(病院みたい)。8時10分に降り立ったナンディーは、真っ青な海と空、何もない草原の広がる空港である。ここで椰子の木陰でのんびり滞在するのもいいだろうなと思う。立派な体格のお巡りさんは白い民族衣装を着ていた。再び離陸。
<私のコラム>
私は昔からどうも自分の「女学生英語」の発音にコンプレックスがあって、英会話なんか大嫌いと思っていた。しかしこの初めての海外旅行で、外国人とのコミュニケイションの楽しさを知った。少しずつ劣等感から解放されて行く様子を所々でお話してみよう。
飛行機の中で、短期間ながら米留学経験のある夫が、喉が渇いて「お水を」と言っても通じない。夫はどんどん発音をアメリカ式に崩していくが全く駄目。そこでわたしが「ウオーター」というとたちどころに通じた。女学生英語の通じる世界があるのだ。
ここは英連邦。私の得た教訓を・・・。
<教訓その1>女学生英語を卑下するなかれ。
11時過ぎブランチとかでまた、パンとオムレツ、フライドポテト、トマトとマッシュルームのソテー、甘くないケーキ、オレンジジュース、マーマレード、バター、果物が出される。
オークランドに到着すると係員が入ってきて機内隅々までスプレー消毒したのには、たまげてしまった。ニュージーランドは農業国なので病害虫の侵入を極度に警戒しているのだという。
韓国人の団体と混じりあって両替窓口に並んだが、まだ少女のように思える若い女の子が分厚い札束を持っているのに驚く。空港近くでまた軽食(サンドイッチ、スープ、果物、紅茶)。
小さな飛行機でウェリントンへ向かったが、またまた紅茶とアイスクリーム。更にクライストチャーチへいく機内でも、おやつ(ちょっと美味しそうなフルーツオープンサンド)が出たがさすがに断った。
隣席の女性とお喋り。東京からの一人旅でユースホステルを利用して、2週間滞在の予定だとのことである。
17時30分ハーグレー公園の傍のシャトー・オン・ザ・パークというホテルへ到着。エリザベス女王のお宿となったそうで静かな美しいホテルである。
ディナーの白身魚のクリーム煮やポテトサラダが美味しかった。食べ物の事ばかり書いているみたいだが、今日は結婚記念日である。そのことを一寸話していたら、思いがけず添乗員の田崎さんからフルーツの盛り合わせが届けられた。
田崎さんの案内で庭に出て南十字星を見る。今、私は南半球に居るのだ・・
3月25日 クライストチャーチの市内観光。まずエイボン川のほとりを散策し、モナベイルという素敵な邸宅を見る。南半球は今、秋の盛りである。木々は黄色く色づきマロニエも丸い実をつけている。ボートに乗りたかったけれど小雨がちょっとぱらついてきたので止めた。
次に大聖堂へ。
クライストチャーチという市名はここに由来しているのか、それとも故国イギリスをしのんでまず市名ができ大聖堂がつくられたのか。ステンドグラスが美しい。(この大聖堂は、2011年2月22日12時51分(現地時間)ニュージーランド大地震によって壊滅的な被害を受けた)
サイン・オブ・タカヘという小高い丘の上の眺めのよいレストランで昼食。バイキングだけれど充実した内容で美味しかった。バスの運転手さんと現地係員、それに私達夫婦の四人でテーブルを囲んだのだが、日本人の現地係員がともすれば日本語で私達と喋ろうとする。バスの運転手さんは日本語が分からないのだから同じテーブルで楽しく過ごすためには、片言でもよいから英語で話すのが当然だと、私達でさえ思うのに、まして長くこの国に住む現地係員がそんな心遣いを出来ないのはおかしいと思う。日本語で話すことが日本人客へのサービスだと思っているとしても変だし、どうも見た所日本語を使いたがっているように思えた。マナーだ、国際感覚だ、といってもまず相手を思いやる気持がなければ何もならないと考えるのだが・・・。それで、単語を並べるだけのような会話だけれど、お互いに家族のことなども話し、夫がグラントさんをグランパさんと聞き違えたお陰で、運転手さんには五人のお孫さんが居ることが分かりびっくりした。堂々とした立派な体格から、もっと若いと思っていたのだ。
