「異国の新聞」・・・怪談。難しい言語の新聞を読んでいる女に。
美人と評判の由良たまきは、帰国子女で、9か国語を話すという噂もあり、社内の男性は勿論、取引先の社員からも一目置かれている。
彼女が畏敬の念を集めるのには、もう一つ理由がある。
それは彼女がいつも、見知らぬ国の新聞を読んでいるということだ。
通勤時間や始業時間前の短い時間にも、その新聞を読みふけっている。その時には、実に真剣に集中していて、余人を近づけないような鬼気迫る雰囲気を醸していた。
その為、誰もその新聞について彼女に聞けなかったのだが、一度だけ、三浦真美という新人が聞いたことがあった。
真美は、大卒で入社したての22歳で、社内の人間と仲良くなりたいと日頃から語っていた。
由良さんだけでなく、先輩の趣味や好き嫌いを把握していたから、早く会社に馴染もうとしていたのかもしれない。
その小さな好奇心が、忖度というハードルを軽々と乗り越えさせたのだろう。
「由良さん。どこの国の新聞を読んでるんですか?」
「どこの国でもないわよ」
「え~。でも、その文字、ふにゃふにゃして手書き文字みたいに見えますけど、どこか中東とか東南アジアとかの活字ですか?」
それに対する由良さんの答えは意外なものだった。
「あなた、この文字見たことないの? 本当に? 覚えてないだけじゃないの?」
「いいえ。私海外に行ったこともないですから、英語以外の外国語は全然知りませんよ」
「外国じゃないわ」
由良さんはそう言って人差し指を立て、天井を指さした。
その指を追って上を見た真美の目には、オフィスの天井が見えるだけであった。
「あなたもあそこにいたでしょ、昔。もう忘れちゃった?」
「何のことですか? からかわないでくださいよ」
真美はちょっと拗ね気味に答えた。彼女はよく友人にもからかわれるらしい。何となくイジリたくなるキャラクターなのだ。
「からかってる訳じゃないわよ。あなたが知りたいって言うから教えてるの」
「ちゃんと教えてください!」
社会人になりたての人は、おおよそ二つのタイプに分かれる。自分の知らないことがあると、自力で調べるタイプと、知らないことは、まず人に聞いて解決しようとするタイプだ。
どちらが良い悪いという事はないが、真美は後者だった。
こういうタイプには時々、『こんなに知りたいと言っているのに教えてくれないのは相手が悪いからだ』と考えてしまう者がいる。真美もそうだ。
「そんなに知りたいなら、教えてあげるけど、どうなっても知らないわよ。本当に読みたいの? 新聞」
「ええ。別に新聞を読んだからって何か問題がある訳じゃないですよね」
「そうね。もし読んだとしたら・・・」
思わせぶりな由良さんの口調に、真美はごくりと唾をのみ込んだ。
「読んだら、どうなるんですか?」
「分からないわ。人によって違うらしいから。私の場合はね。一回読むごとに・・・寿命が百日延びてるかしら」
「え~? 寿命が延びるなら良いじゃないか。どこが怖いんですか~」
「怖いわよ。アタシはもう三百年も生きてるから、何を見ても驚かないし、世界中の美味しいものを食べ尽くしたし、あらゆるタイプのイケメンと付き合ってきたから、恋愛も飽きちゃったのよ」
由良さんが可愛く話すので、緊張が解けた真美は笑い出した。
「ハハハ。良いですね。飽きるほど恋が出来るなら、是非読みたいです」
「本気? でもあなたに何が起こるのか、分からないわよ」
「恋して、美味しいもの食べて、長生き出来る可能性があるなら、全然大丈夫です」
真美はふざけて胸を叩いて見せた。
「そう」
由良さんは静かに答えると、真美の腕を掴み、最後にもう一度確認した。
「覚悟はいいわね」
真美が頷くのを確認し、由良さんは彼女の腕を掴んだまま、閉じていた新聞をよく見えるように開いた。
その時オフィスには、二人の他に数人がいたが、新聞を見ていた真美の表情を覚えている者は多かった。それだけ、劇的に変わったのだ。
「もし、『空虚な恐怖』というものがあるとしたら、あの表情に違いない」
真美の表情を見た者は、後にそんな風に表現した。
そんな事があるのだろうか、恐ろしいものが書かれているのなら、空しく感じることなどあろうはずがない。
由良さんが腕を握っていた手を離すと、真美は
「ありがとうございました」
と一言だけ言って、ふらふらと歩きだし、自分のデスクに座って仕事を始めた。
それを見て、オフィスにいた者もすぐに日常の仕事に戻って行った。
ところがその日の夕方、真美は取引先に行くと言って出て行ったまま、連絡が取れなくなったのだ。
誰も帰社した真美の姿を見ていないと言い出し、何かの都合で連絡なく直帰したのだろうという事になったが、次の日もその次の日も真美は出社しなかった。
心配して自宅マンションを訪れた同僚は、非常事態だと大家さんに事情を話し、特別に鍵を開けて貰ったが、部屋の中はもぬけの殻。
書き置きのような走り書きのメモが一枚残され、弱弱しい手書きの文字らしきものが書かれていたが、何が書かれているのか読み取ることは出来なかった。
結局、内容が分からないまま、メモ書きは書置きであろうという事になり、真美は勤務時間中に失踪して行方不明になった、と結論付けられた。
最後に話をしていたのが由良さんであったので、何か思い当たることは無いかと会社の上司が尋ねたが、特に何も分からないということで終わった。
ただ、由良さんの読んでいたあの日の新聞に、真美の写真が載っていた、という噂が流れたが、誰も確かめようとはしなかった。
今も、由良さんはその新聞を読み続けている。
もう誰も、何を読んでいるのか聞く者はいなかった。
おわり
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