〈〜まである〉は いずれ公的な文書でも使われる?
インターネットの世界でしばしば〈~まである〉という表現を目にする。仮定の状況を引きあいに出して自分の主張や気持ちを強調するものだ。「このホラーは怖い。恐怖のあまり死人が出るまである」などと書く。2010年ごろから使われているそうだが、ボクが気になりはじめたのは最近だ。
〈~まである〉を言いかえるとすれば、どうなるか?「死人が出るかもしれないとさえいえる」「死人が出るところまでいくだろう」のように、文字数を多く費やさないといけない。その意味で〈~まである〉はじつに“リーズナブル”だ。いまはまだネット上でくだけた表現として使われるだけだが、将来は公的な文書でも用いられるかもしれない。
まだ一般に受けいれられている表現とはいえないので、ボクは仕事では書かない。では、仕事ではない――たとえばここで書いているようなお遊びの文章では? やはりためらってしまう。自分の考えや感情をうまくコトバで表現できないのをごまかすために〈~まである〉ととりあえず書いている。そんな気がしてくる。
キミも知ってのとおり、ここでははふざけたことも書いているが、コトバに対してはかなり保守的なんだ。
巷で日常的に使われていて誤りというわけではない。でも、ボクがちょっと気になるコトバを挙げてみた。コトバ狩りをしたいんじゃない。コトバの不思議さや奥深さに迫りたいだけだ。キミも肩の力を抜いて読んでほしい。