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チベット仏教と伝統医学

 このインタビューは私が雑誌「自由時間」にいた頃のものです。取材の経緯は忘れてしまったのですが、チベット仏教ニンマ派のケンポ・ウゲン師とチベット医学の権威ギャッオ博士のお二人に同時に話を聞きくことができました。チベットにはゲルク派、ニンマ派、カギュー派、サキャ派と、大きく分けて4つの宗派があります。ニンマ派はそのなかでも最も古く、「古派」とも呼ばれます。「ケンポ」というのは、ゲルク派の「ゲシェー」と同じく偉いお坊さんの称号です。

★ 今回の来日の目的はなんですか?

ウゲン師 日本でも最近、チベット医学に関心を持つひとが増えています。チベット医学は仏教とも深い関わりがありますので、そうした面もあわせて紹介したいと思っています。

★ 将来的にはチベット仏教のセンターを作る予定はありますか?

ウゲン師 今回が初めての来日ですし、日本をどのように理解していいか迷っているところもあるので断言は出来ませんが、「アーユルベーダ研究所」などを通じてますます深い関係が持てたらいいと考えています。

★ 現在の日本では医学と宗教が関係してくるというのが、ちょっと分かりにくいのですが。お坊さんがお医者さんを兼ねているということですか?

ウゲン師 お釈迦様の時代から、宗教と医学は深い関わりを持っています。別々に考えることはできません。

★ 「応病施薬」という言葉がありますが、そういうアナロジーではなくて具体的に医学と関係があるということですか。

ウゲン師 病気の本質を理解するためには、その原因を考えなければなりません。チベットでは三毒ということを言います。欲望と憎しみと無知。これによって風と胆汁と粘液の三つのどこかの欠陥によって生じてくると病気が生まれてきます。精神と肉体というのは深い結びつきがある。ということは医学と宗教は深い結びつきがあるということです。まず精神的な三毒を清めることによって病気を直す治療法もあります。

★ 病気になったときにこういう薬がいい、というのではなく、日常的な生き方が大切になるということでしょうか。

ウゲン師 まったくそのとおりです。100パーセントの病気が精神的な原因からくるとは言えませんが、心構えによってほとんどの病気に対処したり、予防することができます。

チベット医学と西洋医学

★ 実際にチベットでは、チベット医学と西洋医学はどのように共存しているのでしょうか。

ギャッオ博士 インドのダラムサラではダライ・ラマ法王の指導のもとにさまざまな機関が活動していますが、そのなかに医療センターがあります。そこを中心に全世界36の支部がチベット医療を実践しています。ただチベット人は漢方薬だけに頼っているのではなく、西洋の医学も取り入れて、両面から治療を行っています。インドを中心にしてネパール、ブータン、シッキム、モンゴル、アメリカやヨーロッパでも関心を持つ専門家が増え、チベット医学も発展してきています。

★ チベット医学と西洋医学は相反するものではないのでしょうか。

ギャッオ博士 お互いに長所と短所がありますから、補いあっていくことが必要でしょう。チベット医学の特徴は、からだが悪かったら薬を与えるということだけではなく、からだと精神をひとつと考えて治療することです。腹痛など急な疾患に対応したり、解剖的な部分など西洋医学には優れている部分がたくさんあります。個人的な希望としては、チベット医学が精神を中心とする医学だとすれば、西洋医学は肉体を中心とした医学です。このふたつのいい部分をとって、ひとびとのために学び交流していきたいと思います。そうすれば将来、人類に貢献できることがたくさんあると思います。

★ チベット医学における基本的な身体論は、西洋におけるそれとはかなり異なるのではないかと思いますが。

ギャッオ博士 機械を使って肉体的な病気の原因を探すときには、西洋医学的な方法だと非常にはっきりと病原を特定することができます。しかしなぜその病気になったという精神的な原因、病原の裏の裏を探っていくときにはチベット医学の有効性があるでしょう。我々はこころを目の前に出して見ることは出来ません。しかし、なにかを通じてこころを見ることができます。たとえば悲しいときには涙が出ます。涙はこころそのものではないですが、原因はこころにあるんです。涙がでることの肉体的な原因というのは見えませんが、悲しさから出ているという原因は分かります。

