サンセットサンライズを見て、震後作家の僕が思うこと(※ネタバレを含みます)
はじめに
まずこの感想文には大きくネタバレが含まれることを注記しておく。
ただし、そのネタバレのいずれもこれから映画を見るであろうあなたにとって全くの無害であることもまた先にお伝えする。
サンセットサンライズはそういう種類の逸脱や過剰な理解による阻害を受けないタイプの作品である。
死者の扱いについて
この映画の中では死者は大きく4人描かれる。
ヒロインの百香(井上真央)の家族たちと、シゲだ。
作中彼らは、死後もなお「ファインダー越しの存在」として僕たちの前に現れる。
僕が「Sung in Rain」で描こうとした、(現に描き切れているかどうかは別にして)形だけそこに存在している死者、祈り切れていない死者、死んだことに気がついていない死者、それを軽妙に、しかし決して貶めることなく描き出している。
そして彼らは常に、美しい太陽の描写と共に現れる。
彼らは過去のものとしてではなく未来の一部として表出する。
祈ること、祈らないこと
この作品において死者や、悲しみを抱えた人物たちはまず「祈られること」によって1度目の解決を迎える。
(モモちゃんの幸せを祈る会、シゲさんの葬式における祈り)
しかしそれによって誰一人救われてはいない。
僕は作品には「祈りの作品」と「呪いの作品」があると思っている。
それは僕のnoteの中でも数度出現している「白い物語」と「黒い物語」という概念である。
しかし、この作品において「祈り」は半ば言葉遊び気味に、
そして宮藤官九郎的なジョークと共に「芋煮」へと変化する。
祈る側と祈られる側、呪う側と呪われる側、
双方が膝を突き合わせて宮城風(ケンさん風)芋煮を啜りながら、
互いの気持ちを伝え合う。(告白への流れはややチープだが・・)
山形県出身の僕にとっては、
東北各県の芋煮の違いについての言及があったのも好ましい。
閑話休題。
そんな中主人公の西尾(菅田将暉)は、
僕はこの町が好きだ、
この町に住んでいる人が好きだ、
僕はこの町に生まれたかっただけだ、
だけどどうしてこんなに切ないんだ
と祈りだけではどうしようもできない心の蟠りについて問う。
(この場面は「あまちゃん」そっくりだった)
ケンさんは答える。
(ネタバレが嫌な方はここだけは読まないほうがいい)
「ただ見ていればいい」
東北の人間はずっとTVの先にある東京を見て育った。僕もそうだ。
だが東京の人間は東北を見もしなかった。
震災を経て、いくつかの人間は東北を顕著に見るように変わった。
そして愛そうとしてくれた。
そのことだけでいいのだとケンさんは涙ながらに訴える。
外の人間が、歴史あるものの中にどう溶け込んでいくべきなのか、
特にそれが悲しみである場合、
僕たちはどのように向き合うべきなのだろうか。
僕のこれまでの答えは「祈ること」だった。
だから、「Sung in rain」は、祈りの作品になるよう努めた。
観光客の皆様
観光客というのは僕が若くから傾倒する東浩紀氏が著した有名な著作で登場する概念だ。
ただの感想文であるから厳密な引用は行わない。
家族の概念をどう敷衍させるかについて、時代に寄り添って丁寧に議論されている。
つまりこういうことだ。
なぜか東北には、「東北」という家族単位が存在する。
これは歴史によるものなのか地理によるものなのか、
双方なのかあまり定かではない。 しかし、これは現に存在している。職場や酒場やさまざまな場所で、東北出身者と出会うと、「あ、僕は山形です」とつい口を挟みたくなってしまう。
(仙台市民はこの限りではないような気がする笑)
そしてこの家族単位を、壊したくないという感覚がどうにも大きい。
僕は宮藤官九郎同様の危機感や閉塞感を感じ東京での暮らしを始めた側の人間なので、どちらかというと融和なくして成長なしと思っているつもりだが、
それでも九州や四国の言葉には一定の「外部者」感を感じずにはおれない。
言わんや、外国語をや。よくないけどね。
そしてこの作品の中で西尾もまた「観光客」「レポーター」としてさまざまな食を共に楽しむ内に少しずつ融和していく。