<教訓その2>会話とマナーは思いやりから始まる。
午後は自由時間である。まず美術館へ行く。オーソドックスな絵が多く、どちらかというと私はその方が好きだから満足した。美術館の中で飛行機で隣席だった一人旅の女性に出会う。英語が喋れたら、私もそんな旅行をしてみたい。
その後、アートセンターへ行った。ここは幾つかのビル(元学校という感じ)の中に、アーティストたちが思い思いに店を出したり教室を開いたりしている。一坪程の室内に色々な民芸品を置いた店で、木綿とウールの二種類の手織りバッグを買った。木綿の方はその後旅行中ずっと使って、とても便利だったので、お土産にもう一つ欲しかったけれど他のどこにも売っていなかった。それもその筈、帰国後よく見るとメイドイン・グアテマラと書かれている。店のオーナーの感性で買い付けてきたのだろう。
美しい街の様子に見とれながら歩く。ハーグレー公園の中で道に迷い、引き返して巨泉のOKショップで買い物をし、サービスのタクシーでホテルまで送ってもらう。当時日本は米不足であった。ここでもニュースになっているのだろう。オーストラリアの新米がどっさり店先に並べられていた。話の種にと小袋を二つ買う。因みにOKショップでの買い物は18ドルぐらい、タクシーのメーターは5ドルをオーバーしていた。
3月26日 朝、雨が降っていたがしばらくすると止んだ。ダーフィールドからアルペン特急による3時間の旅が始まる。
一等車の座席がムートンで出来ているのはさすが羊の国である。その羊たちの遊ぶ牧場や、スケッチしたいようなきれいな農家などが過ぎて、岩山や深い谷間を走り、トンネルを抜けアーサーズ・パスに到着する。パスというのは峠という意味だそうだ。
ここで再びバスに乗りタスマン海を右に見てどんどん南下する。
フランツヨゼフ氷河の近くで下車して小さなハイキングをする。氷河はすぐそこに見えているのに、到着できない。向こうから来た白人に夫が「氷河は冷たかったか」と聞くと熱かったという。後でその訳が分かる。とうとう諦めて引き返すことにしたが、集合時間まで僅かしかない。走りに走ったが10分遅れ。たしかに氷河は熱かった。
フォックス氷河の村のゴールデン・グレイシャー・モーターインが今宵の宿。(グレイシャーは氷河の意)。夕食のステーキは美味しかったが夫は文句ばかり言っている。疲れてきたのだろう。
3月27日 朝マジェソン湖へ行く。着いた時は<鏡のよう>という言葉そのままで、周囲の山々を美しく映していたのに、30分後にはさざ波がたって何も映らなくなってしまった。
11時50分からヘリコプターに乗る。まず車でピックアップしてもらって、さらに別のホテルへ寄る。ここで若い白人二人を乗せて、石原氏と私達の計5人で乗ることになる。車の中で夫が白人に話しかけたが通じない。ドイツ人ということが分かったが、私達以上に英語が分からないようである。ヘリポートに着くとこの二人がさっさと前の席へ座ってしまった。パイロットがしきりに説明しても彼らは反応なし。
ヘリコプターに乗るのは初めてだけれど不思議に恐くなかった。むしろ斜面に沿って上昇し尾根を越えると急降下するのが、遊園地のジェットコースターみたいでスリルがあって面白かった。氷河を見下ろす万年雪の上に私達を降ろしてくれた。楽しくて子供みたいにVサインをして写した写真がある。真っ青な空、白い峰々。この爽快感はここまで来ないと分からないものだろう。
<教訓その3>感激や喜びはブロークンでもよいから素直に口にしよう。
<教訓その4>紅毛碧眼が英語を喋れるとは限らない。
午後フォックス氷河までハイキング。氷河は氷の底に不思議な青い色を湛えている。
