35才の歪んだ私ができるまで~少年期②~
前号の通り、イジメを受けていたにも関わらず、クラスのメイングループの一員に加わり、イジメの加害者にもなっていた私であるが、不思議と女子人気は高かった。
クラスの女子内では、かっこいいと思う男子、可愛いと思う男子なるランク付けが流行っており、定期的にクラスの掲示板に貼り出されるのだが、私は、可愛いと思う男子ランキング上位3位に常に入っていた。
このランキングは男子にとってのある種のステータスになっており、当然、上位ランカーはメイングループの一員でいられるという大義名分を得ていたのは言うまでもない。
どちらかといえば、男らしいというよりも女の子らしかった私の容姿に、苛められているという構図が相まって、結果的に女子の母性をくすぐっていたのかもしれない。
いずれにせよ私は、小学校卒業まで、メイングループというポジションを失うことはなかった。
誤解をしてほしくないが、私はひときわ容姿が整っているわけではない。
可もなく不可もなくという表現が、最もしっくりくるとえるほどに、普通の見た目をしている。
ここでお伝えしたかったのは、苛められている立場を逆手に取り、女子の同情を買い、母性をくすぐる方法を身につけ、クラスにおける自分の居場所を確保するというしたたかさを、弱冠12歳前後の少年が身に付けていたということである。
私は私を演じることを覚えたのだ。
ここから、私の行動がエスカレートし始める。
5年生になると、エリート思考の母により、塾に通わされることとなるのだが、勉強することよりもサッカーやゲームをしていたかった私は、極度の拒絶反応を示す。
入塾テストに向けて教材を買い与えられた私は、付属されている回答を全て記入して抵抗を試みる。
あまりの回答の速さと正確さに、不正はあっさりと見破られるも、入塾を阻止することは叶わず、結果としてノー勉強でテストに挑むこととなる。
挙げ句の果てに、黙々と回答を記入する将来有望な少年少女達を尻目に、学校では習っていない内容が出題されていることに怒りを覚えた私は、その場で挙手し、出題内容に問題があるかのような振る舞いをする始末。
当然のことながら数々の塾を落とされるも、辛抱強く両親に引きずりまわされ、結果としてそれなりの進学塾に入塾することとなったのだ。
入塾してもなお、私の拒絶反応は止まらず、宿題は毎回授業直前に他の生徒に写させてもらう事が日課に。
はじめの頃は、友人を助ける思いで、快く見せてくれるも、この甘い密をすすり続けた結果、周囲の生徒からは距離を置かれるようになる。
つまり、塾でも私はハブられるようになった。
どう見ても問題は私にしかないのだが、私はこれをイジメと捉え、塾に行きたくないと休みを懇願するようになった。
ところが塾講師との面談で私の問題行動を知っていた母は、イジメを理由に私を休ませることはなく、結果として、地獄そのものであったこの塾に、中学校卒業までの5年間通わされることになる。
勿論、中学校に進んでからも問題行動は続くのだが、これについてはまた次号お伝えする。
先述の通り、被害者という立場で人の同情を得ることに快感すら覚えていた私は、ある日友達の家に遊びに行く際に自転車で派手な転倒事故被害に遭う。
と言っても、ただ一人で自転車でこけて膝を擦りむくケガをしただけなのだが。
私はこれを一つの事件に仕立て上げた。
私は泣きながら友達の家に出向き、擦りむいた膝を友達の母親に見せながら、故意に猛スピードでバイクで突っ込んで来られ、避けようとしたら転倒した、という有りもしないことを伝えた。
もちろん、このことは私の母にも伝わり、ついには警察に通報するという事態に発展した。
出来心でついてしまった嘘が、ここまで大事になってしまえば普通であれば恐怖を覚え、嘘をついたことを自白するのかもしれない。
しかし私は、恐怖するどころか、大人達が私を心配するこの異様な状況に、悦にも似た感覚を覚え、警察の聴取や実況見聞にも、さも起こったことのように振る舞った。
とうとう、小さくではあるが、翌日の町内新聞の記事になり、犯人を見かけたら通報という呼び掛けまでされることに。
学校にもこの噂は広がり、一躍クラスメイトから同情の的になった私は、この上ない達成感を得たことを今でも覚えている。
その時、罪悪感はあったかどうかはっきりとは覚えていないが、
多分なかった。
事の真偽を見抜いていた大人がいたかどうかはさておき、数多くの大人達を騙し仰せたという事実が、私を大きく歪ませたのは疑いようがない。
そしてついには小学生にして犯罪に手を染めることとなる。
事の発端は、当時学校で流行っていたトレーディングカードだった。
皮肉にもイジメによってメイングループの座を勝ち取っていた私であるが、いつまでもイジメという枷をつけられていることを良しとはしていなかった。
そこで、イジメ脱却を目論んだ私は、レアなカードを多数所有することで、皆から崇められる存在なるのではと思い至る。
