水芭蕉の花が匂っている
学生時代以来の夏休み、さて何をしようかと思案したが結局以て私の心の大半を占めていたのは私の過去達だった。仮住まいの一週間、中学の友人達と酒を酌み交わし、いつもと同じように他愛もない話に笑い、いつも通りの道を帰る。
最初は三匹の猫たちが出迎えてくれた。彼女たちは(あるいは彼らは)この地域独特の湿気と籠もった空気に飽き飽きとしたようで、思い思いにくたびれていた。
「東京はもっと暑いんだぞ」などという年寄りめいた私のアイデアを見透かしたように彼女たちのうちの一匹は木から木へと跳ね登って私を高いところから見下ろし威嚇していた。
彼らと飲む酒はいつも格別だった。語り直すたびに思い出は濃く美しく描き変わっていき、私たちは何度だってその光景を思い出して悦に入ることができるのだった。仲間たちの何人かは私たちの元を離れていく者もいたが、残った者たちの中にいつも彼らの消息を伝えてくれる者がいた。
台風の不安がよぎる翌日、二日酔いと少しの頭痛まじりに朝イチの仕事を簡単に片付けて、先祖の墓を参った。桶一杯の水では足りないのではないだろうかという灼熱の中で、私はその地域の空腹の蚊たちに血を分けてやりながら先祖のために線香を燃やした。なぜか生き残った祖母は誇らしげだった。うるさい蝉たちが大合唱をする傍で、人間たちはそれぞれが静かに誰かのために祈っていた。祈るためにやってきた墓場での駐車場でのマナーには気にかかるところがあったが、それぞれが自分の生まれるきっかけたちのために早く祈りを捧げたくて仕方がなかったのだろう。目を瞑ろう。
実は会うのはそれほど久しぶりでもないのだが、実家に帰り、まだ日もずいぶん明るいうちから酒を飲んだ。初日こそ父と贔屓の野球チームの観戦をしながらそれなりにやることができたが二日間もあったのがいけなかった。つい勢いづいた日本酒の勢いは止まらず私の瞳からこぼれ出してしまった。死んだ祖父の過去に思いを馳せると、人に歴史あり、そして物語あり。口を閉ざしてしまった者から何かを聞き出すのは容易ではないが、私にはそうする必要があるような気がしていた。それに、行方知れずになった人形師のことを思うとどうしても胸が痛んだのだ。ひそひそと彼の行方について語る流言はこの地方を悠々と流れる川に逆らって逆流していった。この川を登るのは、昔からこのあたりでよく行われていて、観光名所のようにもなっているようだった。
昔もよくその辺りには行ったものだったが、(部活動では県内をずいぶん行き来したものだ)今や知らない道路ができ、知らない地名で呼ばれていた。青々とした田園風景の向こうに見知った山々が見え、あれは何山だとか、あれは誰々の地元だとか、そんな昔の大人たちが話していた何が面白いのかよくわからなかった会話を、いつの間にか私もするようになっていた。
それから大学の友人に会いに仙台へと向かった。台風がやってきていたので早めにと思ったが、電車の速度は相変わらずだった。仙台駅に着くと、なんとも形容し難い匂いが鼻をついた。懐かしい匂いだった。昔、この匂いを嗅ぎ、遠くへ来たと感じたものだった。今の私には、地元と家との間で悠然と立ち上がる行司を感じさせる匂いであった。高校時代も、この蒸すような暑さの中、英語を教わりにここへ来たことがあった。懐かしい匂いだった。
その後の私には、悲劇と喜劇とが順番にやってきた。
1日の猶予があったので、かつて私が幼い頃によく母と訪れた石巻を再び訪れた。私の小説家としての人生が始まった場所であった。町のあちこちに波の高さを記憶する祈念碑が建てられていた。
今回の往訪の際、ここでは非常にたくさんのことがあった。本当にたくさんの人々が私に話しかけてくれ、たくさんの人々が私の背中を押してくれた。だがその体験については別の機会に譲るとしここでは簡略に述べるに止めようと思う。おそらく、私がここで経験したことはこの文字数やメディアには耐え難いと感じるからだ。次の出版に期待してくれるといい。
かつて国鉄時代の指定旅館だった小さな宿は、台風の影響でお盆の観光客のUターンが早かったことで破格の値段で泊まることができた。その代わり、一晩中隣人の笑い声に苛まれたのだが。
通りに出ると、街灯も少なく非常に物寂しい街並みではあるが、そこにいる人たちの温かさや幸せさは、想像に難くなかった。彼らは、自分が幸せになる方法を知っていた。飲食店をやりたいなんていう夢もつい、話してしまった。この港町では、涼しげな猫ともの寂しげな半分の虹が出迎えてくれた。
この場所を最終地点とした小説を過去に書いた。いずれこれも本にしてみなさんに読んでいただける日を心待ちにしている。高校時代から私を応援してくれているうちの一人が早速私のチラ見せに反応を示してくれた。書き続けていることを改めて伝えた。
そして翌朝仙台に戻ると、友人たちはもうやる気満々だった。はやる気持ちを抑えて車を借り、今度は青葉城と松島を訪れた。
青葉城を訪れた際は、その名に恥じずきっぱりと晴れた。直前に今年の大河があまりにも気に食わないので真田丸を見直していた私にとって、政宗公の像は心を打たれるものがあった。奥州筆頭。彼こそ誠の武士であった。
残念ながら久しぶりに訪れた松島は曇天模様。日本三景として名高いこの絶景も、曇っていてもなお、というほどではなかった。
私は奥の細道を追っているのか、という旅程であった。
そうこうしているうちに(ずいぶん色んな事をした)、やっとの思いで私はまた元の住居に戻ってきた。ようやく腰を落ち着けて・・と思ったのも束の間で、気づけばやらなければならない仕事が山積みになっていた。まあその辺はまた明日考えようと半ば飽食気味に仕事用のPCを閉じ、こうしてこの夏を振り返り始めた。
そして居を共にする方がどうやら流行病に感染してしまったようで、私は今夜も仮の寝台で眠ることになる。
やれやれ。
10代の頃から私を作ってくれた歴史たちがこの固い寝床を包み込んでくれるだろう。そしてその歴史は、これから先の私の一歩を、力強く後押ししてくれるだろう。その隣を歩く方の病が治りさえすれば。