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受験生と阿弥陀さん✏️

皆さま、こんばんは。今週は陰山です。

唐突ですが、浄土真宗本願寺派には、宗門の中での学位のような学階というものがあります。
その試験を殿試といいます。
私は来週その殿試を受ける為、最近はずっとそのための本を読んだり書いたり、つまり受験勉強ばかりしている毎日です。

試験の内容は、浄土真宗の教えを正しくいただいていく上で必要な「安心論題」を正しく理解してるかを問われるものです。
「安心論題」とは、経典や親鸞聖人や祖師方のお言葉を正しく拝読させていただき、阿弥陀仏のお救いのはたらきを間違いのないようにいただく規範として本願寺派が設けた17題の論題のことです。
その内からどれか1題が問題として出題されます。

しかし、この17論題が中々頭に入らない。
焦りと寝不足で毎日イライラ。
そのイライラを家族や友人に向けてしまうことも。
ダメだなとは思いながらも、「わしゃ今大変なんじゃい」と自分のことばかり考えてしまいます。

先日、御門徒さんのお宅にお参りに行って、阿弥陀さんを前にふと思ったことがありました。
と言いますのも、そのお参りの数日前に、私のお預かりしているお寺に、近所の小学校の子供達が校区探検で来てくれたことがありました。
先生から事前に連絡をいただき、地域の話やお寺の話をして欲しいとのことで、子供たちに話をしました。

この地域の70年前の航空写真と今の航空写真を見せながら、
・昔は一面田んぼだった
・近所の川は今は真っ直ぐやけど、昔は曲がってて氾濫もあった
・私たちが困らないように、安心して生きていけるようにご先祖さんたちは川を真っ直ぐにしてくれたんやね。
とか、そんな話をしていると、子供たちは「えー!すごー!」と、すごくいい反応をしてくれ、こちらも非常に楽しく時間を過ごせました。

そして、最後にお寺のことについて話させて頂いて、
「お寺って何するとこか知ってる?」と聞くと、だいたいの子供達が
「お願いするところ!」という答えをくれました。
「普通そう思うと思うねんけど、お寺は私のお願いを聞いてもらうとこじゃなくて、仏さんの願いを聞く場所やねん。その仏さんの願いは皆に平和に生きて欲しい、安らかな気持ちで生きて欲しいってことよ。皆も平和に生きなあかん。友達と仲良くせなあかん。っていうのは分かってるやんな?けど、友達や家族と喧嘩しちゃうこともあるやろ?それなんでかっていうと、自分のことばかり考えてしまうからやねん。人っていうのは自分のことばっかり考えるようにできてるねん。だから、仏さんの願い聞いて生きなあかんのよ」というような話をしました。

先の御門徒さんのお宅でお勤めしながら、その時自分の言葉を思い出しました。
毎日イライラしながら、荒んだ心からさらに荒んでいこうとしている私。
焦る気持ちの中で、荒っぽい言葉を家族や友人にぶつけてしまう私。
阿弥陀さんの「安らかに生きて欲しい」という願いとは真逆に進んで、阿弥陀さんのこと悲しませてるんやな。と、私自身が悲しくなって、申し訳ない気持ちでいっぱいになり、お念仏もうす声が震えたことでありました。

自分で、「人っていうのは自分のことばっかり考えて生きてしまうねん。だから、仏さんの願い聞いて生きなあかんのよ。」と言いながら、自分にばかり依って、仏さんに依らずに生きていたのはこの私でした。
お恥ずかしいことです。

阿弥陀さんのお言葉を聞かせて頂きながらも、それとは真逆に逃げて逃げて逃げて、自分のことばかり考えようとしている私に、ずっと願いをかけ続けてくださります。
阿弥陀さんは「私がおるよ。」とおっしゃってくださいますが、自分のすがたを省みると、「それでええんか」とも言われている感覚を覚えます。
私にとっては、厳しく暖かい阿弥陀さん。
御門徒さんのお宅のお仏壇の前に座る私に、お念仏となって気づかせてくれたんですね。
有難いことです。
なんまんだぶ。

と短いですが、勉強の合間のリフレッシュがてらに最近のお味わい述べさせて頂きました。

後、一週間切ったのにまだ全然覚えれてない…
大丈夫だろうか、私…
がんばります。

称名


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