「水飴と石段」・・・怪談。菩提寺の石段の陰で話し合う夫婦。
『水飴と石段』
浄法寺の長い石段の下で待っている二台の人力車を眺めながら、
友司は深いため息をついた。
雨上がり森から涼しい風が通り抜けていく。
その心地よさを感じていても、友司の心は晴れなかった。
『飴を選ぶときに指をくわえるのが、友恵の癖だったな』
階段脇にある駄菓子屋の緋毛氈の色が、目に飛び込んでくる。
「また、昔の事を考えてるの?」
いつのまにか友司の隣に、若い女が立っていた。
「恵美・・・」
「あの娘、何でもすぐに決めてしまうのに、飴だけは迷うのよね。
並んだガラス瓶を端から端まで、何度も眺めて・・・」
「それなのに、一番安い水飴を選ぶんだ。
もっと高いものでも良いって言うっても、絶対水飴だ。
その内に、俺は水飴が嫌いになった。
なんだか、遠慮されてるみたいに感じてたんだ」
「あら。そんな事ないわよ。本当に好きだったのよ、水飴。
買って貰った時は、いつも石畳をケンケンパして帰ったじゃないの。
そうそう。あんまり勢い良く跳ねるもんだから、持ってた水飴が
お地蔵様の頭に飛んじゃった時の事、覚えてる?
あの子ったら大変な勢いで泣き出して。
でもあたしは、お地蔵さまが友恵と一緒に水飴の涙を流してくれてる、って思えて、おかしくって笑っちゃったわ。ふふふ」
「あの時も『水飴目当てに墓参りなんかするからだ』と叱ってしまった。
そんな事言わずに、もう一本買ってあげれば良かったのに」
「ええ。そしたら友恵は、『水飴も食べないで、さっさと帰ってしまったら、仏様に気づいてもらえませんから』なんて生意気な事を言ったのよね」
「結局俺は、友恵に優しく出来なかった」
恵美は、やっぱりその話になったか、と思い、友司の肩に手を添えた。
「ううん。あなたは十分優しかったわ。
ほら。照る照る坊主を作ってあげたことがあったでしょ。
遠足の前の日に軒先にたくさん吊るしてさ」
「あれも結局雨に降られた。全然効かない、って悲しそうな顔をされたよ」
「いいえ。あなたは知らないでしょうけど、あの後で友恵は
歌も照る照る坊主も、友達に自慢してたのよ」
友司の頬が少し緩んだ。恵美はその顔が好きだった。
雲の切れ目から顔を出した太陽が石段の水たまりに映っていた。
「恵美は、あの時も見てたの?」
「ええ。二人が人力車で到着してからずっと見てたわ。、
小雨が降ってる石段の中ほどで、傘を差した友恵が足を滑らして、
すぐ下にいたあなたが友恵を抱えながら滑り落ちていった」
「そして、そのまま・・・俺のせいだ」
「雨で石段が滑るのは、あなたのせいじゃないわよ。」
「俺がちゃんと手を取って上れば良かったんだ」
「もうそんな歳じゃないでしょ。
え~と、あなたと再婚したのが五歳の時。それから十年だから」
「十年も一緒にいたのに」
「時間じゃないの。簡単には素直になれないところが女の子にはあるのよ。
何というかなぁ。男の人に対して恥ずかしいのかな。」
『父親』ではなく、『男の人』。
慰めのつもりで言った恵美の言葉が核心を突いてしまった。
友司の表情が一瞬でこわばり、それに気づいた恵美も黙りこんだ。
バツの悪い沈黙を破るように、カランコロンと下駄の音を響いた。
石段脇の駄菓子屋の戸が開き、
右手に水飴を持った友恵が顔を出した。
その姿を見て友司は思った。
「あの時、俺が傘を差しかけてあげれば良かったのかもしれない」
「いいえ。傘を持ってたら、足を滑らせた友恵を受け止められなかったでしょう。結局。あれが良かったのよ」
「俺が死んだ事がか?」
「あら。そうなっちゃうかしら、ふふふ」
「相変わらずだな」
「ええ。何も変わってないわよ。あなたと違って私は二十三のまま。
もう十年も、愛しい娘が成長するのを見守ってきたんだから」
「ありがとう。俺も友恵もそう思って生きてきた」
「これからは二人でずっと見守っていられるわよ」
ゴーン、と心に滲みる鐘の音が響いた。
二人は名残惜しそうに、階段を下りていく友恵を見詰めた。
「なあ。もうどんなに心配しても、気持ちは伝わらないのかな」
「分からないわ。
でも、こうしてお参りに来てくれれば、また会えるんだから」
「そうだな。その為にも、ずっと水飴を好きでいて欲しいな」
「あ~ら。ふふふ」
鐘の余韻とともに、友司と恵美の姿が薄くなっていった。
友恵が石段を下りると、
二台の人力車の横に、品の良い和服の老女が立っていた。
「友恵ちゃん。買い忘れた水飴は手に入ったようね?」
「はい。おばあさま。お店の人が仕舞いかけていたのを
出してきてくれたので助かりました」
「それは良かったわね。でも、どうしてお墓参りに来るたびに
水飴を買うの? お菓子ならいくらでも家にあるでしょうに」
「水飴は、よくお父さんが買ってくれたんです。
それに、水飴も食べないで、さっさと帰ってしまったら、
仏様に気づいてもらえませんから」
「そうね。それは良いわ。友司も恵美さんもきっと
友恵ちゃんが来てくれた事を気づいてくれたでしょうね」
雨上がりの空に、大きな虹が出ていた。
友恵はその虹を眺め、ぺろりと水飴を一口舐めた。
水飴は昔と変わらず、甘く柔らかかった。
おわり
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