 もうひとつ別の例ですが、泣いている赤ん坊の近くに母親がやってきてそっと頭をなぜただけで泣き止んでしまうことがあるでしょう。そのときはお母さんが飴を与えたわけではないし、薬を与えたわけでもない。それはお母さんが愛情を表現したから泣くのをやめたんです。同じように、私たちも物質的ななにかを与えるのではなく、精神的なものによってひとを治すことがあります。

悟りと健康

★ ラマにお伺いしたいのですが、仏教の究極的な目的は覚りに至ることだと思うのですが、覚りと健康というのはどのように関係してくるのでしょう。

ウゲン師 チベット仏教の目的は悟りを開くことですが、肉体がなければ悟りを開くことはできません。なぜなら肉体がなければ我々は修行することができないからです。川の向こうにたどりつこうと思ったら船が必要でしょう。そういう意味ではからだを大切にすること、健康であることによって、悟りを開くことができるのです。そういう面ではチベット医学と仏教は深いつながりを持っています。

 私たちが食べ物を食べたり、家を建てたり、服を着るときに、それが修行のためにするのならいい結果が生まれますが、ただおいしいものを食べたいとか、いいものを着たいとか自分の満足や名誉や権力のためにするのなら、問題があります。そういうこころの持ち方が重要なのです。

 しかし口ではそう言っても実行に移すことは難しい。でもコツコツと小さいころからこころがけることによって、大きな成果を得ることができます。日常気をつけることはそういうことでしょう。

★ ラマにお会いすると、みなさん精力的というかエネルギーにあふれているのでびっくりするんです。それと、以前ブッダガヤというところでチベットのお坊さんを見たのですが、みんな体格がいいと思ったのですが、それは修行と関係があるのでしょうか。

ウゲン師 まあそれはお釈迦様の教えを実行していますから、その御利益からきているものもあるでしょう。

★ みなさん、そんなにたくさん食べているわけでもないし、菜食だし、あんなにエネルギーが出るのが不思議なんですが。

ウゲン師 太っているのは栄養のバランスがいいというより、動かないからでしょう(苦笑)。今の日本の社会では太っているのはマイナスですが、チベット人は太っていますねというと、非常に喜びます。裕福さを感じさせますから。

仏教修行の階梯

★ チベット仏教の修行で一番大切なのは瞑想ですか。

ウゲン師 瞑想は大切ですが、信仰がなければあまり意味がありません。ですからまず仏教の基礎的なことを学んで、それを日常のなかで生かすことによってある特定のレベルまで到達したのちに瞑想をすればとても効果があります。そういう意味ではまずは因果を知るとか、世の中の苦しみを正しく理解することが重要です。理解するためには自分の肉体・言葉・意識の三つの汚れをひとつひとつ清らかにすることが必要です。肉体的な汚れを清めるためには五体倒地があります。あるいはコラというのですが時計の廻りにぐるぐるまわる。意識の汚れを清らかにするには意識の持ち方に集中することです。言葉の汚れのためにはマントラを唱えたり、お経を唱えたりします。そういう基礎的な部分が大切なのです。

★ 清らかな生活があって、それから瞑想が生まれてくるということですね。

ウゲン師 もちろんある瞑想の行によってある段階に到達することもできます。たとえば先生がある瞑想の儀式を行っているときに先生と生徒が同時に深い瞑想に入ることもあります。1から10にポンとあがることもあるのです。でもそれは限られた例です。

 もうひとつは瞑想するためにも自分の師を持つことが大事です。師が教えたとおりにすることによって、たいへんな効果が得られます。

 その前に先生の教えが正しいかどうか、先生がその教えを忠実に実行しているかどうか、さまざまな角度から確かめる必要があります。そしてその先生がいいと思ったら自分の師と決めるのです。一度、師と決めたら、灌頂を得て、その教えをそのまま実行することが大事です。いったん師と決めたのちに、気持ちを変えるようなことがあると、それは自分にとっても大きな罪となります。

