見出し画像

私たちのSHININ' STAR ミポリン、中山美穂さんへ。〈CATCH ME〉〈人魚姫〉〈ROSÉCOLOR〉〈HERO〉〈ただ泣きたくなるの〉〈世界中の誰よりきっと〉

中山美穂さん。
親しみと最大級のリスペクトを込めて「ミポリン」。
彼女のことを、昨年のあの日から何度も考えてしまいます。ただのアイドルや女優ではない、とても大きな存在だったなと。

女優、連ドラの女王のイメージがとても強い彼女ですが、振り返るとアイドル、歌手としてもとても語るべきことが多い。
大ヒット曲もあり、あまり語られない名曲もあり。いろいろ思い出しながら書きたいと思います。


ミポリンのデビュー当時まだ小さかった私は、記憶がおぼろげで。ただ、彼女が「ツッパリ」路線のアイドルとして売り出していたのはよく覚えています。

80年代前半までの新人アイドルは大体、「愛らしい」路線と「不良」路線に大別されていました。
愛らしい路線のアイドルは「ぶりっこ」と言われ(今で言う「あざとい」ですね)
不良路線は「ツッパリ」と言われ。
対極のライバルのように扱われることもありました。

結局は顔立ちなどで割り振られたキャラにすぎず、新人ならではの拙さを、いわば「媚態」に変えて耳目を集めるという意味では、ぶりっこもツッパリも変わらなかったのだと、今になれば思うのですが。

「毎度おさわがせします」「ビーバップハイスクール」などでツッパリ路線を演じたミポリンは、シングル曲「JINGI・愛してもらいます」「ツイてるねノッてるね」「WAKU WAKUさせて」(1986)などでも強めのキャラというか、イケイケで周りを圧倒するようなイメージを演じています。

私は年代的に「毎度~」「ビーバップ~」にはあまりなじみがなく、自分も周りの友人も最初に強烈なインパクトを受けたのはドラマ「ママはアイドル!」(1987)でした。

18歳のアイドル中山美穂(ミポリン)が元担任教師であるシングルファーザー(三田村邦彦)と恋愛結婚し、3人の子ども達(長男がミポリンより年上の永瀬正敏、長女が当時中学生の後藤久美子)の母親になる……という、今改めて説明すると「いろいろどうなの」という話なのですが。
小学生の私にはとても面白く、友人達も皆こぞって観ていました。

彼女が実名で演じる劇中のミポリンは、とても強気で派手な女性。主題歌「派手!!!」も役中のイメージそのものでした。

(作詞 松本隆、作曲 筒美京平のゴールデンコンビです)

そんな中で、劇中で歌われた「You're my only shinin' star」はとても新鮮な印象を与えてくれました。

「不良っぽい強気なお姉さん」というそれまでのイメージと違った、都会的で情感豊かなバラード。子どもだった私は「きれいだなぁ、いい曲だな」と思うだけでしたが、1つ印象深かったのは、サビ。
🎵You're my only shinin' star~というその一部分は「ヨーマイオーンリー」と歌われていました。
小学生の私としては、「えっ『ゆあ・まい・おんりー』じゃないの?」と。
好きなアイドルはなんでも真似をしたい子どもでしたが、「ヨーマイオーンリー」と歌えるようになるまでだいぶ苦戦した覚えがあります。

小学生でも簡単に口ずさめる歌謡曲ポップスから、もう少し大人向けのシティポップ調へ。この曲のプロデュースは、シンガーソングライターの角松敏生さんでした。

その後徐々にミポリンは、ツッパリ路線の歌謡曲ポップスから、都会的なシティポップ調の曲にシフトしていきます。
改めてディスコグラフィを見ると面白いのは、筒美京平作品など歌謡ポップスの王道をシングルで出していた時期から、アルバムではニューミュージック(今で言うシティポップ)調のものを歌っているのです。

たとえば、シングル「JINGI・愛してもらいます」「ツイてるねノッてるね」がリリースされた86年夏のアルバム「SUMMER BREEZE」 は、「後に中山の楽曲制作に深く関わることとなる角松敏生とのコラボレーションのきっかけとなった作品」と言われています(出典)。

