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「掛け替えのないもの」

皆さま、こんにちは。陰山です。

先日、外に出ると親指に埃が。
パッと払おうとすると、埃ではなく小さなフワフワした虫でした。
あら、可愛いと思ってしばらく見て、何の虫か調べてみることに。
名前はワタムシ。
そのままやないかい!と笑っていました。

でも、ネットを見ていると、なんだか複雑な気持ちに。
ネットには「害虫・駆除」の文字ばかり。
「お前、こんなかわいいのに害虫・害虫言われてかわいそうに…」

ワタムシは、リンゴなどの果樹について汁を吸い、葉や実が落ちる原因に。
昔から農家さんにとっては有名な虫だそうです。

そういや、うちの檸檬の葉の裏に集団でおるのはこの子たちか。
でも、今のところ檸檬の木自体に影響はなさそうなので、私からすりゃ害虫でもなんでもありません。
むしろ、単体で見るとかわいい生き物。

ワタムシとサヨナラして、駐車場に出てみると、1匹のムカデの死骸が。
パッと見たその死骸が何とも美しかったんです。
セルリアンブルーのような綺麗な青色の脚が日の光で輝き、目を奪われました。
そんなムカデとは前日の夜、家の中で格闘したところでした。
「お前、綺麗やったんやな。」思わず、心の中で思いました。

以前、岩田さんが「愛について語ってしまった…」でダンゴムシへの葛藤を語りながら、自分都合で敵味方を作り出し、コロコロと状況に応じて変化する、ひどく勝手な人間である。とおっしゃっていました。
本当にそうですね。と思いながら、
そういえばこの次に木山さんが…と、「九州北部、梅雨が明けそうにありません」を開いてみると、ムカデの話笑

このブログメンバーの言葉が私に染みてくださってたんやな。と笑いながら嬉しく思いましたね。

ただ少し外が寒くなってきたから、中に入って暖を取ろうとしただけであろうムカデを、「お前は私を傷つける可能性のある不快なものである」と躊躇なくやっつけてしまいながら、次の日には「お前、綺麗やったんやな」と思い、
今は「かわいいなー」と思えるワタムシも、檸檬の木が枯れてしまったら「お前ら駆逐してやる!」と殺虫剤を撒き散らすでしょう。

私中心に物事の見方を変えていく身勝手なものです。

でも、私には分からないだけで無駄ないのちなんてないんでしょう。
害虫と呼ばれる人に嫌われる虫たちは、私には見えないところで世界を担っているようです。
いや、すべてのいのちがそうなんでしょう。
私にはなんで存在しているのか分からないいのちも、なぜ存在しているのか分からないのは、私に全てを見通す力がなく、愚かなだけです。
すべてのいのちは阿弥陀さんから「十方衆生よ」と願われたいのちなんでしょう。

先日、上野隆平先生という行信教校の先生がお話くださいました。

「十方衆生」の「十方」とはありとあらゆる方向、「衆生」とはいきとしいけるすべてのもの、だから法蔵菩薩の本願とは人間だけにかけられているものではないですね。あらゆるいきとしいけるすべてのものに願いがかけられているんです。とくにインドは輪廻の考え方が今の私達より相当しっかりとあります。動物や昆虫といっても、過去世においては私達の親だったかもしれない。連れ合いだったかもしれない。子供だったかもしれない。常にこういう考え方があるんですね。今、どんな境界にあろうが、いきとしいけるものが本当に幸せになって欲しいと法蔵菩薩は願いを込めて「十方衆生」と、その願いの対象をありとあらゆるいきとしいけるものに向けておられるということです。

そのお話を聞きながら、
あっ、十方って中心は阿弥陀さんやったんやな。
と、ふと思いました。

阿弥陀さんから十方、阿弥陀さんを中心とした世界に私を置いて頂く。
私は私を中心とした十方のものが、心地よいものはこちらに嫌なものはあちらに、と自分の思い通りには決してならないのに、自分の思い通りにしようと苦しみの中でもがいている。
そんな私を見て、救わずにはおれなかったのが阿弥陀さんです。

そして、そのお心は十方衆生に。
すべてのいのちは掛け替えのない大切な存在のようです。

梯和上の言葉が思い出されます。

憎たらしい奴に「お前みたいな奴は死んじまえ!」と言わんと、「俺はお前大嫌い、しかし、お前さんが生きていることは素晴らしいことなんだから、まあ、お大事になさいませよ」と心秘かに思うてみたらどうだろう。

岩田さん、木山さんが「葛藤」とおっしゃってくださいました。
私中心にしか生きれないものが「十方衆生よ」と阿弥陀さん中心の世界に置いて頂く。

阿弥陀さんから見た世界は、全てが1つに融け合っているような一如の世界。
私から見た世界は、愛憎・生死など私がすべてを分け隔てした世界。

決して私ということから離れられず、自分中心にしか物事を見れないけれども、阿弥陀さんは常に私と共にいてくださり、阿弥陀さん中心の世界を知らせてくださる。

私は「お前のことは嫌い」としか思えないが、阿弥陀さんは「お前のいのちは素晴らしい」とおっしゃる。
そこに「葛藤」が生まれる。

虫や周りの人たちに対してだけではありません。
私自身に対しても、そうでしょう。
私は私すら見捨ててしまいます。
なぜ生きてるのか、自分に何の価値があるのか、なぜ存在しているのか分からなくなる時があります。

その私にも、「お前のいのちは素晴らしい」と、私が私を諦めても、私を諦めてくださらない方がいる。

スッとは受け入れられなくても、その言葉は私を支えてくださいます。

そこに生まれてくる葛藤もまた私を豊かな世界に導いてくださるお育てなんでしょうね。

なるべくそのお心にかなった生き方をさせて頂きたいものです。

なんまんだぶ

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