事故後の経過
5月16日の事故から2か月がたちました。
骨折を伴う事故に遭った場合の経験談として、ライダー仲間の役に立てばという思いから記録を残したいと思います。
1.骨折の医学的見解
事故直後の骨折に関しては、レントゲンによる可視化、MRIによる可視化で判明するもののようでした。
私の場合、もともとレントゲンではわからず、MRIによる検査で「折れているけれども軽微」というのがわかる骨折でした。
医師によれば、「骨折箇所は一般的にドロドロした液体で修復をはじめ、その液体が固まって骨折が治る」という仕組みらしく、レントゲン検査で可視化できてもできなくても「3か月で固まる」という医学的通説を基本としているようでした。
つまり、自分が痛くても痛くなくても3か月は体重以上の(加速度を伴った)負荷をかけるなという感じです。
入院一か月、退院してから一か月経過した自分の経験でいうと、確かに骨折部位の痛みはなくなってきていて、現在は松葉杖からステッキに移行しています。
2.可視化できない痛み
「ムチウチが自己申告だ」というのと似ているのですが、標準医療の医療器械では可視化できない痛みはあります。
それは何かというと、血種による痛みです。
骨折した時、骨折に至らないまでも強い打ち身で出血したり骨挫傷した部位があります。
とくに腱や筋肉に強い打撃が加わって出血、内出血はしたものの医療機器に写らなかった部分がいくつかあり、その部分が痛いです。
現在はそういった部位が二か所あって、一つは右足の外クルブシの下、左足にはない腫瘍のようなシコリがあります。
これは内出血した血液がその部分で固まってしまったシコリである可能性が高いです。
もう一つは右ひざ、開脚ストレッチした時に痛い「膝の内側の腱」がときおり剣山で突かれたような痛みが走ります。
これもまた、打ち身による出血とその塊による痛みであると推測されます。
3.恨んでも仕方ない
自分の考え方ですが、法律的に立証できないことをウダウダ言って生きるよりは弁護士に頼んで解決できるものは解決し、法的に難しいことはあきらめて、時間を有効活用したほうがよいのではないかと思っています。
どんなに気を付けて運転していても、一定の「無能」との出会いは避けられません。
その恨みを解消するならば(もしも相手が無保険であったりして賠償を受けられないならば)こちらの環境が許せば、相手の家族を皆殺しにして恨みを晴らすしか手段はないわけです。
私は嫁も子供もいないのでそれは可能ですが、一般的に平和的な家族を営んでいた場合は家族に降りかかる不利益を考えるとそれも難しいわけです。
今回はラッキーなことに相手はタクシーで保険もきちんと入っていて、医療費と物的損害以外の「慰謝料」みたいなものは実質あまり発生していない状況なので、いわゆる「保険屋の言いなり」でも問題ないかなと思っています。
それよりも「世の中には無能がいて無能のせいで殺人ではない殺され方をするかもしれない」という体験をしてせいで「後悔のない人生を送りたい」という気持ちが強くなりました。
一つ目は「乗りたい乗り物には乗ってみる」ということです。
高いバイクを買っても合わなければすぐに売るという方法で損失を少なくできるのでとりあえず手を出してみる。
やりたい女がいたらとりあえずやってみる(最近は不同意性交罪があるので別れ方には気をつけながら)。
もう一つはデスノートを準備するということです。
例えばコンビニ店員が客に罵倒されても、オーナーとの関係、本部との関係では黙るしかないわけですが、退職した後にその記憶を「脳に電気刺激で抹消」とまではできないわけです。
退職して自由になったあとに「お礼参り」することは可能であり事前予告みたいな脅迫無ければ罪にも問われません。
私には家族がおらず、相手には家族がいる。
しかし脅迫文言がないから警察は手出しできない。
さらに、なんの予告もせず、対象が政府要人でもなければ警察は予防を行うことができない。
法治国家で家族のいない奴に牙をむくことはどういうことなのか、すこし警告するぐらいしても罰は当たらないでしょう。
そういうデスノートをつけて、理不尽な要求を笑って過ごそうと思います。
随分と物騒なnoteになってしまいましたが「死ぬかもしれない体験をした嫁も子供もいない男」というのは、覚悟さえ決めれば楽しく生きれます。
同じ環境の人たちが卑屈にならずに楽しい人生を送れるよう、あえて強めの文章を書いてみました。
足が治ったら次のバイクを買って楽しい人生を送りたいですね。
これを読んだ人と一緒にツーリングなんかできたら最高です。