四つの宗派

★ チベット仏教には大きく分けて四つの流派があると聞いていますが、それぞれ自分に合う教えがあるのでしょうか。

ウゲン師 四つの宗派はどれもお釈迦様の教えを基本としています。その意味では違いはありません。その場所、先生の教え方、実際の行動は違います。宗派そのものには教えの違いはありません。

 我々が山に登るときに、飛行機で行くこともできるし、歩いていくこともできる。でも頂上に着くということでは同じです。そのひと、ときに合った仏教の教えがあるということです。

 チベット仏教の教えがひとつだと言えるのは、政治的宗教的な最高指導者はダライラマ法王猊下だということです。ダライ・ラマ法王は四大宗派の師なんです。

★ ラマのニンマ派は一番古い宗派だと聞いています。

ウゲン師 そうですね、四つの宗派のお母さんみたいな役目をしているのがニンマ派です。

★ 教えの特徴はどんなことですか。

ウゲン師 一番の特徴は「ゾクチェンの教え」です。究極の悟りに至る方法です。ただこれは先生も弟子もある段階に到達していないと、伝えるのは難しいのです。

★ 日本にニチャン・リンポチェという方がいらっしゃいますが、ご存じですか。

ウゲン師 非常に教養知識の面では優れた方です。若いころはバラナシーで先生もやっていましたし、知識はある方です。

★ ケンポというのはどういう意味ですか。

ウゲン師 ここにはケンポと書いてありますが、ふつうはラマと呼ばれていますし、そのほうがしっくりきます。ケンポにもたくさんの段階があります。私は優れたケンポではないので……。

★ ラマが初めて仏道に入られたのは、いつですか?

ウゲン師 22歳のときです。チベットでは幼いときに父母の意見によって僧院に入ることはあります。自分も父母からそう言われていましたが、私が8歳のときにチベットは中国に侵略されて国が無くなってしまいました。11歳のときにインドにたどり着くのですが、そのあとすぐにお坊さんになることはできませんでした。22歳のときに仏門に入ったのは、父が亡くなる直前に呼ばれて、できれば僧侶になってほしい。仏門に入って世のためひとのためにつくしてほしい、と言われた。その遺言をそのまま受け入れて、僧侶になりました。シッキムでのことです。

★ 日本ではお坊さんになってもお酒を飲んだり、結婚したりしているんですが、チベットでは、非常な覚悟が必要だったのではないですか。

ウゲン師 最初は少し抵抗がありましたけど、お父さんの最後の言葉でしたから、逆らうことはできませんでした。でも今振り返ってみると、仏門に入って困ったことはなんにもありません。すべてに満足しています。

★ 後悔したことはないのですね。

ウゲン師 それ以上に、よろこんでいます。子どものころから非常に質素な環境に育ちましたから、それほど執着というものがなかったんです。現在の日本でいいホテルに泊まって見るものは綺麗ですし、感激します。でもそれでも僧侶になってよかったなという気持ちは変わりません。みなさんから見たら、私の生活は馬鹿馬鹿しくて見ていられないかもしれませんが、自分にとってはさまざまな精神的なバランスという面で、満足しています。

★ 精神的に豊かな生活をしていらっしゃるのだと思います。

ウゲン師 どうも有り難うございます。

物質の豊かさ、精神の豊かさ

★ 逆に、日本の仏教界を見て、なにか思うことはありませんか。

ウゲン師 ダライ・ラマ法王猊下がつねづねおっしゃるのは、それぞれの宗教にはいい部分があるのだから、欠点だけをあげて悪く言うことはありません。それぞれのひとにあったリズムがあるのですから、それにあわせた教えが必要でしょう。宗派によっては足のひっぱりあいがあるようですが、それは宗教の教えの問題ではなく、政治の問題です。

