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言葉にするということ

私は、話すことが苦手です。

いつから、どのようにして、苦手になったのかは覚えていませんが、幼い頃から、私は人とうまく話すことができませんでした。

いま考えても、どうしてなのか、わかりません。

話さなければならないと思うと、緊張して、ぐっと言葉を飲み込んでしまいます。


そんな調子でどんどん年齢を重ね、私は中学校を卒業するまで、家族以外の人たちと、まともに話をしたことがありませんでした。

部活動や修学旅行、青春時代の楽しい思い出。きゃっきゃ、きゃっきゃと小鳥の囀りのような声が鳴り響く中、私はひとり、頑として口をひらかず、修行僧のように「無」の境地。何があっても動じない、忍耐強さは、この暗黒時代に培われました。

専門家に診てもらえば、何かしら病名が付いたのかもしれませんが、私はこのことを誰かに相談することもなく、

地元の知り合いがほとんどいない環境に移ることのできた高校時代から、これはチャンスとばかりに、ぽつり、ぽつりと、言葉をこぼしていくようになりました。


いまでは、ほとんど問題なく人と話すことができるのですが、やはり、どこか滑らかさがありません。

頭の中で言葉の意味を理解するのに時間がかかり、また、考えたことを言語化して口に出すまでに時間がかかります。

就職してからは、常に急かされるような環境の中で、専門的な用語を使いこなさなければならず、言語化に時間のかかることが何か致命的な欠陥であるように思われて、私はひどく悩みました。

悩みに悩んだあげく、いまはするのが難しいことも、いつか自然とできるようになるのかもしれないし、いまできることに目を向けてみようと思い至りました。


✎  ✏  ✐


言葉にするということは、話すことだけでなく、書くことによってもできる。これは、私にとって大きな救いです。

いまは、本を読んで少しずつ言葉を蓄えたり、Twitterやnoteで文章を書いたりすることがすごく楽しいです。

書くことによって、言葉にのせた思いが、誰かのもとに届くことがすごく嬉しいです。



そういえば、私は子どもの頃、人と話をすることがなかったにもかかわらず、まわりにはいつも友だちがいました。

そのときは、仲良くなりたい子へ向けて手紙を書いて、教室の机の中にこそっと忍ばせて、思いを伝えていました。

あのころの手紙のように、言葉にのせた思いを誰かに届けたくて、noteを書いています。

読んでくださるみなさま、本当にありがとうございます。この感謝の気持ちが、みなさまのもとに届きますように。


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