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35才の歪んだ私ができるまで~思春期①

ここからは中学校に上がってから、高校を卒業するまでの思春期時代について、振り返ってみようと思うが、その前に小学校卒業時点での、私の人格についてまとめてみる。
前号の通り、少年期までの経験だけでも、私を大いに歪ませた要因が十二分にあったことは分かった。
しかし私自身、あれだけの問題行動をしていながら、自分が他の児童とは異なる、逸脱した思考を育ませていた自覚は全くなく、私の中に闇を抱えているなどとは思いもよらなかった。
むしろ、幼年期から好きだったヒーローものの影響も有り、自分は正義感の強い、まともな男の子だという認識の方が強かったと記憶している。
実際、私は他所の家や、飲食店などの外での行儀、電話をする際の言葉遣いについて、両親から厳しくしつけられていたため、本当にしっかりしたお子さんだと誉められることも少なくなかった。
今思えば、これもどうすれば相手に印象良く見せることが出来るか、自分の演じ方を学習した賜物なのかもしれないが、結果として私は、表から見た礼儀正しく真面目な人格と、歪んだ人格を無意識に分離させ、前者を自分の人格として認識していたことになる。
加えて、いやいやながらも進学塾に通っていたことで、学力もそれなりに身に付き、頭の良い子という印象も少なからずあったことが、その認識を助長させ、私が犯したイジメ、嘘、万引きという愚行に対する罪悪感を希薄にさせたことは、もはや言うまでもない。
簡単に言えば、自分にとって都合の良いことは吸収し、都合の悪いことには蓋をし、その為なら自分を演じ分け、保身に努める極度の現実逃避人間へと成長を遂げたということだ。

さて、この現実逃避少年が多感な思春期へと突入するわけだが、残念ながらというべきか、ざっと思い返してみて、大きく道を逸れたというような記憶は無く、犯罪に手を染めることも無かった。
それでも少年期までに生じた歪みは、私の軌道修正を許すことはなく、少なからず問題行動はあった。
とにかく、精神的な成長の中で、とてつもなく揺れ動いていた時期だったというのが、今の私の印象である。

まずは表向きの中高6年間について、ざっくりと振り返ってみる。
小学校の頃苦しめられたイジメについては、中高6年間通して受けることはなくなっていた。
勉強も先述の通り塾のお陰で、それなりには学力もついており、とりわけ数学に関しては、模試で全国上位の点数を取る程になっていた。
残念ながら内申点が足りず、公立高校へ入学することは出来なかったが、高偏差値の私立高校で3年間特進クラスの座を守り続けた。
恋愛やスポーツについても、充実していたといえるだろう。
特に中学の頃は、好きな子にアプローチ出来ず友達に相談して、助けられながら告白も経験し、失恋も経験した。
時には告白され短期間ではあったが彼女も出来た。
高校の学園祭では出店を成功させ、クラスマッチではバスケットで汗を流し、ギターも始めてロックにも熱中した。
簡単に羅列してはいるが、自身の中ではかなり濃厚で沢山の思い出があり、十分に青春できたなという実感はある。
ではその実態はどうだっただろう。
もちろん、今述べたことは紛れもない事実ではあるが、ご存知の通り、これらは現実逃避によって不都合な事実に蓋をした産物であることに変わりはない。
では、その蓋を取って、今一度歪んでいた自分自身と向き合ってみる。

まずは性について。
前号までに述べている通り、幼少期から無自覚の自慰行為をしていたわけだが、精通や友達の入れ知恵もあり、中学1年生にしてようやく自分がしていたことが、性的な行為であるという事実に辿り着き、同時に手淫を覚えた。
そこからさらに行為の回数が増えたように思える。
精通により、果てることによって下着を汚してしまうようになったため、授業中に事に及ぶことはなくなったが、休み時間のどこかでトイレに籠ることが一日に数回必ずあった。
スカートの短い女子生徒や、胸の主張が強い女性教師によって増幅された性的欲求は、間違いなく私を類いまれなる妄想絶倫男へ成長させた。
念のためお伝えしておくが、自己紹介でも伝えた通り、私は前科持ちなのだが、それは性犯罪ではない。
また、性行為によって子供が出来ることを中学校に入るまで知らないほど性に疎く奥手の私にとって、恋愛感情と性的欲求が結び付くことはなく、彼女が出来ても不貞には走らず、高校3年間は彼女も出来なかったので、ある種の卒業を迎えることは無かった。
ここに関して、どこまで逸脱しているのかは正直分からない。
男の子ならこれくらいのことは誰しも経験しうることのようにも思えるが、それでも私の歪みに多少なりとも影響していただろうことは否定するつもりはない。

