ミスリード
人生を1本の映画だとすると、ラストシーンが見えちゃってる作品に魅力はありません。
ラストはもちろんそこまでのストーリーを面白くするのが主役兼プロデューサーの自分自身の仕事の醍醐味だと思っています。
考察系ドラマが流行ってます。
前クールの「VIVAN」。
ハマりましたw
ドラマは既に決まったストーリーがあるので、考察が当たる時もあるし外れる時もあります。
ただ、もしプロデューサーや監督が世の中の考察を見ながらその後のストーリーを考えていたら…とすると、考察自体意味がないことになってきます。
ではもっと深く考えて、考察自体を自分の思うように引っ張っていったとしたら?
ドラマでいう「ミスリード」です。
人生はこの「ミスリード」が大切だと思っています。
みんなが主役を「こういう人間だろう」と考察した時に、わざと全く違う人間を演じるのは「違和感」でしかありません。
そうなると視聴者、つまり周りの人間は離れます。
人生の要所、要所で「こうありたい」というストーリーやラストができたのであれば、まずそこに考察を誘導する「ミスリード」、つまり「評価の思い込み」が必要だと思います。
「自分はこういう人ですよー」と視聴者に徐々に伝えるわけです。
そこにプロローグの時の自分のパーソナリティーはあまり関係ありません。
「なりたい自分」になるた目の布石を打っていきます。
人はいつでも変われると思っています。
ただ、視聴者用にそのための「ミスリード」は必要不可欠だと思います。
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