「自分の願いと宇宙の願いが一致する」 島田啓介さんインタビュー
以下は1995年の2月に行なわれた島田啓介さんのインタビューです。現在は翻訳者として、マインドフルネスのファシリテーターとして大活躍の島田さんですが、当時は小田原で無農薬の野菜を売る生活をしつつ、ティク・ナット・ハン招聘委員会の中心として忙しく活動していました。島田さんは25年前のこインタビューを読み返して、「おれ、ぜんぜん変わってないなあ」と言いますが、それもまたすごいことだと思います。
「パナマからワシントンまで」
★ 島田さんが最初にティク・ナット・ハンのことを知ったのはいつですか?
島田 日本山妙法寺のお坊さんたちとも一緒に歩いた中米の平和巡礼のときですね。1991年の12月から92年10月12日のコロンブス・デイ(コロンブスが新大陸にやってきた日)までのあいだに、パナマからワシンンまで行進したんです。先住民族への抑圧の歴史を伝え、祈るための巡礼だったんです。同行者のなかにティク・ナット・ハンのお弟子さんいて、こんど春秋社から翻訳が出る”PEACE IS EVERY STEP”を持っていたんですよ。読んで、すごく感じるところがありました。10ヶ月、毎日毎日歩いていく。なんらかのアピールをするとか、ワシントンまでたどり着くことじゃなくて、今やっていることのなかに平和があるんだと考えないとやっていけないわけです。一歩一歩のなかに平和があるんだというそのことをずばり書いていて、体で学んだわけです。
★ それはすごいですね。シンクロしたんですね。
島田 一緒に歩いた日本山妙法寺の森下行哲上人みたいに自分の行に埋没しているひとは、この行をしてどうなるということは考えないんですよね。ただただお太鼓を打っている。もう馬鹿みたいに歩く。そうじゃないとやっていけない。体調くずしたり、マメが破れたり、人間関係がもつれてきたり。そういうストレスのなかで、ただ歩くということに埋没していくしかない。そういう行のなかでぼくが得たことを、ずばり言っている本でしたね。ティク・ナット・ハンの教えの核心がまさにそのことだと思うんですけど。ぼくはその前はイギリスに住んでいて、日本山妙法寺のお寺の建築の手伝いをしていたんですが、婚約者とずっと一年くらい旅をしてきたんですが、彼女が突然、出家してしまったんです。今もそこで尼さんをやっているんですよ。
★ ええ!?
島田 まあ、そういう波瀾万丈がいろいろあって、これから先、どうしたらいいだろうと思っていたところに巡礼の話を聞いたんです。
★ ワシントンまで歩きとおして、じゃあ次はどうしよう? というのはなかったんですか。
島田 次は? というのはもう、ないんですよ。今、そのときのことをやるしかないんです。そうすると、ある意味では未来のことについては安心できるんです。明日はまた明日のことが起こるだろうから、ゆっくり寝よう、と。日本に帰ってくるときも、なんにもなかったんです。お金も10万円くらいしかなかったし、仕事も考えていないし、。でも非常に安心感があったですね。それは自分がいまそのときのことにちゃんとかかわっていれば、次のことは与えられるだろうという確信があったんです。
「どうすれば宇宙の望みと一体になれるのか」
島田 ティク・ナット・ハンはホープレスネスということを言っているけど、それは未来を見ないで、今、望まれることにマインドフルになっているということなんです。
★ 望まれるというのは、誰に望まれるんですか。
島田 ぼくはクリスチャンだから、はっきりとそれは神と意識しているんだけど。宇宙全体の法則が自分という個体になにかを要請しているのじゃなければ、肉体は与えていないだろうから。そういう意味で自分が物質世界にいるんだけど、どういう動きをしたらそれにかなうだろうというアンテナを張って感じるようにしているということです。望まれることと望むことが一致すること。それが自分にとって素直なことなんです。楽だし、力を発揮できて活き活きする。禅でよく、一枚になると言いますよね。公案と一枚になる。公案の言おうとしていることと自分の腹のなかからでたものが一致すること。それと同じじゃないかな。
★ 自分の望みと宇宙の望みが一致するのは究極だと思うんですが、なかなかそうできない。
島田 ティク・ナット・ハンはすごいと思うのは、具体的にどうしたらそうなれるかということを指し示してくれるんです。
これはぼくのことなんだけど、ある朝起きたら、台所が非常に乱雑になっていた。いやだなあ、どうして女房はやってくれないのかと思ったんですが、その現実を前にして、自分がここでなにをするべきか、なにが必要とされているのか考えたとき、今、ここで洗えばいいんだ、ということに当たったんです。後のことも考えずに洗っていると楽しいんですね、非常に。ティク・ナット・ハンが言っているのはまさにそのことで、お茶を飲むときは飲みなさい、歩くときには歩きなさい。そういうプラクティスによって宇宙の意志と自分の意志が一致する。