帰りにビジターセンターへ寄って、キーウイの剥製にお目にかかる。のちにクイーンズタウンで夜行動物を見に行こうと言ったら、体調の少し悪かった夫が面倒がって行かなかったので、遂に生きているキーウイを見なかったのは今でも残念である。
早めに夕食を済ませて土蛍を見るツアーに参加する。石の陰、草の根元にきらきら光っていてなかなか幻想的なものだ。
3月28日 朝食の四種類のシリアルが美味しかった。珍しく朝早い出発である。(7時30分)
雨の中、バスでクイーンズタウンに向かう。タスマン海に出たところで小休止。アザラシを見た。ハースト川を見ながら走っているとき、太陽が出てきた。今まで森だけが見えていたのに、晴れてきたらその上に岩山が見える。サザンアルプスの二千から二千五百メートルの山々が続く。
コバルトブルーのワカナ湖を経てハエア湖に到るここはアスピリン国立公園内にあって、黄葉とブルーの湖、茶色の山、紫の山、それぞれが日に映えて美しい。
再びワカナ湖へ戻って、ホテル・エッジウォターというリゾートホテルで昼食である。バイキングだが美味しかった。一泊したいような湖と山の風景である。ワカナの町は人口千二百、島根県のヒキミ町と姉妹都市だそうだ。帰ってから地図を調べたが分からなかっ
アロータウンという昔の金鉱の町に寄る。百年余り前の町が保存されていて、言うなれば日本の妻籠のようなところだ。古い家はどこも皆、土産物屋や喫茶店になっているのも同じである。ただし規模は妻籠の五分の一程度だ。ニュージーランドでは百年前といえば昔々ということだろう。
深い谷になっているところでバンジージャンプをしているのをバスを降りて見物した。見るだけでも尻込みしてしまいそうな深い谷底めがけて太いゴムロープを頼りに飛び降りるのを勇気と言うのだろうか。
クイーンズタウンの泊りは、テラセス・ホテルである。各部屋に広いテラスが付いているので名づけられたのであろう。ワカティブ湖の眺めが素晴らしい部屋で、カーテンを開けたとき夕焼けに思わず歓声を上げた。ここで3泊することになる。夕食のラムチョップは柔らかくてとても美味しかった。
3月29日 ゲブンさんの牧場見学。ポプラやユーカリに囲まれた広い牧場で、吠えない牧羊犬(ヘッドと言われる)が見事に羊を動かす。吠える方の牧羊犬は年寄りで今日はいつもと逆の仕事をさせられたからとかでちょっともたついていたが、離れていた十匹ほどの羊を、うまく群れに返した。そのあと毛刈りのショーで、3kgの毛(絨緞用)が刈られた。その羊はもう年寄りで、上の歯が少なくなっていて草を沢山食べられないので、その内に屠殺され肉になってしまうという。その内にというのは今日のことだろう。裸の羊はあちこち血をにじませているし、ちょっと可哀相なショーだった。ゲブンさんは日本語でジョークをとばせるほどの人。奥さんは日本人でニュージーランドで知り合ったそうだが、本人も名古屋に2年間居たそうだ。2800頭の羊を一人で管理しているという。
昼食の日本食はまことにお粗末だった。薄い鱒の塩焼きがメーンディッシュとは恐れ入った。また年配の日本人の中には三切れは身切れに通じると嫌がる人がいることぐらい知っていて当然と思う。
ショットオーバー川のジェットボートに乗ったが思ったほどのスリルはなかった。前列だったら怖かったのかもしれない。
夜景のきれいなスカイレストランまでロープウエーで登ってバイキングの夕食。十分お腹がすいているのでたっぷり食べた上に、夫のケーキも一緒に取ってきてあげたら、彼は既に自分の分を取っていて、甘いデザートを二人分食べることになったけれど美味しかった。
3月30日 7時出発。ワカティブ湖に沿って朝日に輝く山を見ながらバスでキングストンへ行く。ここからSLに乗るのだ。ブドウ収穫用の線路を利用して観光用に旧ニュージーランド国鉄車両を走らせているもので、一等車全部貸し切りである。映画に出てくるようなコンパートメントにはいったりして結構楽しんだので30分だけの乗車が名残惜しかった。
