35才の歪んだ私ができるまで~少年期①~
小学校に入学した私だが、端から見ればごくごく普通の活発な少年であっただろう。
習い事ではスイミングやサッカーに通い、友達と遊ぶ時はゲームに勤しみ、好きな女の子もできた。
表向きにはそんな6年間を過ごした。
では、この6年間の中で歪みを生じさせる要因はあっただろうか。
結論を言えば、あった。
まず、前号でも述べた登り棒うんぬんかんぬんは、小学校に上がってからも継続していた。
記憶は定かではないが、4年生か5年生になる頃には、鉄棒を使わずとも、自分の太ももの間に私のそれを挟み圧迫することで快感を得ることも覚えていたので、授業中などに事に及んでいたこともしばしばあった。
ただ、この時点でも、性的な行為であるという自覚はなかった。
故に女子生徒や女性教師を性的な目で見たりすることはなく、むしろそういったことには疎い方だった。
つまり純粋な心を持ちながら、純粋に気持ちいいことを覚えていたということだ。
好きな女の子ができたというのも、いわゆる小学生にありふれた、あくまでも純粋で健全な好意であり、ここにおいては歪みの要素は無かったように思える。
性的なこと以外では、小学3年生以降からイジメを受けるようになった。
その多くは仲間外れ、つまりハブられが主だった。
とはいってもごく一部の生徒にだが。
彼らはクラスでもメインを張るようなグループだったので、私もその一員でいたかった。
なのでいつも彼らにくっつくようにメンバー面をしていたのだが、彼らにとってはそれが鬱陶しかったのだろう。
それまでは自分の言動には無自覚で、言いたいこともハッキリ言えたし、自分の立場というものを考えずに行動できていた。
なぜなら世界は自分を中心に回っていると思っていたから。
ところがある日を境に、自分が受け入れられない状況に直面することになり、相手の気持ちを察知する能力が乏しかった私は、ただ苛められているという被害者的思考しか持てなかった。
仲間外れにされる原因が、自分にあるかなど考えることなく、ただ自分をいじめる悪として、彼らの行為を先生に申告し、かわいそうな自分を皆にアピールするようになった。
結果として彼らは、いやいやながら私を受け入れざるを得なくなり、私はただ自分が受け入れられたという事実に満足した。
問題はこれだけではない。
イジメを受けていた私がいじめられる側の気持ち、痛みを理解していたかというと、それは違う。
当時は、太っている、不細工だ、といった容姿を理由にしたイジメも横行していたのだが、私もその加害者の一人として加わっていたのだ。
もちろんその報いは受けた。
5年生の頃だったか、イジメの被害者面を続けている私が、そのような愚行に及んでいたことを知った教師により、多数の児童が行き交う公共の場で、怒声を浴びる制裁を受けたことは今でも鮮明に覚えている。
私はその日を境に、イジメの加害者側に立つことはなくなった。
しかし、これには二つの理由があった。
自分の愚行を恥じ、相手の痛みを汲み取ることを初めて理解したこと、そして加害者側に立ってしまうと、自分が被害者としていられなくなること。
お分かりだと思うが、後者が主な理由だった。
この頃から、私の中の歪みが本格的に芽吹き、問題行動が目立ち始める。
詳しくは少年期②にて記述するとしよう。
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