それは神秘的なことじゃなくて、当たり前のことなんです。当たり前のことが奇跡になっている。それがマインドフルの奇跡ということなんです。いわゆるニューエイジのなかでは宇宙とか地球とか膨大な話になってしまうけど、そういうことが奇跡なのではなくて、今、ここのことをやることが奇跡なんだという。そのへんはすごくまともであるし、全面的に自分の身をとおして感じられるんです。あ、これならば今やれるし、やらなくちゃいけないことだと思わせてくれる。
アメリカで本屋に行ったら平積みになっていたんですよね。すごいベストセラーで。それで「ピース・イズ・エブリ・ステップ」一冊だけ持って日本に帰ってきたら、「ビーイング・ピース」が翻訳された直後だった。日本でティク・ナット・ハンの本が翻訳されるなんて考えてみなかったから、すごくうれしくなりました。
★ ティク・ナット・ハンが実際に来ると聞いたときはどうでした。
島田 ぼくとしては翻訳をして本がでて、ゆっくりゆっくり、いつかプラムヴィレッジに行こうと思ってましたから驚きました。でも来るのならそれは意味があるのだろうし。いろんなことが自分にものすごいスピードで起こってくるんだけど、そのなかでもティク・ナット・ハンのことは一番大きな転機でしたね。
「プラム・ヴィレッジは『当たり前』の場所」
★ で、去年の夏にフランスへ行かれたんですね。招聘委員会として行ったんですか。
島田 それは名目なんですよ。ある朝、目覚めたときに、ぼくはプラム・ヴィレッジに行くんだということが結果として見えたんです。それはみんなに望まれていることだし、自分も望んでいること。困難があってもそういうときは乗り切れるようになっているんですね。
★ どうでした。
島田 ニューズレターにも書いたんですが、すごく自然で、ぴったりきましたね。わあ日常から解放されたという感じはない。でもそこにつどうひとたちが、ゆっくり歩いて、にこにこして、お互いを大切にしているところが、ごく自然だというか。ああ、やっぱり当たり前のところなんだなあと思いましたね。当たり前のことが当たり前に行われている。そういう意味では今の日本というのは当たり前ではないですよね。もちろんちゃんと暮らしているひともいますけど、全体のありようとしてはぜんぜん当たり前じゃない。
★ 当たり前というのは、生きるというか、生活することに集中していること?
島田 たとえば朝、起きて水を飲むでしょう。水道のところにティク・ナット・ハンの偈が張ってあるんです。水は山から流れてきて蛇口をとおって地下へ帰っていくんだよ、なんて。それは当たり前の事実なんだけど、忘れている。トイレでもそう。ここで排泄したものが田畑に蒔かれてそれがまた私たちのからだを養ってくれる。それ以上のことは要らないんです。プラム・ヴィレッジはたしかにいろんな働きをしていますよね。難民を救済したり。でも基本的にはなんにもやらないです。そういうことをしているだけ。当たり前のことをきちきちとやっている。
それが禅の伝統でもあるんだけど。それが自分に自然に影響を与えていく。今はお寺でもなかなかそれをやっているひとはいないですよね。
「相手の口から自分の思いが」
★ この招聘委員会のことを高田さん(編集プロダクション風洋社の高田勝弘さん)と話したんだけど、目的じゃなくて、やっていること自体がサンガという気がするんです。
島田 高田さんとは出版のツメをやっているときに夜中まで話していて、すごく不思議な体験があったんです。ふたりで話していて、彼の口からぼくの思っていることが出ているんです。ぼくの口から彼の言いたいことが出ている。なにか共有されているなかでそういうことが起こってくるんですね。そのときはサンガという気がしましたけど。そこにいるひとがほんとうにそこにいて、逃げない。言葉でもからだでもこころでも逃げない。自分をさらしてやりとりする。そういうなかでしか起こってこないんだと感じました。
ある目的をもって、それとともに働いていこうというグループはそうなりにくいと思う。ぼくらはティク・ナット・ハン招聘ということで集まっているけど、じゃあ、ティク・ナット・ハンが来ちゃったらどうするのか、その関係性というのはなくなっちゃうのか。
「サンガはつくろうとしてつくれるものじゃない」