今日の目的地フィヨルドランド国立公園は新潟県と同じぐらいの広さだという。テ・アナウ湖畔まで西へ進む。ここから北上してミルフォード・サウンドへ向かう。掘り抜いたままの真っ暗なトンネルが1.2kmも続いていてスリル満点だった。
船に乗ってバイキングの食事をしながらミルフォード・サウンドを観光する。絶壁に滝がたくさん懸かっていて、そこに綺麗な虹が出ている。サウンドの意味は滝ということだそうだ。海が陸地の奥深くまで入り込んでいて、澄み切った深い水の向こうには岩や崖が続く。岩の上でアザラシが群れて日向ぼっこをしていた。やはりここは南極に近いのだと実感する。船から見た景色もよかったけれど、帰りのセスナ機からの眺めが素晴らしかった。
滝は青く美しい小さな湖から出ている。この湖は船からは全く見えない。滝も海も島も山も眼下に一望である。このあたりは森林限界が千メートルだから殆ど全ての山が岩山で気象の厳しさが想像される。行きは4時間かかったのに、吸い込まれるように窓の外を見ているうちに、帰りの35分はあっという間に過ぎてしまった。
3月31日 季節の変わり目でお天気が悪い日が多いと聞くのに、好天続きである。朝寝を楽しんでいる夫をおいて、一人でクィーンズタウンの町まで出かけた。ジョギングをしている人、散歩している人。白髪のおじいさんに道を尋ねたら丁寧に教えてくれた。
8時30分出発。リンデス・パスという草ばかりの峠で小休止していると、可愛らしいクラシックカーでドライブしているカップルがやって来た。一寸その車に乗せてもらう。
行く手にマウントクック、マウントタスマン。
今日の宿となるTHCホテルで昼食。荷物を置いて氷河へのハイキングに出発。氷河の見える崖っぷちまで行ったのは三人だけ。他の人は皆ビュウポイントでストップ。その後ブッシュで迷い、上の方から声を掛けてもらってバックした。
ディナーのデザートは選べたので、チーズを頼むと、三角のカリッと焼かれたパンと色々なチーズの盛り合わせの一皿が出て来た。改めて食事を始めるみたいな量だったのに、美味しさに、何時の間にか全部食べてしまった。
4月1日 4階の展望台から夜明け前の山を見る。手前の山の真黒なシルエットの向こうに褐色に染まった岩山が刻々と色を変えていく。
大急ぎで朝食を済ませて、7時15分出発。今日はプカキ湖を左に見て進む。(プは持ち上げる、カキは山や地の隙間)湖の直ぐ上に雲が棚引いていたが、近づくと深い霧だった。
非常に美しいジェロターネの町を過ぎる。この街は私の持っているガイドブックには載っていないのだが、私はクライストチャーチよりも美しいと思う。どうも私の持つガイドブックは不備な点が多い。
デカポ湖で良き羊飼いの教会というのに立ち寄ったけれど、別にどうということはない。
牧場の続くカンタベリー大平原をドライブ中に田崎さんから聞いたのだったと思うが、マオリの伝説によると北島は大きなエイ、南島はカヌーでこのエイを釣り上げたとなっている。下端のスチュワート島はカヌーの錨だという。クライストチャーチへ到着すると何となく懐かしい。更に北島のオークランドへ飛び、ロトルアまでバス。つまり今日は移動日ということだった。
4月2日 バスで2時間、ワイトモ鍾乳洞へ向かう。小舟に乗って鍾乳洞の中を進んでいくと、頭上にも壁にもまわり一面キラキラと土蛍が点滅している。巨大なシャンデリアというか、まるで夜空の星を狭い空間に全部集めたようだ。カメラ禁止、音も立てないようにと言われているので、ため息をつくのみ。
ローズランドでバーベキューの昼食だったが、ミディアムだ、レアだと、指定する通りに目の前で焼いてくれる肉がとても美味しい。デザートのクッキーがこれまた絶品であった。庭に美しく花が咲きそろい、彼方の牧場や丘の風景も長閑で、本当にいい所だ。