クラスメイト達は限られた毎月のお小遣いを使い、コツコツとカード集めをしていたわけだが、生憎我が家では毎月のお小遣いというものが無く、欲しいものがあったら親に伝え、テストなどの結果、ご褒美として買ってもらえる方式を採用していた。
当然、毎回毎回数百円のカードを買ってもらうには効率が悪い。
しかし手っ取り早くカードを集めたい。
結果私が取った行動とは。
お察しの通り万引きである。
正直に話すと回数でいえば、数えられないほど実行した。
間違いなくそこら辺の不良少年達を遥かに凌駕するだろう。
カードはみるみる増え、所有枚数はざっと数百枚に及んでいた。
ここまでバレないことに味を占めていた私の行動は、だんだんと雑になり、箱ごと万引きするという暴挙に出るようになっていた。
肝心なクラスでの立場といえば、特に変化はなかった。
私がどんなに枚数を持っていようが、レアカードを持っていようが、クラスメイトには関係の無いことだった。
しかしながらその時の私にはどうでもよくなっていた。
むしろ、大人達を欺いて万引きを繰り返すという背徳感、大人買いしたかのような満足感に浸っていた私は、もはや自己満足のために万引きを止められなくなっていた。
ここまで万引き不敗神話を築き上げたことは、容易に小学生の私を慢心させた。
そうなれば当然その日は訪れる。
全く捕まる気などなかった私は、最寄りのコンビニでいつものように数パック手に取り、カメラの死角でポケットに忍ばせ、足早に店外へ出た。
その時だった。
すかさず私の後をついてきた店員に腕を捕まれた。
「万引き。」
この時、私の頭は真っ白になっていた。
え、え、としか言えず戸惑いを露にするだけだった。
ポケットの中の物を出すように促され、店内の事務所へと連行され、店長らしき人物に初めてではないなと質問された私が発した言葉は
「初めてです。」
だった。
何度か嘘じゃないかという問い詰めに対して初犯であることを貫いた私は、こともあろうか自分の意思ではなく、人に脅されてやったことだと、涙ながらに訴えた。
防衛本能というものなのか、保身のためなら人間はこうも簡単に口から嘘が吐けるものなのか。
あるいは私の歪みの賜物なのか。
私が説明した内容は以下の通り。
道を歩いていたら、前方から中学生らしき男3名に声をかけられ万引きするよう強要された。
小さなナイフみたいなものを持っていたので、恐くて抵抗出来ず、犯行に及んだ。
今思えば、いかにも小学生が思い付きそうな、あまりにも稚拙で、安直な嘘だと思う。
間もなく呼び出された母が、店に到着し、何度も何度も店長に頭を下げ、怒りに震えながら私の顔を平手打ちした。
その姿を見た店長が母をなだめながら話す。
「まぁ落ち着いてください。初めてのようですし、事情があるようなので。」
この言葉を聞いたとき、私は既に被害者のマインドへと切り替わっていた。
上記の内容をまた、涙ながらに、声を震わせながら母へ説明した。
エリート思考で、生真面目な母は、まっすぐ過ぎるほどに歪みがなく、素直な性格で、お人好しだった。
もちろん、息子が自ら犯罪を犯すことを認めたくない思いもあっただろうが、私のこの愚策ともいえる訴えを信じた。
泣きじゃくりながら反省の姿勢を見せる私を見て、店長は警察を呼ぶことはせず、脅された経緯を自ら出頭して、説明するという条件で釈放した。
ここから先は、かの自転車事故と同じ行程を踏み、警察にとっては取るに足らないような案件であることもあり、帰宅後の長時間の説教を経て、私の万引き事件は幕を閉じたのである。
これをもって、私の反省も完了した。
完全に水に流れたのである。
翌日には、何事もなかったかのように学校へ登校し、勉強し、遊んだ。
とはいえ、以降私は万引きをすることはなくなった。
懲りたといえばそうなのだが、反省したというのとは少し違う。
次に捕まれば、もう言い逃れはできない。
そして同じような手順で事を収めるのが面倒臭かったからだ。
こうして私は、間違った方向へ学習していくのだ。
以上が少年期に起きた私の歪みの要因だ。
というより、歪んだ結果もたらした私の行動だといった方が正しいだろうか。
私自身、この頃を振り返って、当時の心情を思い起こしながら、論じて来たわけだが、なかなか濃密な経験をしてきたという実感とともに、まだ小学生までの話であることに、我ながら恐ろしさを感じる。
小学生の頃、嘘をついたり、イジメをしたり、あるいは万引きをしたことがある方達は少なからずいただろう。
ある意味それは人生経験であるし、その失敗から反省し、踏み外した道の軌道を修正して大人になっていくことを考えれば、健全ともいえるかも知れない。
ところが小学生にとって、トラウマにも成り得るそれらの経験は、私に人を欺くための自身の演じ方を学習させ、間違った道へと導いた。
このような経験をしながら、私は晴れて小学校の卒業式を迎え、そして晴れやかな中学生活へと歩を進めたのだった。
サポートいただけたあなたの期待に応えることが、私の最大の励みです!!