島田 それはもう、ひとりが守ったら閉じちゃいますよね。ぼくらは一枚になるという体験をしたんですが、それが結果的にサンガと言えるんじゃないか。サンガというのが目指すべきものではないし、サンガの定義なんて無いわけです。仏法僧の三宝と言われますけど、ブッダを目指して修行しようとか、ダンマを実習するとかそうやっているうちはできない。一枚になったときに結果としてブッダになるわけだし、それがダンマのあらわれだし、そこにいあわせたひとたちがサンガを形成するんです。
現代人の感覚として、まず自分が先にくる。自分の目的とかやり方とか。サンガも、私が、あるいはわたしたちがつくるというふうに、主語があるうちは無理だと思う。そうじゃなくて、「サンガづくり」という能動態ではなくて、「サンガづくられ」という受動態でこそ実現できる。
目に見えないものとよくいうけど、体験してはっきり知ることができれば、目に見えてくるんですよ。レモンの木のなかにはすでにレモンがあるというのとおなじようにサンガはあるんです。あるときそれに気づくということでしょう。
★ サンガづくり、サンガレターということを考えたのは、向こうで言われたからですか。
島田 委員会で月に一回集まってやっているけど、仕事のなかの一部として会っているだけで、お互いの背景が見えてこない。だから全体としての一個人を聞いてみたいと思ったんです。かたつむり社の加藤哲夫さんのやり方を聞いたんで。
★ サンガ・ビルディングという言葉はティク・ナット・ハン自身が言っていることなんですか。
島田 サンガ・コンストラクションとも言っています。ワークショップでもあるんですよ。ビギニング・アニューという。7、8人のサークルを作って、まんなかに花を置く。ひとりが出てきて、誰かを名指しで感謝していると言う。続いて私は誰々にひどいことをしました、そういう後悔を言う。ほかのひとは黙って聞いているんです。三番目には、傷ついていることを言う。それで終わりなんですが、そうやって静かにほんとうの気持ちを出して、みんなは反応せずに聞く。
そのことを「花に水をやる」というんです。サンガの花を開かせるためにひとつひとつの言葉を言う。真摯に語り、真摯に聞く。それまで夢中になってやっていたのを、そこから新しく始める。なにひとつ解決されているわけじゃないんだけどね、そこからサンガが生まれるんです。
「ベトナムの大家族がモデル」
島田 ティク・ナット・ハンはやっぱりサンガというのを非常に大切にしています。「マインドフルなサンガが自分の修行を支えてくれる」って。ただやっぱり基礎には呼吸とか微笑みがベースにある。そういう修行をやることによっていい雰囲気をつくっていくんですね。
彼のサンガはベトナムの農村の大家族をモデルにしているんです。おじいちゃんおばあちゃんがいて、子どもがいて。ぼくはお盆のときに行ったので、先祖の意味とか語るわけ。今の自分というのは単独にいるわけじゃなくて、膨大な先祖がみんなあなたのなかにはいっている。たとえばレモンの木は、今はレモンが生えていなくてもやがては生えてくる。同じようにあなたの子孫が連綿といるんだ。だからお盆というのをやって先祖を想い、子孫を思うんだ。そういうインタービーイングというのが大家族の場合分かりやすいんですよ。やっぱり家族というのは一番のサンガモデルですよ。それを出発点にして、相手を大切にするのは自分を大切にすること、同時なんだということをいっています。
★ やっぱりティク・ナット・ハンには、自分の祖国がふたつに別れて争っていた時期があって、今は自分は帰ることができない。そういう思いみたいのはどこかにあるんですかね。
島田 非常に強いと思いますよ。ベトナムについて書いた詩がたくさんあるんですが、やっぱりベトナムの田園風景、母親のイメージの女性とか、たくさん出てきますね。つねに講話のなかでも出てくるし。彼もベトナムを愛しているといっています。もちろん帰りたいという気持ちはあるんだけど、もっと深く、彼自身がベトナムであるとしかいいようがないところにいるんです。彼はベトナムそのものなんです。
「ひとくちひとくちを味わう」
★ 島田さんにとっても、ティク・ナット・ハンのプロジェクトにかかわることによっって気づくことは多かったんですか。
島田 すごく多かったですねえ。ぼくはキリスト教徒でしょう。禅に興味があったりインドへ行くとヒンドゥーのお寺に泊まったりしていたけれど、素直に座れなかったり、初詣も素直に行けないというのがあるわけです。でもティク・ナット・ハンの十四戒の第一条は「どんな思想も信条も絶対のものではない」という。そこに人間の我から出た思いを破壊するという部分がある。それに助けられましたよね。むしろ今は自分はクリスチャンだといえるわけです。
★ 話が最初に戻っちゃうんですが、そもそもパナマへ行かれたのはどうしてなんですか。もともと平和運動に興味があった?
