「夜盗草(よとうそう)」・・・怪談。真夜中のシンデレラ
「じゃあ。もう遅いんで、私帰ります。お金はここに置いておきます。
もし余ったら、皆さんで分けてください。ではおやすみなさい」
津久見総子は、そう言い残して居酒屋を出て行った。足元が少しふらついているように見える。
同期が集まる忘年会の会場を、苦労して探して来た幹事の佐伯は、
少し不機嫌そうだ。
「ちぇ。つきみそうは又早上がりですか」
津久見の名前は「ふさこ」と読むのだが、
「そう」とも読めるので、男性社員の間では「つきみそう」と呼ばれている。勿論、彼女は知らない。
「付き合い悪いですよね。つきみそうこ。冷たいですよ。
いつだって一次会の途中で帰っちまう」
「そう言うな。人それぞれ都合があるんだよ。彼女、寝たきりのご両親の世話をしていて、夜遅くまでいられないらしいぜ」
総務部の安本がフォローした。
「そうかもしれないけど、俺ね。今夜こそは彼女に残って欲しくって
ずっと濃い目の水割りを作ってあげてたんですよ」
「佐伯。それはちょっとヤバいだろう」
「ええ。ヤバいですよ。でも見たくないですか?
月見草が真っ赤になって萎れるところ・・・へへへへ」
そう言いながら、佐伯はソファーに背中を預けて眠ってしまった。
自分の方が真っ赤になって萎れていたら世話が無い。
佐伯の様子を見ながら、安本は思い出していた。
確かに、今夜、津久見総子は飲み過ぎていたように思う。
色白の襟足が赤く火照り、隣に座っていた佐伯は幾度となく、透明感のあるピンク色の肌にむしゃぶりつきたい衝動を抑えていたのだ。
テーブル席に座っていた誰かが流行語にもなった芸人のギャグを物まねをし始めた。拍手喝采で見入っている同期連中に背を向け、安本は店を出た。
「ここからなら、タクシーに乗った方が早かったはずだ」
駅前のタクシー乗り場を見ると、津久見総子が頭をふらつかせて立っていた。安本は急いで総子に近づくと抱きかかえるようにして声を掛けた。
「津久美さん。大丈夫かい」
「え? 安本くん。ごめんなさい。私少し飲み過ぎたみたいで、でも平気だから」
そこへちょうど空車のタクシーが廻って来た。
「ほら、乗って。近くまで送るよ」
安本は押し込むように総子を乗せると、自分も続いて体を滑らせた。
総子は何度も『すみません』を連発しながら、運転手に行先を告げると、そのまま寝息を立て始めた。
黒いパンツスーツの裾から覗く白い足首が美しかった。
脱げそうになっているハイヒールの下、ちょうどかかとの辺りに、
小さな双葉の入れ墨が見える。
「こんなところにタトゥーなんて、この女、本当はかなり遊んでいるのか」
総子の足を見ながら、安本は下劣な妄想を浮かべた。
安本は「夜盗虫(よとうむし)」とあだ名されている。
学生時代、昼間は寡黙な方で、サークル仲間ともあまり話さないが、夜になって飲み会となると饒舌になり、誰彼構わず女の子を口説いていた。
それで付いたあだ名が「夜盗虫」。
夜中に葉っぱを食い荒らす害虫の呼び名らしい。
安本はそんな風に呼ばれることを何とも思っていないようで、
大学の四年間、サークルの自己紹介ではずっと、あだ名の由来を反していた。それでも、女関係が切れることは無く、幾人もの女性と関係を持った。
そんな安本が、「月見草」津久見総子に目を着けたのは、別段不思議な事ではない。安本にとっては、美人を口説いて関係を持つのは、日常生活の一つ、習慣のようなものなのだ。
「すぐ帰ってしまうのは、同棲している彼氏でもいるのだろうか。
そんなそぶりは会社では微塵も見せなかったけれど、両親と同居しているというのも嘘だろうな」
安本は社内ネットに人事部のパスワードでアクセスし、津久美総子のデータを調べたことがあった。
「彼女の両親の住所は確か九州の山奥だった・・・」