ロトルアへ帰る途中珍しいシダの林の中を通る。そういえばローズランドに直径20センチぐらいのシダの幹だけで作った塀があった。
マオリの工芸学校を見学する。木彫りや手織りの布など実演し、土産物として売ってもいるのだが、昔イギリス人が、マオリの人々に武器を売りつけ、その結果、部族間抗争で殆ど絶滅寸前にまでなったので、保護政策がとられたなどという話を聞くと、ここでもかと遣り切れない思いがする。橋の下、水の中でマオリの青年が観光客の投げるコインを水の底から拾ってくるのを見て、田崎さんが「投げないでください」と言っていたが本当に悲しい風景である。
湯煙と硫黄の匂いで、この町が別府と姉妹都市になっているということに頷けたけれど規模は別府の方が大きいように思う。
ホテルへ着いてから、水着を持ってポリネシアンプールへ行き、並んで待って入り、露天風呂でアメリカ人との片言会話を楽しんだ。
夜はハンギーディナーショーである。
田崎さんが一番良いよい席を早くから確保してあったのに、よその旅行社の添乗員が、置いてある紙などを除けて、自分の客を座らせてしまった。田崎さんが抗議したけれど、「うちは、何度も来てるのだから当然だ」と後へ引かない。とうとう添乗員の戦いに敗れた田崎さんが、しょんぼりと涙ぐんでいるのを皆で慰めた。結局我々は最後列だったが、私個人としては、たっぷり居眠りの出来る最高の席であった。
4月3日 朝から雨だったがバスで出発するころには青空が見え始める。オークランドは上天気で全く我々はついている。
空から見て世界一美しい街であると言われているそうだが、丘の上からでも素晴らしい展望である。屋根がとても綺麗だ。街はイースター休暇で休んでいる店が多く、夫と歩いていたら空き店の前で腰を下ろしていた二人の男がすっと立ち上がって後ろを付けて来た。気味悪く、急いで道を横断して賑やかな方へ行った。治安がよいと言われているこの国で初めて不安な気持を味わった。聞けば失業者がかなり多い由で、商業地区は汚く寂れ気味だった。
最後のディナーがハーバーサイドレストランであった。5分前に集合場所へ行ったら直ぐ出発。新婚さん二人置き忘れで田崎さん大慌て。大きな伊勢海老が一匹ずつと生がき、貝色々、イカなど美味しかった。小雨の中ホテルへ帰る。
4月4日 朝食は例によってバイキングである。ずっと気になっていたことを、頭の中で繰り返し練習してから、思い切ってボーイさんに聞いてみた。「ニュージーランドでは一般に、朝食に甘いパンを食べるのか。」「ノー ムニャムニャ」通じた通じた!他のことは分からなくても、ノーだけで十分だ。つまり、どうやら日本の観光客向けに甘い菓子パンが供されているようだ。
<教訓その5>ヒアリングの出来ないものこそ会話の主導権を取ろう。
7時15分ホテルを出発して空港へ向かう。雨もすっかり上がって上天気である。
機内で出されたキーウイワイン、口当たりが良いので飲み干してしまって、少々酔っ払った。当時はまだアルコールアレルギーが始まっていなかったのだ。トイレで順番を待っていたら、後ろにいたアメリカ人らしい男性が向こうのトイレが空いていると教えてくれる。出てからまたにっこり。その次トイレに行く時に、3列ぐらい後ろの座席にその男性が居て、またにっこり。
<教訓その6>微笑みは最高の会話
マーシャル群島を上から見たくて何時ごろに通過するか聞いたが分からなかった。通じなかったみたい。しかしずっと西日がさしてマーシャル群島どころでない。窓を細く開けて見ていると日本時間で午後5時15分頃雲がピンクに染まり始める。地平線ならぬ雲平線は薄いオレンジから青へのグラデーション、なんとも幻想的である。やがてグラデーションの帯が雲海に溶け込んで行く。食事が配られても目を離すことが出来ない。何時か真っ暗になって19時25分成田空港に着陸した。