その後リリースされた「ONE AND ONLY」(1987)では久保田利伸、小室哲哉、EPOらから楽曲が提供され、EPO、大江千里、平松愛理などの楽曲を手がけた清水信之が多くの編曲を担当しています。

シングル曲では一般受けするものをリリースし、アルバム曲で実験的なものを制作する。当時よく取られた手法なのかもしれませんが。

ミポリンは本当に、ツッパリだったのがいつの間にか都会的な大人の女性に変身していた印象です。いつの間にか、拙さをカバーする「ツッパリ」というキャラ付けを必要としなくなっていた。でもこれらは突然運よくできたことではなく、前々からの積み重ねがあったのだな……と。


80年代後半のヒットチャートが、それまでの歌謡曲から後の「J-POP」的なものに傾いていく中で、アイドルの歌うものも歌謡曲的なものより、旬のアーティストの手がけたものが好まれるようになりました。ミポリンは急激にではなく徐々にそれを行っていたわけですが、87~88年頃にかけてそれが開花し、当時旬のシンセポップ、ダンスポップをベースとしたヒット曲を連発します。

筆頭はやはり角松敏生さん作品。「You're my only shinin' star」に次ぐ角松作品といえば「CATCH ME」(1987)

「You're~」とは全く違った、ディスコサウンド調の煌びやかな一曲。衣装もかなり華やかだった記憶があります。バブル時代を強く感じさせますが、それでもサウンドや衣装にまったく負けないのが、ミポリンのすごい所。

あと私がとても好きだったのは、シンガーソングライターCINDYシンディ作曲の「人魚姫 mermaid」「WITCHES」(ともに1988)

アルバム「CATCH THE NITE」(1987)「Mind Game」(1988)もとてもクールでした。既に、昨今のシティポップ好きには発掘されているのではないでしょうか。

(「人魚姫」と同じジャケットなのに、収録曲に「人魚姫」はない!昔の人気アーティストは時に、こういう容赦ないことをしました💦)

杏里さんプロデュースの「Virgin Eyes」(1989)も印象深いです。
曲調も、歌番組で歌い踊るミポリンの姿も、杏里さんみたい!と思った覚えが。

化粧品CMのテーマソングになった「ROSÉCOLORロゼカラー」(1989)
これもCINDYさんの作曲。
本当にバラの香りがするような、メロウで優雅な一曲。ミポリンの華やかさ美しさが凝縮されていました。


ミポリンのパフォーマンスは、不思議な魅力がありました。
アーティスト的な豊かな表現をしながらも、あまり彼女自身の主張や尖った個性を感じないのです。
これは、中森明菜、工藤静香などと大きく違う所です(どちらが良い悪いではなく)。

あくまで曲の世界に染まり、彼女自身の素顔は誰にもわからないようなミステリアスさ。
それでいて、秘められた意志の強さを感じる。

先ほども書いたようにミポリンは、どんなに派手なサウンドや衣装に包まれても、決して埋没しない華やかさがありました。
主役は、常に彼女。

つくづく思うのですが、80年代ソロで活躍していたアイドルは皆、本当に強かった。
当時ほとんどが10代の彼女たち。1人でステージを背負うだけでも大変な重圧だろうに、その上で個性を出して歌の世界を見事に表現する。並の強さ、胆力ではつとまらなかったと思います。

ミポリンはそんな彼女たちの、ほぼ頂点にいました。華やかな堂々とした姿で。
もちろん、人並み外れた美しさのアドバンテージはあったかもしれない。でも、それだけでつとまるようなものではなかったでしょう。華やかさは、そのまま彼女の強さだったと思います。


この後80年代終盤から90年代にかけ、アイドルは長い冬の時代に入ります。拙さで耳目を集めるアイドルは、淘汰される時代でした。
(こういうアイドルの売り方は後年、21世紀に入って盛大にリバイバルしましたが)

ミポリンは女優業を通して見事に生き残りましたが、80年代終盤のアイドル業での路線変更、洗練されたヒット曲の量産は、その後のキャリアに大きな影響を与えたに違いありません。


