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no more無いものねだり(18/100)

はじめに

スキマです。note100記事に挑戦しています。私の考え方の癖をさらけ出す記事です。このまま100記事に辿り着ける気がしないので、伝えたいこと、持って帰って欲しいものを整理したいのですができていません。


無いものねだりは理想の裏返しではある

小さな子供を見て想像ができます。お菓子だったりオモチャだったりしますが、売り場のパッケージに心を奪われて、必死におねだりします。
泣くという行為は、イメージと現実の差が脳内で処理しきれなくなった時のエラーメッセージだと私は思っています。
余談ですが私は子供向けのベタな展開、「5人の戦士が5色の玉を苦労してゲットして集めたら、玉が輝き出して云々」なお約束ご都合展開に毎回やられます。何があった自分。
まずは、望むこと自体は悪いことではない、足ることを知れ、ではないことを前置きします。

足りているものよりも足りないものの方が見つけやすい

視力検査に出てくるアレ。ランドルト環と言います。
足りないモノ、かけているものを見つけさせて、既知の正解と比較することで、視力を計測しています。
かように、私たちは「欠けているもの」「足りないモノ」を見つけて大騒ぎする習慣があるのです。
足りないモノを見つけてはいけない、という話ではありません。
足りないモノが何かを見つける態度は大事ですが、足りないからと言って反射的に「無い!無い!」と大騒ぎするのは待ちましょう、ということです

自分が持っているものを他人が持っていないと目立つ

学生の運動部だと思ってください。サッカー部員はサッカーの上手い下手が分かる。野球部員は野球の上手い下手が分かる。水泳部は泳ぎのフォームの良し悪しが分かる。美術部はデッサンや影の付け方が分かる。
ちなみに私は新聞部で、あちこちの大会に行って写真部と一緒に見まくったので、記事になるか(ドラマチックな展開か)と絵になるか(写真部がコンテストに出すか)ばかり見ていました
なので、ついダメ出しをしたくなる。無いものねだりの正反対の図式がある。
どうだ、スゴイだろ、へへん、と少しだけ自慢したつもりが、マウントと受け取られてしまったりする。
これが行き過ぎると「このぐらいできて当たり前だ」とハラスメント気質にもつながるので、自分の得意領域で他人を採点する時はちょっとだけ注意するのをオススメしています。

そもそも、無いものねだりのない世の中が無いものねだり

無いものねだりがダメという話ではなくて

  • 自分が持っているモノが何か

  • 相手が持っているモノが何か

  • 追加でゲットできたらステキなモノが何か

そして合知合力で何を作るか

一番大切で、一番エキサイティングなのは「出来た」と思うその瞬間なハズで、足りないモノを数え続けても到達しない。
手持ちの材料や知識、技能では満足するものにならないかもしれない。
でも無いものねだりして「ここにあれがあればなあ」と思い続けるより、きっと256倍マシだ






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