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マラッカの哀しみ(マレーシアの旅)

マレーシアの南部にマラッカという州がある。
この国は16世紀にポルトガルに占領され、後にイギリスの植民地となり、第2次世界大戦では日本軍に占領され、戦後再び英保護領となり、1957年英連邦に属する独立国になった。いくつかの小さな王国がそれぞれ州になっているが、マラッカは王様のいない州である。漢字で馬六甲と書く。ここはマラッカ海峡の交通の要衝で、貿易港として栄えていた。現在もこの海峡を世界中の石油タンカーが往来する。

 そしてあの太平洋戦争末期、子供であった私だけでなく庶民は皆「マレー沖にて帝国艦隊は敵空母を轟沈せり」等の大本営発表に、今に勝つのだと信じていた頃、この海峡に幾多の日本の艦船が沈み今もなお幾万もの魂が眠る。それは日本の青年のみでなく、連合国の青年達、更に大昔、宋の国から陶磁器を積んでヨーロッパへ向かった船乗り達も眠っているかも知れない。

こんな歴史があるので、当然、民族も宗教も多様である。元々イスラム教圏であったが、中国人も多くいるので仏教、儒教、道教、更にインド系はヒンズー教である。ポルトガルの植民地時代にカトリックが布教された。
だから、お寺もあればモスクもあるし、東洋風の像で飾りたてられたヒンズー教の寺院もある。しかしキリスト教はごく少数派で、教会はあまりないのだけれど、1753年に建てられた CHIRIST・CHURCH・MERAKA という赤い教会が観光の一つのポイントになっている。
現在も礼拝が行われているらしい。

そこから少し丘を上って行くとセントポールの教会がある。1521年ポルトガル人によって建てられたもので、すっかり廃墟になっている。日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルが、中国伝道中に広東省で亡くなり、遺体は此処マラッカに運ばれ、セント・ポール教会の墓地に葬られたが、のちにインドのゴアに移されたという。墓地は今も残る。

石造りの壁のみ残す廃墟に、マレー人の芸人がギターで奏でる<荒城の月>が流れていて、何ともぴったりのイメージにしんみりしてしまった。僅かなコインを受け皿に入れると、彼は弾きながら頭を下げた。

イスラム教では女性はある年齢以上になると
どんなに暑い日でも
必ずスカーフを付けないといけないらしい。

 廃墟の近くでは赤道真近の暑さの中で、色とりどりの綺麗なスカーフをつけたイスラム教徒の女学生達が、ござを広げた土産物屋の回りに群がっていた。


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