90年代に入って連ドラの主演が続き、すっかり女優業に軸足を置いた印象のミポリン。

そんな中1992年に突如、あのビッグヒットが生まれました。
ロックバンドWANDSワンズと共演した「世界中の誰よりきっと」です。

当時は、先ほど書いたようにアイドル冬の時代。
アイドル以外のジャンルはどうだったかというと、80年代終盤から盛り上がったバンドブームも下火。小室哲哉のプロデュースする「小室ファミリー」などが登場しお祭り状態になる前夜、嵐の前の静けさでした。
(地味でも良質なスマッシュヒットは多かったのですが)

そんな「凪」状態の当時のJ-POPの中で、唯一気を吐いていたのが「ビーイング系」。代表的なのはB'z、ZARD、WANDS、大黒摩季、DEEN、T-BOLANなど。

「世界中の誰よりきっと」は、ビーイング創立にも関与したシンガーソングライター・織田哲郎さんが手がけたものでした。
織田作品、WANDSとのコラボで、かなりビーイング色の強い作品だったと言えます。
実力派のバンドやシンガーソングライター以外のヒットが難しかった「凪」の時代によくぞここまでヒットした、と思っていましたが、ビーイング関連だったのですね。

……と長々講釈しましたが、今になってみると、ただただ「ミポリンの歌」。
キャッチーで爽やかな織田哲郎作品らしさ、ビーイング系らしさもあり、後にヒットを連発するWANDSの存在感ももちろんあるのですが。
それでもやっぱり「世界中の誰よりきっと」は、ミポリンの歌。誰もがそう思うでしょう。

やはりミポリンは、どこに行っても主役。どんな旬の人たちと絡んでも埋没しないのです。


90年代後半ミポリンは、映画「Love Letter」(1995)でこれまでにないナチュラルなショートカットのスタイルを披露し、引き算の魅力を発揮するようになりました。
これまでどんなに派手なヘアメイクやサウンドにもかすまなかったミポリンですが、この人は素でも、いやむしろ素の方がこんなに美しいんだ、と皆が度肝を抜かれました。


女優としての確固たる地位を確立しつつも、コンスタントにシングル・アルバムをリリースしていた90年代半ば~後半。この頃印象深かったのが、マライア・キャリーのカバー曲「HERO」(1994)です。


当時マライアが大好きだった私は「マライアに比べると物足りない」なんて憎たらしいことを思いましたが、今聴くととてもいいなと思います。とても繊細で優しい、ミポリンらしい「HERO」。



1999年、ミポリンは音楽活動を一時休止しました。
しかし様々な人生の転機を経て、近年音楽活動を本格的に再開していました。彼女の音楽活動に対する思いは、それだけ強かったのだなと思います。


昨年末の突然の訃報に日本中が驚き、悲しみました。私ももちろんその一人です。
それに加えて私は、その訃報が「『俳優の』中山美穂さん」と報じられたことを寂しく思いました。「女優」ではなく俳優。

あんなに華やかで美しかった人に「俳優」という呼び方は似合わない。
「女」のつく呼称は、殊更に性を強調するいやらしいものとして、消えていくんだろうか。
女性らしい華やかさが、必ずしもいやらしさ、媚びと結びつかないことは、誰よりこの人が証明してくれたのに。


ミポリン自身が歌詞を手がけた(国分友里恵さんとの共作)「ただ泣きたくなるの」(1994)という曲がとても好きです。

どんなふうに扉は開くのだろう
どんなふうに夜は終わってゆくのだろう

ただ泣きたくなるの
好きだから 好きだけど
いつも胸が
恋よりあたたかい
ぬくもりをあげたい
忙しい あなたへ……

「ただ泣きたくなるの」(作詞:国分友里恵・中山美穂)歌詞より抜粋

「どんな風に扉は開くのだろう
どんな風に夜は終わってゆくのだろう」

閉じられた扉の前で、いつ明けるかわからない夜の闇の前で。
絶望して立ち尽くすのではなく、静かに強く、扉が開くことを信じる。夜明けを信じる。そんなメッセージが歌われています。

誰より美しく、強い女性だった「ミポリン」を、私はずっと忘れません。


いいなと思ったら応援しよう!