★ アメリカやヨーロッパではたくさんのチベット仏教のセンターがあるようですが、日本にはまだですね。

ウゲン師 アメリカにはチベットの僧侶もたくさん住んでいます。それは経済的に豊かになって、東洋の文化のいい部分を知りたいという動機から始まっています。

★ ただ物質的に豊かな場所でチベット仏教の教えを実践するのは難しいような気がしますが。

ウゲン師 ほんとうに仏教に熟練していれば、物質的なものがあっても、あまり関係ないでしょう。

★ 今の日本で清らかな生活をするのは非常に難しいと思うのですが。

ウゲン師 物質的な社会では精神的な修行をするのは難しいのは確かですが、あるていど物質的な部分を満足させつつ精神的なものを見直すということも考えられます。たとえばチベットは非常に貧しいですが、だからといってみんなが清らかな生活をしているわけではない。争いはあるし、僧侶が僧衣は着ていてもこころのなかは分かりません。私だって言葉ではいいことを言っていますが、ほんとうにいい人間かどうかは分かりません。

チベット医学の脈診

★ では脈診をしていただけますか。

ギャッオ博士 はい。診断しながら、どんな質問でもしてください。ふつうは脈診をするのは朝早い時間がいいですね。一番正常な脈を見ることができます。特に病名をはっきり知りたいときは、前日からお酒を止め、激しい運動も止め、性交渉も絶って安静な状態にしていることが必要です。

 また脈診と同じように大切なのが問診です。というのは我々も脈を見ても目や尿を見ても分からないことがいくつかあります。いつ病気になったのか。どこで病気になったか、なにを食べて病気になったか。季節はいつ病気になったのか。こうしたまわりの条件も考慮にいれるとより正確な診断ができます。

★ それはカウンセリングみたいなものでしょうか。

ギャッオ博士 非常に近いものです。特に目の色を見るときは、皮膚の状態、からだの衰え、痩せているか太っているかを目の色から読み取ることができます。舌も重要です。それでも分からなかったら、尿診をします。尿の色、熱、湯気を見るのです。

 触って検診するときはどこが痛いか、また指一本一本の感覚によって、どこが悪いか分かってきます。まず一、二度触れただけで皮膚の状態、温度が分かります。脈をとるときは患者のどこの部分が悪いか、全部の音を聞きます。そのときは医者にも精神統一が必要です。

 ある年齢を越えるとたくさんの病気を持っている患者もいます。そうした場合は脈が混乱していることがあります。そうしたときは、猫が鼠をとるときに身構えてじっと待って鼠がきた瞬間に捕まえる。それと同じように、医師もじっと身構えていて病気が分かった瞬間に適切な薬を与えることが重要です。あるときは漢方薬によって別の障害が生じることもあるので脈をしっかり見ることが必要です。

 脈をとるには三本の指を使います。皮膚の厚いところはしっかり押さえ、薄いところはゆるく押さえます。

 今、脈を見ていて、血圧が高いようですね。そこから来る精神の疲れがあるようです。

 血管を一度押したあと、さらに押せます。血管に力がないときには、ルン=風からくる疲れがあるようです。もし血液に問題があるようなら、押してもすぐもどってきます。

 この方の場合、まあ病気という病気はありません。ただ、ルンが原因で疲れがくることはあると思います。私はヤブ医者に近いですから、ちゃんと見ることはできませんが。

 チベットには優秀なお医者さんがいて、患者が体調が悪くて診察に来られないときは患者の服や帯を送らせて、その色や匂いから病気を診断するひともいます。あるいは患者の家族の健康診断をして薬を渡すということもあります。どういうことかというと、やかんの水が熱くなるのは下で火を燃やしているからですよね。やかんの水と火は違うもののように見えて、関係しているのです。

 ギャッオ博士の診断では、私はルン=風の通りがよくないらしい。それはどうやら身体の固さと関係があるようだ…。それにしてもギャッオ博士の「私はヤブ医者に近いですから」とか、ケンポ・ウゲン師の「私は優れたケンポではない」という言葉が印象的でした。ニチャン・リンポチェもそうですが、優れたお坊さんは共通して、極端なほどの謙虚さを示される。それは逆に、揺るぎない自信のあらわれのようにも思えるのだ。


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