そんな事を思い出しているうちに、タクシーが一軒のアパートの前に停まった。
うら若き女性が住んでいるとは思えないような四部屋繋がりの古い木造のアパートだ。おそらく部屋は、ワンルームプラスキッチンと浴室という所だろう。女の気配がないから逆に防犯性が高いのかもしれない。
津久美総子の部屋は一番手前のようだ。
安本はタクシー代を払うと、力の抜けた総子を抱えて部屋まで運んだ。
「津久美。家に着いたぞ。鍵はどこだ。開けられるか?」
「はい・・・大丈夫・・・」
消え入りそうな声で答え、上着のポケットからキーホルダーも何もついていない鍵を取り出し、ドアの錠を開けた。
安本は開いたドアを体で支え、抱えた総子の体ごと中に入った。
玄関から短い廊下があってその先に内扉が一枚閉まっている。
「ぼそぼそ・・・」
内扉の向こうから、人の声が聞こえたような気がした。
なんだ。やっぱり彼氏と同棲していたのか。
安本は少しがっかりしながら、紳士のような振る舞いに切り替えた。
「すみません。津久美さんのご家族の方、総子さんが酔いつぶれてしまっ・・・」
そこまで声を出した時、安本の唇が何かに塞がれた。
総子の冷たい唇が覆いかぶさっていた。
「いいのよ。安本君。気を使わなかっても。
それより、ここまで来たってことは、覚悟がしてるんでしょう」
総子の顔から今までの酔いつぶれた雰囲気は消えていた。
そこにあるのは艶めかしい女の顔だった。
この変化は経験豊富な安本にとっても恐怖だった。
確かに部屋に入ると豹変する女も何人か抱いてきた。
しかし総子の目はその誰とも違う、動物の血が通っていないような冷たい有機物。美しくても魂の無い毒花のようだった。
安本は逃れるように体を離すと、廊下の端の内扉を開けて次の間に入った。
薄暗がりの中にワンルームの造作が見える。
だが、ワンルームなら入り口の反対側にあるはずの大きなサッシから外の明かりが入ってくるはずだが、全く見えない。
闇に包まれた奥の壁には中心から何か放射状に延びているように見える。
「壁にアートでも飾っているのか・・・」
一瞬戸惑った瞬間、後ろから総子が安本の首に手を回してきた。
プチッ。プチプチッと安本の肌に小さな痛みが走った。
「痛て」
安本は総子の腕をはがそうとしたが、どうにも硬く動かすことが出来ず、どんどんと締まってくる。
苦しさの中、叩くものを探して手を動かすと、何かのスイッチに触れた。
苦し紛れにその水一致を入れると、天井の蛍光灯が点いた。
「うわあああ」
安本は、自分の首を締め上げている総子の腕を見て悲鳴を上げた。
その腕には、静脈よりも鮮やかな緑色のツタのような植物が絡みついていたのだ。そのツタには小さな棘がびっしりと付いていて、安本の肌に食い込んでいた。
「いらっしゃい。安本くん」
肩越しに安本の顔を覗き込んで来た総子の顔も緑のツタで覆われていた。総子は一度舌なめずりをすると、安本の唇に重ねてキスをした。棘の痛みを伴ったキス。
『ダメだ。力が抜けていく』
安本はなぜか傷みよりも快感を感じ始めていた。
「総子。今夜の相手はその男かい」
しわがれた女の声が聞こえた。
安本は薄れゆく意識の中で声のする方を見つめた。声は正面の壁から聞こえる。
壁には放射状に太いツタが伸びており、その真ん中に老女の顔があった。
そして、ツタに絡められて、干からびた男の死体がいくつもぶら下がっていた。
その内の一番肉付きの良い(と言っても他に比べるとという意味だが)男が、嬉しそうにが言った。
「ようこそ。娘をよろしくね」
安本の体に、快楽の波が押し寄せ、目の前が暗くなっていった。
おわり
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