続いて、私の問題行動について。
まず、私の天敵とも言うべき塾に関して話そう。
小学校時代の問題行動の詳細は、前号を読んでいただきたいのだが、私の自分勝手なイジメ被害の訴えによって塾を休むという企みを挫かれてもなお、塾へ通うということへの拒絶反応は、衰えを見せなかった。
元々宿題を自らしていくことは少なかったのだが、中学に上がり、高校進学コースなるものに入れられたことで、難易度が格段に上がり、宿題への抵抗力を増す一方だった。
例によって授業直前に他の生徒のノートを写させてもらう、教材に付属された回答を写していく、などのその場しのぎをする度に、担当の講師にこっぴどく叱られるのが日課となっていたのだが、ここで私の現実逃避が発動し、仮病を使うようになり、塾を休むようになる。
初めの頃は、頭が痛い、お腹が痛い、吐き気がする、などの理由で休むことが出来た。
だがそう長くは続かない。
母は気持ちの問題だと無理やり塾へ送り出すようになった。
続いて私がとった行動は、学校から帰ってきてまず冷たいシャワーを首のうなじに何分間も浴び、一時的に数値の上がった体温計を見せて休まざるを得ない状況を作ることだった。
もはやここまで来ると如何にして塾を休むかということに注力するようになり、勉学のことは二の次になっていた。
そうすると自ずと部活も休みがちになり、部活に行くのは塾が無い日のみとなっていた。
挙げ句の果てに私は、自ら塾に電話するようになっていた。
母には何食わぬ顔で行ってきますと伝え、家を出る。
そして声変わりもしていた私は、公衆電話から電話をかけ、父のふりをして休むように伝える。
ここで肝心なことは電話をかけて、講師が出てしまうと会話数が増え、嘘が発覚する確率が高くなるため、授業が始まり講師が出払い、留守電に切り替わるタイミングを見計らって電話をかけることだった。
ごく稀に、居残った講師が出ることもあったが、担当講師は授業中で出ることはないため、声から判別されることはなかった。
これが、意外と上手く行くもので、丸1ヶ月ほど全く塾へ行くこと無く古本屋で時間を潰して家に帰るという日々を送っていたのだが、当然ながら目先の現実逃避がいつまでも続くわけがなく、不審に思った塾側が家へ電話を入れ、あっさりと両親の耳に入るわけである。
いつものようになりすまし留守電を入れ、古本屋で時間を潰していたのだが、いずれにせよバレたかどうかは家に帰ってからしか分からないと思っていたので、完全に油断していた。
ところが驚いたことに、ほどなくして母が店の中に現れたのである。
この時はさすがに自分の浅はかさを痛感し、母の息子に対する行動把握には感服したものだ。
その時の母の表情は、かつて万引きで迎えにきた時のそれと同じだった。
怒りに震えた母は、目に涙を滲ませながら、大勢の客が行き交う古本屋の通路で、私を何度も往復ビンタし、店外へと引きずり出した。
正直、心穏やかではない日々を過ごしていた私は、これから受ける叱責に怯えながらも、見つかった安心感と同時に、母をここまで心配させ、悲しませたことへの胸の苦しさを覚えた。
私が記憶している中で、初めて強く感じた罪悪感だった。
この後、私は母に殺されるのではないかと思うほどにボコボコに殴られ、一晩中説教を受け、翌日両親と共に塾へ謝りに行った。
講師側も不思議と優しく私の謝罪を受け入れ、これからは真面目にがんばれと激励してくれた。
この時の私の心情を正確に表現するのは難しいが、イメージとしては、刑事ドラマで犯人が諭され、パトカーに乗るときの、憑き物が落ちたような感覚に似ていると思う。
この事件以降、私は完全にとまでは行かないが少しは自力で宿題をするようになり、塾をサボることは無くなった。
とはいえ、拒絶反応は相変わらずあったので、積極的に勉学に励むようになったわけではなく、最後まで高レベルの授業についていくことは出来なかったのだが。
私の問題行動はこれを機に鳴りを潜めるようにはなった。
文字通り、潜めただけで、以上の経験をもってしても、私の歪みを矯正するのには、強度が足りなかったようだ。

次号では、この思春期における私の性格の変遷を述べていこうと思う。

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Gawashi
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