島田 ぜんぜんそんなことないんですよ。それまでは家具職人だったんです。柳宗悦の本なんか読んでね、カンナをかけるなかに禅の境地をみるような、そういうことを思っていたんです。でもその生活のなかではできなかったんです。職人ではなくて作家になっていっちゃった。
デザインをそのまえに勉強したり、ユニークなものを世の中に問うみたいな展覧会を開いたり、ぜんぜん違うほうへ行っちゃって。苦しいんですよね、それって。ただカンナがけをやって一日過ごすほうがはるかにいい。そんななかで婚約者にさそわれてタイやインドに行って、その流れでヨーロッパに行って、日本を出て一年くらいで彼女は出家してしまった。ぼくはひとりになったんです。
★ 瞑想とかそういうものはやっていたんですか。
島田 いやあ、意識してはやっていないですね。ただ体調を崩したこともあってマクロビオテックというのをかなりきちっとやりましたね。食べることをとおしていろんなことを学んだ。一口一口を味わう。宿便もとってからだを洗うような感じで。
★ 今の島田さんを見ると、最初から行者みたいなことをしていたように見えますが。
島田 それは誤解ですよ(笑)。でもヴィパッサナとか断食みたいなものは好きなんです。ああいう自分を忘れてなにかに埋没していくというのは必要なことだと思うんです。ついついある目的に向かって走るというのをやりがちですから、そういうものを断ち切って今に集中することが。女房は苦しいのが好きなんだ、というんですが。
「あなたが変われば世界が変わる」
★ このあとのことは考えていないんですか。
島田 マインドフル・サークルも続けていかなくちゃならないし、翻訳もたくさんしたいし。日常のいろんな偈を集めたものがあるんで、あれを本にできないかなと思っているんですが。
★ ほんとあと二ヵ月を切ってしまったんですが……手応えみたいなものはどうですか。
島田 人数を心配してたりしたんですが、集まると思います。ぼくのまわりでは手応えありますねえ。絶対お勧めだと思ってますから、知っているかぎりのひとに知らせているし。みんなに来てほしいと思ってます。
★ あとは日本の仏教界がどうかかわってくるか、ですね。
島田 ティク・ナット・ハンは日本の若い僧、尼僧に話をしたいということで特別にそういう日をアレンジする予定はありますが、日本の仏教界全体については諦めているようなところもありますからね。それは何回か日本に来ての感触なんでしょうね。今の日本に信仰がなくなっている、気づきがなくなっているというのはあるでしょう。この社会は信仰がないなあというのは分かりますから。日々の気づきを欠いては仏教もお寺も成り立たないんですけどね。
ただ、プラム・ヴィレッジでサンガづくりのことをいろいろ話し合ったとき、ドージ上人と言う方が来て言ったんです。「トラブルはいろいろあるだろうが、あなたひとりが変われば、変わるんだ」と。それがすべてじゃないでしょうか。もう地球はだめなんじゃないかと思うこともあるけど、私が変わることがすべてだ、ということに導かれてやっているんです。
しまだ・けいすけ◉翻訳家、精神保健福祉士(PSW)、カウンセラー、マインドフル瞑想案内人。神奈川県伊勢原市で「ゆとり家」主宰。著書に『奇跡をひらくマインドフルネスの旅』(サンガ)、翻訳書に『ティク・ナット・ハン詩集 私を本当の名前で呼んでください』『ブッダの気づきの瞑想』(ともに新泉社)他多数。
・ゆとり家のHPはこちら。
・島田啓介さんのnoteはこちら。
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