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第三巻 内なる仮想空間  2、チャボと鏡

2、チャボと鏡

※この小説は、すでにAmazonの電子版で出版しておりますが、より多くの人に読んでいただきたく、少しづつここに公開する事にしました。

 純粋理性批判では、我々人間が時間や空間について理解できるのは、我々自身の中に生まれつき備わった性質があるからだと言う結論である。これについては、面白い実験がある。もちろんそんなことを意図してやったわけではなかったが、振り返ってみれば貴重な実験だった。

 俺の家は、昔からニワトリを飼うことが多かったが、だんだん面倒くさくなってきたのか、雌のチャボだけを飼うようになった。俺は母親の手伝いをよくする子供だったので、チャボに朝と夕方の餌をやるようになった。俺が行くと、チャボは喜んで飛んで来るのがとても可愛いくて、餌をやるのは俺の楽しみだった。

 ある日、そんなチャボを座敷にあげて、からかっている兄貴を発見した。それまで、兄貴がチャボを相手にすることは滅多になかった。兄貴は、俺に面白いものを見せてやると言って、洗面所にある鏡を持ってきた。それは雑誌程の大きさの鏡で、チャボの全体が入るくらいだった。チャボは、闘鶏にも使われる鳥だが、うちの雌のチャボはいたっておとなしかった。

ところが、そのチャボが鏡の中の自分の姿を見ると、毛を逆立てて、鏡の自分に両足でキックを浴びせるのである。俺は、その変身ぶりが凄いので面白かった。兄貴はすぐに飽きて、あとは俺が仕切った。俺はチャボに何度も鏡の後ろ側を見せて学習させた後、同じようにチャボ自身の姿を見せたが、学習の効果が全く無いことを悟った。

俺は、同じようなことを犬と猫に対してもやってみた。犬も猫も初めは鏡の中の自分に関心を持つのだが、鏡の後ろに回って状況が分かると、あとは関心さえ示さなかった。犬や猫とチャボとはどうしてこんなに違うんだろうとその時は思った。これは、犬や猫や我々が空間を把握する能力を生まれつき持っていて、チャボにはその能力が備わっていないからだということが、純粋理性批判を読んではじめてわかった。

 チャボはバカ それでも可愛い俺は好き 餌をあげると すっ飛んでくる

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