「庚申の夜」・・・怪談。飲む・打つ・買う。三つの中で最も止めるのが難しいのは。
今はもう昔の話でございますが、禅寺の斎亮寺(仮名)の修行というものは、たいそう厳しいものとして知られておりました。
修行僧は、午前3時には起床し、
座禅は朝・昼・夜の3回、お勤めは朝・昼・晩の計3回行います。
日常生活のすべてが修行の場でございますので、
座禅やお勤めだけでなく、箸の上げ下ろし、食べる速度や片付けの位置方法など、それはそれは厳しく定められておりました。
もちろん食事中の私語はご法度。音を立ててもいけません。
この厳しい戒律に従い、3年間の修行を終えた者だけが、
地元に帰り、寺を継ぐ住職の資格を得ることが出来るのでございます。
江戸の中ごろの事でございます。斎亮寺に3人の修行僧がおりました。
名前を仮に、東覚、西覚、南覚といたしましょう。
3人は元商人でしたが、東覚は女遊びが過ぎて、西覚は酒を飲み過ぎて、
そして南覚は博打を打ち過ぎて、身代(店)を潰してしまい、それを悔いて仏門に下り、修行の身となったのです。
3人は住職の一生懸命言いつけを守り、修行に励んでおりました。
「修行を終えれば、地元に帰り、地元の寺の住職として、
民を仏の道に導くことが出来る、迷惑をかけた親戚や友人たちにも
何とか顔向けが出来るようになる」
そんな事を夢見て日々修行に励んでいたのでございます。
3人が寺に来てから3か月ほどして「庚申の日」が訪れました。
庚申の日には人間の体内にいる三尸(さんし)という虫が、
その人が寝ている間に体から出て、その行いを神様に告げ口すると言い伝えられております。
その為、庚申の日には、夜通しお経を読み続けます。
「通夜」という言葉は、ここから来たと言われております。
ところがこの前日、下の村の村長が亡くなり、住職以下寺の僧侶たちは
村長の家で法要を行う事になってしまった。
「修行中は下の村に降りることは出来ん、庚申の日でもあるから、寺に残るお前たち3人は朝まで本堂で読経をするのじゃ」
住職はそう言って寺を出て行きました。
残った3人は、本堂に集まり読経を始めましたが、元々が商人ですから、他に誰も居ないとなると、ついつい欲望が顔を出します。
それに最初に気づいたのは、南覚でした。
『おや。東覚の読経の声が大きくなったぞ。酒の事が頭に浮かんだのか。
今度は、西覚の読経が大きくなった。廓の花魁でも思い出しているんだな』
そう思うと南覚は、この二人をからかってやろうと思い始めました。
酒好きの東覚に向けて、般若心経の中の
「是大神呪 是大明呪 是無上呪(ぜだいじんしゅ ぜだいみょうしゅ ぜむじょうしゅ)」という部分を唱えるとき、
「ぜだいしんしゅ(新酒) ぜだいみょうしゅ(妙酒) ぜむじょうしゅ(上酒)」と聞こえるように唱え続けたのでございます。
それとともに、女好きの西覚に向けては、
わずかに女子のような声と色気を交えて唱えていきました。
一度聞いただけではほとんど分かりませんが、朝までの通夜。
何百回と心経を唱えます。
ほんの僅かな企みの言葉や抑揚も、何度も何度も繰り返すことで、二人の心に滓のように溜まっていったのでした。
やがて、二人の心経は声が途切れる事が多くなり、必死に邪念を振りほどこうとしているのが伝わってきます。
南覚は、どんどん面白くなり、さらに悪い企みを思いついてしまいました。
『これは楽しい。どちらが先に耐え切れなくなって読経を止めてしまうか、
腹の内で賭けてみよう。わしの読みでは女好きの西覚の方が先に音を上げると見た。西覚に500文じゃ』
と頭の中で、西覚と書かれた賭け札を積み上げました。
その途端。
本堂の屋根に雷が落ち、
南覚の体を直撃したのでございます。
その衝撃で東覚も西覚も本堂の端まで吹き飛ばされましたが、
不思議な事に怪我は全くありませんでした。
本堂の真ん中には、真っ黒こげになった南覚の遺体だけが転がっていたのでした。
朝になって帰ってきた住職が、事情を聞いてこう言いました。
「寺には酒も女も無い。無いものを求めても得られるはずがない。
手に入らない物を我慢するのはたやすい。
しかし賭け事は、丁半ならずとも病葉の散り際、燕の訪れ、童の駆けっこ、如何なるものでも、自らの心の中で賭けにしてしまうことが出来る。
それだけに我慢することが難しい。おのれの心に勝たねばならぬ。
修行とはそういうものであると心得よ」
その後、東覚と西覚は無事修行を遂げ、南覚の遺体は斎亮寺の墓地で、ねんごろに弔われたと伝えられています。
おわり
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