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「デビュー作にして遺作」その1・・・映画のような人生を送った監督について


映画「静かに燃えて」の小林豊規(とよのり)監督が亡くなって、6日でちょうど1年。
ということで、個人的に見つめた小林監督について、改めて思い返してみたい。
*一部、昨年の池袋での公開時の内容とダブりますのでご容赦ください。

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小林豊規(とよのり)監督。本名小林一(はじめ)。
初めて出会ったのは、大学の授業だった。
隣に座った彼に、「家はどこ?」と聞いて、
「銀座」と答る彼に、「銀座って人住めるの?」
と失礼この上ない返事をしたのが最初だった。

「写真を撮るスチールカメラと区別したいから、
僕はムービーのカメラを、キャメラと呼ぶんだ」

というのを聞き、彼の真摯なこだわりを感じた。

その後、中学生の頃から8mmフィルムで映画を撮影し続けている事、
すでに何本も劇映画やドキュメンタリー映画を作っている事を聞くと
単に「面白そうだ」というだけで、この道を選んだ自分が恥ずかしく思えた。

そして、ヌーベルバーグから怪獣映画まで
どのような映画について聞いても、答えられない事は無く、
年間何百本と映画を観ているというその博識にも舌を巻いた。

在学中に後に有名監督となる友人の映画で撮影を担い、
自信を持った彼は、16mmのフィルムカメラを自ら購入し
作品を監督した。
小林監督は私のずっと、前を歩いていたのだ。

就職して数年1990年頃には、コマーシャルの仕事をやっていると聞き、
最先端の映像の仕事をしているな・・・と羨ましく思った。
その後は互いに仕事が忙しくなり、時折同窓会などで連絡を取るだけになっていった。
それからさらに、15年くらい経った頃、2005年になって
私が仕事のキャスティングを取れるようになると、
CMや番組のディレクターとして彼に声を掛けた。
小林く監督は忙しい合間を縫って、CMやTV番組の演出を受けてくれた。
その時の手慣れた仕事ぶり、映像へのこだわりは学生時代から変わらず
逞しく思えた。

当時小林監督の口癖は、

「これ、狙いだから・・・」

だった。
一見、違和感のある映像が、試写すると好評だった。
仕事でも映像で挑戦する姿勢を崩していなかったのだ。

その頃から、公私にわたり話をし、
奥さんが早逝されてからは、電話や飲み会などで
話をすることが増え、面白い映画や面白くない映画について語り合い、
気が付けば夜中になっていることも少なくなかった。

そして、運命のあの時が来た。

つづく



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夢乃玉堂
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