いつかティファニーで朝食を
大人になって初めて漫画を買い揃えた。美味しそうなごはん、主人公たちが壁にぶつかりながら成長する姿に何度も励まされた。
20代後半、私は人生の岐路に「勝手」に立っている気でいた。
別に自分自身何も変わっていなかった。周りがどんどん変わっていくのに「変わらない自分」に焦りを感じ【岐路に立たされている】と勝手に思っていた。振り返れば岐路に立ててさえいなかった。
強いて言えば、新卒で入社した会社でこの先何年も勤めるなんて無理だと感じはじめていた。
友達の多くが結婚、出産と人生のステージを進めていく一方、私は仕事にやりがいなんて見出せず、むしろ精神的に追い詰められていき本当にもう限界だった。
その頃、勤続10年20年選手の独身女性の先輩方が次々と退職していった。
必ずそうとは言い切れないが、まるで自分の未来を見ているようだった。本人の意思とは関係なく責任ある立場に追い立てられ、体調面もメンタル面もボロボロに擦り切れている様は見るに堪えなかった。
彼女らとて続けられるものなら続けたかったと思う。長年同じ業界で勤めそこしか知らないアラサー、アラフォーが転職出来るのかという不安や葛藤を天秤にかけても辛い方が勝る状況だったのは他人事とは思えなかった。
ほどなくして、私は転職先も決めずに会社を辞めた。
一番よく遊んでいた友達が結婚し県外へ引っ越していった。仕事終わりや週末何かにつけて飲みに出かけていたが、友達付き合いをあまりしてこなかった私は彼女の結婚を機に夜遊びすることがほとんどなくなった。
そんな時この漫画と出会った単純な私は「モーニング」に行ってみよう、と思ったのだ。彼氏との関係に悩んでいた主人公が親友達を誘いモーニングを食べた時の満たされた顔、私もあの顔になりたいと思った。
朝マックや朝モスはそれまでにもたまに利用していたが、ここはひとつ漫画に出るような美味しそうなモーニングを食べてみようと思った。
漫画は実在のお店が舞台となるが主には東京、地方にどれほどあるのかと調べてみると思いのほかたくさんの候補があることに驚いた。古くからある喫茶店やパン屋さん、全国展開のチェーン店、新しいお洒落なお店。
モーニング初心者の頃は、ドリンクにトーストと卵、サラダがつくような所謂モーニング然としたオーソドックスなメニューのお店に行くことが多かった。朝から人が作ってくれたものをいただき、人の淹れてくれた珈琲を飲むだけで何だか幸せな高揚感があった。
いつも歩く街並みなのに新しい朝の爽やかさ、昼間の喧騒からは想像もできないほどの人通りの少なさ、夜の繁華街が見せる朝の顔は、何だかがらんとして白々しくて、知っている街なのに知らない街のように見えた。
私がお昼過ぎまで寝てダラダラ過ごしている休日の朝、シャキッと整え活動している人がいるんだ、と、当たり前のことなのに、別世界に迷い込んだような不思議な気持になり、通勤時とさほど変わらない時間帯でも、忙しさもなくのんびりとゆったりとしているだけで、清々しい気持ちになれた。
近所のパスタ屋さんがいつの間にかハワイアンのお店に代わっていた。モーニングもやっているらしいと教えてもらい、友達を誘って行ってみた。
顔程もある焼き立てクロワッサンはサクサクで、中はバターでしっとり、好みの具材を選べるオムレツはボリューム満点で私好みのお味、付け合わせのサラダも彩り豊かでアイスコーヒーは大きなグラスにたっぷり!私はこのモーニングを目の前に漫画の主人公たちと同じ顔をしていたと思う。食べても食べても美味しくて、とても満たされた。
お腹いっぱい食べ終わり大満足でお店を出てもまだ朝!いつもダラダラ過ごす私にとって時間がたっぷりある、それだけで贅沢な気持ちになった。
前職とは異なり有給休暇は都市伝説ではなく上司をはじめ皆が率先して休暇を取り、定時に帰ることを誰も咎めない、誰かが怒鳴り・怒鳴られていることもない職場に転職した。結局そこも4年足らずで辞めてしまったが、今でもモーニングには行っている。
結婚しない、子どもを持たないという選択をする人は少なからずいる。たまたま私の周りの友達が結婚し、子どもを持つ選択をした子が多かっただけに過ぎない。狭い世界で、一方向から物事を見ると別の素敵な面を見落とすことがある。人や物事には色んな顔がある。全部知らなくてもいいが、同じ街にも、朝・昼・夜とそれぞれに別の顔があるように、何事にも色んな顔が「ある」ということは知っておいてもいいと思った。
人には、他人には見せない悩みや葛藤があるかも知れない。
いつかティファニーで朝食を、私のように時に胸が締め付けられるほど共感している人がたくさんいると思う。たまたま私の周りにいないだけで。世の中ってそんなものだ。目に見えていないことの方がたっくさんあるから、目の前のことだけにいっぱいいっぱいになり過ぎそうなとき、これからも何度でも読み返すと思う。