「ぽっかり」から考えた、ぬるま湯の人生
こんにちは。
30代2児ママ、在宅で作文添削をしています。
仕事はあったり、なかったり。
会社から依頼があればある。
なければない。
いまは、ぽっかりと10日ほど空いています。
明後日から仕事。
この「ぽっかり」がクセモノでして…。
自分の心身が健康なときは、
図書館や本屋でのんびりしたり、
料理に凝ってみたり、
子どものおやつを作ったり。
まぁ、充実して過ごせるわけです。
しかし、
自分の心身が不健康なとき。
(たいていは女性の月のリズムに振り回される)
なにもやる気がなかったり、
「このままでよいのだろうか」
「仕事がきたら期限内に終わるだろうか」
と謎の不安に襲われたり、
無駄な時間を過ごしている気がしています。
休みなんだから、何もしなくていいのにね。
もやもや~ が溜まって、
いまnoteを書いている次第です。
そういうとき、
考えなくてもいいことまで考えてしまって。
例えば、
私には子どもが2人いるけれど、
いなかったら、どこで何をしているんだろう。
どんな仕事をしているのかな。
私は「子どもがいるから」という理由で、
在宅で仕事をしてるけれど、
それって単なる「いいわけ」をして、
楽なほうへ、楽なほうへ、と流れているのかな。
本当に子どものためになっているのかな。
なんて、考えてみたり。
以前、見た番組「こんなところに日本人」で、
どこだったかな、
戦争が近くで起こっている小さな村に住む日本人女性のはなし。
その女性は、村の役場のようなところで仕事をしているのだけれど、
日本でなんやかんや嫌になって、飛び出して来た、と。
友人からは「そんなの逃げだ、ぬるま湯みたいな人生だ」と言われたらしい。
(そんなところに住んでいるだけで「逃げ」ではないと思うのだが)
しかし、その女性はこう言っていた。
「ぬるま湯って意外と難しいんですよ。
熱くしすぎず、冷めることもしないように
ちょうどいい温度に保つんですから」と。
この言葉が忘れられない。
「ぬるま湯を保つ」
言われてみれば、それはすごく難しい。
殊に人生という風呂のなかでは。
そして、ぬるま湯のなかにこそ、
小さな幸せが隠れていることが多い。
だから、自分がいま、
のんびりしすぎて「なにやってるんだろう」って思うとき。
逆にすごいことをしているんじゃないかって。
家族が健康で仕事や学校に行き、
自分はご飯を作り、洗濯をし、帰りをのんびりと待つ。
「きちんと、ぬるま湯を保ってるぞ」
自分で自分に言ってみる。
なんか、話がずれましたが、
ここまで書いて気持ちも落ち着いてきました。
明後日の仕事が始まるまで、ぬるま湯につかります。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
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