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春めく

実家の庭に咲く水仙は、わたしが一番好きな花だ。これみよがしに咲き乱れるその花を写真におさめ、まだ青くふっくらとした蕾を見ながら、ぼんやりと考えた。

暗く、長かった冬が終わる。

蕾のように閉じてしまっていたこころは少しずつほころびはじめ、まわりとの調和を求めている。

長いあいだ眠っていた頭が鮮明になり、こころは春めいてきた。

人とうまく繋がることのできない時期がしばらく続いていた。ひとり、ぷつっと、まわりの世界から切断されてしまったように。

人を気遣うことに疲れてしまって、何かを取り繕う気力がなくて、いつもぼんやりと、どこか遠くの世界を見ているような状態だった。

息をひそめて冬を過ごした。

ひとりになって、ただ、じっとして。本を読んで、静かに内側と対話をしていた。立ち止まっているように見えて、ゆるやかに花開くための力を蓄えていた。


母にはいろんな悩みを打ち明ける。
自分の性格のこと、仕事のこと、恋愛のこと、友達のこと、ほかにもいろいろ。

わたしの悩みを聞き終えて、母の放ったひとこと、「許すのよ」という言葉を、わたしはすんなりと受け入れられなかった。

わたしにできることと、できないこと。

その境界線を推しはかることのできない認識の甘さに腹を立てていた。できないことをできると思いこんで、挑戦して、できなくて、大胆に失敗して、くよくよ思い悩んで。

まわりの人たちに境界線を決められたくなくて、自分の手で探りたくて。闇雲に突き進んだあげく限界点を突破して、まわりの人たちに迷惑をかけた。そういう甘さを許すことができなくて、ひとり、内側に閉じこもってしまった。

そんなわたしのことを、責めるわけでもなく、教え諭すわけでも、導くわけでもなく、ただそっと、ちょっと遠いところから優しく見守って、受け入れてくれた人たちがいた。

その人たちのおかげで、少しずつ、自分のことを許すことができ始めているのだと思う。人々に許されることで、わたしもわたしを許していく、受け入れていく。

全部ひとりでやらなくてもいいんだ。できることはきちんとやるけれど、できないことは人の手を借りてもいい。

できることとできないことを自分で決めつけなくていい。いまできないことも、いつか自然と、できること、になってゆくのかもしれないから。

長かった冬が終わる。

暗闇の先には、一筋の光が見えている。あたたかな春の日差しを心地よく受けながら、これからの季節に思いを馳せて、思わず笑みが溢れる。

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