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教員は学校教育を良くできるか

小学校の先生に子供嫌いな人はいないだろう。
この職業を目指す人のほとんどは子供が可愛くて、自分が仕事に選ぶとしたら学校の先生だ、と思い教員免許を取った人がほとんどだろう。

では、「学校教育を変えてやろう」「この国の将来を担う子供たちの教育課題を解決したい」と思い、この職業に就いた人はどのくらいいるだろうか。


教員を志す理由

私の身近には小学校の教員になった友人、後輩が多くいる。
彼ら彼女らにその理由を聞くと、一般企業に勤めるよりも子供たちと触れ合うことを仕事にしたいと言っていた。教育実習を通して、企業への就職よりも自分に向いていると感じた人が志すパターンが1つである。

もう1つは親が教員をしていて、その背中を追いかけた例。
仕事を選択する際に教員という選択肢が常にあり、岐路に立った時にそちらへ進むというパターンである。

教員の出世

学校教員にもいわゆる出世があり、学年主任や教頭、校長へと職階が変化していく。
その一方で職歴を重ねても、子供と接するポジションを希望し、管理職へ進まない場合も多い。管理職になると学校全体の運営や教員の管理など、子供たちから距離ができてしまう。
教員になった人の多くは、そういう理由から学校運営を担う立場を選択しない。

小学校教育の課題

近年の学校教育は我々が受けた教育からは大きく変化している。
小学校教育に英語が現れ、理系科目では論理的思考を身に着けるためのプログラムが用意されている。
しかしこれらは今まであった教育と入れ替わるのではなく、これまでの教育課程にさらに追加されているのが実情である。
先生たちは自分たちが習ったことのない科目や単元を手探りの状態で授業し、子供たちに教えなければならない。
また、世界から遅れを取っているといわれる人の多様性に関する教育や性教育などにも力を入れたい。

しかし、実際には保護者の対応や気になる子供のケア、地域活動や研修など。名ばかりの定時が過ぎれば子供たちのノートへのコメントやテストの丸付けが始まる。
現場で働く先生たちはトイレにも行けないくらい忙しいのである。
常に目の前の子供たちやその家庭、授業に精一杯な先生たちに、今の教育構造の課題やその解決策を考える時間的な余裕も気力もどこにもない。

省庁と現場のギャップ

学校教育は各学校単位で方針を決められるものではない。
文部科学省からの指針を基に、都道府県、自治体の教育方針が決められ、各学校に通達される。各学校では校長や管理職を中心に、その方針を現場のアクションレベルへ落とし込む。
教育現場を最も知っている最前線の教員は多忙ながらそのプログラムに沿って日々の授業を進める。

学校教育の向上を狙う省庁と、そんなことを考える余力はなく、目の前の仕事を進めていく教育現場。省庁が現場に求めることと実情のギャップがあまりにも多すぎるのではないか。

さらに、先生たちは「子供と一緒に過ごす職業」を選んだのであって、「学校教育を変えたい!」と意気込んでいる人は多くない。
これらのことは小学校だけでなく、幼児教育や中学高校にも全く同じことが言える。


果たして、このままの状態で学校教育は良くなっていくのだろうか。
学校教育を見直すと同時に、現場で働く先生たちの働き方を見直すことも、学校教育をよくするための近道ではないだろうか。

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