モモやモモちゃんの幸せを祈る会のメンバーと幾つもの「新しい思い出」を共有することで少しずつ「ディスタンス」が解消していく。
最後にはこのディスタンスがハグに変容するのだが、ここは一定のチープさを感じすにはおれない。
なぜこの最大のカタルシスであるハグシーンがチープに描かれてしまうのか。
本質的に西尾は東北人の家族になったわけではないからだ。
観光客の立場から抜け出すことなく、
各々が幸せを追い続けるために極めてビジネスライクに
(戸籍上、章男さんの養子になるという形で)この港町に迎合する。
愛することは干渉しないこと
不干渉であることは、
祈りを超えた先の受容や愛情のようなものに変容し得る。
つまり、「それはまあそういうものだから」という諦めこそが一種の愛だということだ。 (それなりのご経験は皆さんおありかもしれない)
それは恋人の頑固さかもしれないし、友人の漢気かもしれないし、街の歴史かもしれない。
モモが抱える過去もその一つだ。
もう変えられないものに対して、「それはまあそういうものだから」と諦め、受容する。
それが「祈り」と「呪い」を止揚する手段なのかもしれない。
震災未亡人の百香さんは、昨年末「めぞん一刻」を恥ずかしながら初読した僕には管理人さんとどうしても重ねて見えてしまった。
そしてここまで語ってきてようやく二つの作品が悲しみを、そして悲しみを抱えた者たちにどう向き合うかということに対して同じ結末を用意したことが明らかになった。
めぞん一刻の最高で最大の名台詞、プロポーズのシーンだ。
初めて会った日から響子さんの中に、あなたがいて… そんな響子さんをおれは好きになった。だから…あなたもひっくるめて、響子さんをもらいます。
誰しも初めて会った時から色々な歴史を抱えている。
被災者には被災者の悲しみと、通り一遍な言葉では表しきれない歴史がある。
僕たちにはそれを推して測る以外にはどうしようもない、
その真理には永久に辿り着くことができない。
ならば。
「もうそれはそういうものだから」
そして「そういうものな部分も含めてそれ」なのだ。
僕たちは観光客⇄住人の二項対立ではなく、
その先の受容者として振る舞うべきなのかもしれない。
(彼らのことをもっと深く知り、愛したいと求めるならば)
この作品ではビジネスライクな結末とともに少し寂しいエンディングとなった。
僕たちはまだその答えを見つけられていない。
このビジネスライクな解決こそがいつかハートフルに映る日が来るのかもしれない。それはわからない。
ただ、使わないけどそこに置いておきたいもの
他の誰にもわからないけど大切なもの
を僕たちが瓦礫やゴミだと呼んでいい理由はない。
祈りとしての古民家を、受容としての古民家に
祈りとしてのモモちゃんを、受容としてのモモちゃんに。
そして、祈りとしての東北を、受容としての東北に。
僕が8月に訪れた石巻は、もう逞しく白い煙を吐く立派な港町だった。
僕は彼らの生活のことをただ受容する。
彼らはそこで逞しく生きているし、彼らはそこで逞しく死んでいる。
僕たちだってここで逞しく生きているし、ここで逞しく死んでいる。
核家族化によって個別の思い出を残していくことが難しい。
思い出はとても美しく、そう簡単には手放せない。
だからと言ってこの作品の結末のように
「おがまいねぐ」だけでは僕たちは生きていけない。
時には懐かしい友と語らい、時には隣人に助けてもらい、
時には自分の大きな悲しみを隠して誰かを支えなければならない。
「おだづなよ」と自らに伝えながら、そして大らかに、盛大に芋煮会でも開いて語らい合いながら、
互いの大切なものを受容し、
同時に一定の「ディスタンス」を常に意識しながら、
適切な距離で「見ている」ことが、
「愛する者の観光客」的な立場から僕たちが脱する唯一の手段なのかもしれない。
その意味で、旧来の結婚制度から逸脱した本作の結末には一定の期待を感じたが、
それでも僕たちはこの悩みの本質的な解決には至っていない。
僕はそれでもなお、
百香さんが換気扇の上に隠した灰皿が一生忘れられないだろうから。